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各務鎌吉 かがみけんきち

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

各務鎌吉
かがみけんきち

[生]明治1(1868).12. 岐阜
[没]1939.5.17. 東京
実業家。 1888年東京高等商業学校 (現一橋大学) 卒業,91年東京海上火災保険入社,94年経営全般の再建のためロンドンへ派遣され,99年帰国して本店営業部長に就任。新企画を次々に打出すとともに経営刷新をはかり再建に成功,その後同社社長,会長をつとめた。特に海上保険のエキスパートとして海外でも高く評価され,日本の保険業界の代表者としても著名。日本火災保険協会,日本海上保険協会,船舶保険協同会などの設立,運営に尽力し,会長などの要職歴任,日本郵船社長,日本船主協会会長のほか三菱系企業の重役を兼務した。また 1930年貴族院勅選議員となり内閣審議会委員をつとめたほか,日本銀行参与,大蔵省顧問なども歴任。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

各務鎌吉 かがみ-けんきち

1869*-1939 明治-昭和時代前期の経営者。
明治元年12月22日生まれ。東京海上保険に入社。専務をへて大正14年取締役会長となり,同社を国際的な保険会社に発展させた。日本郵船社長のほか三菱系企業の重役を兼任,財界に重きをなした。貴族院議員。昭和14年5月27日死去。72歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。高等商業(現一橋大)卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

かがみけんきち【各務鎌吉】

1868‐1939(明治1‐昭和14)
実業家。岐阜県の農家の次男に生まれ,東京高等商業学校(現,一橋大学)を卒業,1891年東京海上保険(現,東京海上火災保険)に入社。ロンドンで保険業務を研究し,その成果にもとづき,海外代理店の整理,決算制度の改正,減資などを行い,経営不振の同社を再建した。本店営業部長,専務取締役を経て1925年に取締役会長になり,同社を世界的な大保険会社に育てあげた。明治火災など保険会社の重役を兼ねたのをはじめ,損害保険業界の指導的経営者として,大日本火災保険協会,日本海上保険協会などの設立や運営に尽くした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

各務鎌吉
かがみけんきち
(1868―1939)

明治から昭和戦前期に活躍した実業家。岐阜県の農家の次男に生まれる。東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業し、1891年(明治24)に東京海上保険会社へ入社。ロンドンにおいて保険業務を研究し、その成果に基づき、同社の海外代理店の整理、決算制度の改正、資本金の減少などを行い、経営再建に成功した。本店営業部長、専務取締役を経て、1925年(大正14)取締役会長になり、終生同社の発展に貢献し、同社を世界的な大保険会社に育て上げた。明治火災など保険会社の重役を兼ねたのをはじめ、損害保険業界の指導的経営者として、大日本火災保険協会や日本海上保険協会などの設立や運営に尽くした。晩年には日本郵船の社長や三菱(みつびし)本社の取締役などを兼任した。さらに三菱系企業の代表として財界に活躍し、内閣審議会委員や大蔵省顧問を務め、日本経済連盟常務理事ともなった。貴族院議員にも勅選されている。[杉山和雄]

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世界大百科事典内の各務鎌吉の言及

【東京海上火災保険[株]】より

…92年ころから海難事故の続出などで海外業務が悪化,94年にはイギリスの営業が赤字となった。そこで1891年に入社したばかりの各務(かがみ)鎌吉をロンドンに派遣した。彼はイギリス,ヨーロッパにおける営業をウィリス商会に委嘱して99年帰国した。…

※「各務鎌吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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