詩人、小説家。明治38年11月15日広島市に生まれる。慶応義塾大学英文科卒業。1936年(昭和11)ころより『三田文学(みたぶんがく)』に散文詩風な短編をしきりに発表する。1944年妻病死。「もし妻と死に別れたら一年間だけ生き残ろう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために……」(「遙(はる)かな旅」)そんな思いを抱き、1945年春、広島市の兄のもとに疎開する。8月6日、原爆投下にあい被災。この新地獄のような怖(おそ)ろしい体験は『夏の花』『鎮魂歌』などの作品となる。1946年上京、『三田文学』の編集に携わる。1947年『夏の花』を同誌に発表、世評高く、これにより第1回水上滝太郎賞(みなかみたきたろうしょう)を受賞。作品にはほかに『廃墟(はいきょ)から』(1947)、『壊滅の序曲』(1949)、『心願の国』(1951)、『原民喜詩集』(1951・細川書店)などがある。昭和26年3月13日西荻窪(にしおぎくぼ)で鉄道自殺。民族の歴史的事件ともいうべき原爆投下に遭遇し、創作衝動に駆られ書き続けられた『夏の花』以下一連の原爆小説は、凄惨(せいさん)な内容だが抑制された文体で描いていて、感銘もいっそう深い。
[中石 孝]
『『原民喜全集』3巻・別巻1(1978~79・青土社)』
昭和期の小説家,詩人
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
詩人,小説家。広島生れ。富裕な家庭に生まれたが,幼児期に精神に傷をうけ,人間に深くおびえる無口で内向的な性格の持ち主に育った。慶応大学時代,英文学を専攻。評論家の山本健吉らと付き合い,文学の修業をするとともに左翼運動に加わったりした。左翼運動を断念してからデカダンな生活を送ったが,評論家佐々木基一の姉の貞恵と結婚,身心ともに落ち着き,積極的な創作活動に入った。
1944年に妻を失い,45年8月6日広島で原爆に被災してからは,みずからを〈原子爆弾の一撃からこの地上に新しく墜落してきた人間〉と規定し,亡き妻をしのぶ《苦しく美しき夏》《死のなかの風景》など〈美しき死の岸に〉の連作,《夏の花》《廃墟から》(以上1947),《壊滅の序曲》(1949)の三部作から,《鎮魂歌》《心願の国》などにいたる作品を書いた。ひたすら死を見つめつづけた彼は,これらの作品を書き終えると同時に,静謐(せいひつ)な気持をいだいたまま鉄道自殺した。
→原爆文学
執筆者:川西 政明
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