改訂新版 世界大百科事典 「印刷電信」の意味・わかりやすい解説
印刷電信 (いんさつでんしん)
printing telegraph
ディジタル(2値符号)で送られてきた電信符号を,人間が判読するのでなく機械翻訳によって文字を現出させる電信方法。
印刷電信には,モールス符号を受信して印字する方式と,印刷電信用の特別な符号を用いる方式がある。前のものはテープの上にモールス符号の穴を開け,これを送信機にかけて電気符号で送信し,受信側では回転円筒のまわりに活字のついたものを回し,該当の文字のところで止めてテープに印字するもので,海底電信あるいは無線電信の一部に使用され,一般には使用されていない。後のものは2値の状態を取る5単位,または6単位の符号組合せで文字を符号化して送信し,受信側ではその符号組合せごとにタイプライターを働かせ印字する方式で,和文電報,欧文電報,テレックスなどで使われている。コンピューターと通信回線で接続されるデータ通信用端末も,技術的にはこの流れを受け継いでいるが印刷電信とは呼ばない。
印刷電信はモールス通信とは別個に発達した。印刷電信の先駆をなしたものは指示電信であり,1837年にイギリス人C.ホイートストンによって実用機が作られた。これは配列された文字の位置に相当する数だけ電流パルスを送って指針を1目盛ずつ進ませ円盤上の文字を指示させるものである。日本へはペリー提督が54年(安政1)に幕府に献上したが,その前1849年(嘉永2)に佐久間象山がオランダの本《理学原始Eerste grondbeginselen der natuurkunde》(1847)を勉強して指示電信機を作り実験に成功していた。ホイートストンはまた紙テープに穴を開けて2値符号を記録するさん孔方式も発明し,符号の蓄積を可能とした。印刷電信機そのものの発明は55年アメリカのヒューズD.E.Hughes(1831-1900)によって完成した。77年にフランス人のボードJ.M.E.Baudot(1845-1903)が5単位印刷電信符号を発明し,1910年にアメリカのウェスタン・エレクトリック社が調歩式印刷電信機を発明するに及んで印刷電信の発展期を迎えた。日本では27年にアメリカのクラインシュミット社製の6単位和文印刷電信機が東京~大阪間の通信に使われたが,国産では36年に黒沢貞次郎が初めてテープ式の印刷電信機を製造した。また,制度的には52年に専用電信が,56年にテレックス(加入電信)のサービスが法律化され,官庁,会社,旅館などで簡便な記録通信の手段として広く使われるに至った。
現状
加入電信は,開発途上国の根強い需要によりおもに国際通信に使われてきたが,最近の10年ではそれも年10%以上の割合で減少を続け1994年の国際通信回数は年700万通程度に至っている。一方の印刷電信である電報も国際通信は加入電信と同様に衰退を続けており,94年では27万通に至っている。国内電報は少し事情が異なり1963年の9500万通をピークに減少傾向にあったが,押し花電報,メロディ電報,漢字電報などの付加価値電報の発売と慶弔電報の根強い需要により85年ころで下げ止まり,最近は年4000万通強を保っている。印刷電信の衰退は電話,ファクシミリなどの新しい通信手段の普及による。
執筆者:石野 福弥
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報