合成化学工業(読み)ごうせいかがくこうぎょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「合成化学工業」の意味・わかりやすい解説

合成化学工業
ごうせいかがくこうぎょう

原子または低分子の化合物を原料とし、素材とまったく異なる各種の高分子化合物(製品)を合成する工業。おもな製品には、合成樹脂、合成繊維合成染料合成ゴム、合成洗剤、合成香料、医薬品、農薬などがある。合成化学工業は大別して無機合成化学工業と有機合成化学工業に分けられるが、その比重は圧倒的に有機合成にかけられている。また有機合成化学工業はさらに、(1)石油化学工業、(2)天然ガス化学工業、(3)カーバイド・アセチレン工業、(4)タール(石炭)工業の4種に分けられるが、石油化学工業の急速な発展と対照的に、他の部門の停滞と衰退が目だっている。

 欧米からの技術導入で開始された日本の石油化学工業は、他の先進諸国よりも小規模であり、ナフサに依存していることによる原料価格の問題などで、価格競争では優位にたてず、これまでアジアや中東の工業化に協力する形で海外進出してきたが、2000年(平成12)以降、海外進出は拡大している。また海外での汎用(はんよう)型化学製品の自給率の高まりなどから、国内生産は内需および高付加価値素材を中心としたものへ重心を移している。

[青木弘明・大竹英雄]

歴史

合成化学工業は歴史的には、絹、染料、香料など西欧諸国で入手が比較的困難な商品を人工的に製造するという西欧の人々の長い間の夢を解決する手段として、天然物を分解してその成分を単離し、分子構造を明らかにすることから始まった。19世紀の中期、ドイツで、製鉄用コークスを製造する際に副生する廃棄物のコールタールの利用法を研究中、インアイ(藍(あい))の構成物質インジゴの製造に必要な原料アニリンの含有を認め、染料合成の工業化の端緒を開いた。コールタールの分留は他の多くの反応性モノマー(単量体)を得ることができることから、染料をはじめ医薬品、香料、火薬、合成樹脂など高分子化合物の製造が工業化された。

[青木弘明・大竹英雄]

日本の合成化学工業

日本の合成化学工業は、第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)によってドイツ製の合成染料の輸入が途絶したため、化学工業調査会がタール工業の奨励を答申したことによって1916年(大正5)国策会社の日本染料製造(1944年に住友化学工業〈現、住友化学〉と合併)が設立され、染料合成が始まったことが端緒である。以後、医薬品、火薬、香料、合成樹脂などの有機合成品や、酸・アルカリ、硫安などの無機合成品の工業化が1930年代に確立された。第二次世界大戦後の有機合成化学は、1950年(昭和25)以降、朝鮮戦争による特需景気に支えられて復興し、外国技術を導入して、タール系ではナイロン、ポリエステルが企業化され、さらにアセチレン系では塩化ビニル、アクリルニトリル、酢酸ビニルなど合成樹脂や合成繊維の工業化が展開されて著しい成長をみせた。1957年以降、ナフサをエチレン、プロピレンブタジエン、ベンゼンなどに分解し、さまざまな誘導品(工業原料)を製造する石油化学工業が成立、発達し、従来の化学工業のプロセスを一変させ、国際的な水準のコンビナートが形成され、合成樹脂、合成ゴム、合成繊維など高分子素材の安定大量供給と絶えざる新製品開発によって国民生活の消費構造を大きく変化させてきた。1973年のオイル・ショック以降は、原料の高騰と過剰生産による企業の統合整理問題、公害の処理など、業界は重大な試練に直面し、1978年公布の「特定不況産業安定臨時措置法(特安法)」によりアンモニア化学肥料業界で設備廃棄が、1983年公布の「特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」では石油化学工業の構造改善が進められた。1986年以降は円高で原油価格も低下し不況から脱している。1980年代後半からは新興工業国ASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)諸国、中国などで石油化学の工業化や発展がみられ、これらアジアの経済発展に支えられて日本の合成化学工業も生産量を伸ばし、1991年(平成3)からは輸出量が輸入量を上回ったが、日本企業は欧米企業同様、アジア諸国を中心に産油国などに直接投資を実施してきた。

[青木弘明・大竹英雄]

 2009年(平成21)の化学工業製品(広狭さまざまなとらえ方ができるが、ここでは狭義のとらえ方として、最終製品としてのプラスチック製品やゴム製品および医薬品を除いたものを示す)の出荷額は約17兆円で、その内訳は、石油化学(合成樹脂、合成染料・有機顔料、石油化学系基礎製品など)が52.3%、無機薬品10.4%、最終製品としての化粧品・歯みがき剤など8.4%、油脂・せっけん・合成洗剤など5.8%、塗料5.5%、その他写真感光材、化学肥料、接着剤、農薬の順となっている。このなかの石油化学による原材料は、プラスチック製品やゴム製品などの最終製品の製造に使用されている。

 1995年、生産金額を6兆円台にのせた医薬品は、2010年には約6.8兆円まで増加し、2000年以降急速に増加した輸入とともに化学工業内の比重を拡大させてきた。他方、合成樹脂の場合、生産量に大きな減少はないものの、1997年以降生産量を減らした合成繊維同様、化学工業製品の出荷に占める比率を低下させた。写真感光材料(フィルムなど)も同年以降、デジタルカメラの普及によって生産量、出荷額比率をともに減らしている。

 有機合成化学工業の製造する素材(そのほとんどは石油化学工業)と用途は、合成樹脂の場合各種フィルム、自動車・電気製品、容器、発泡製品、建築材料などであり、合成ゴムは自動車タイヤ・チューブ、工業用品、紙加工用など、化学繊維は衣料、インテリア、自動車等の産業用資材などである。

 汎用タイプの合成樹脂の生産量は、ポリエチレン(PE)、ポリプロピレン(PP)、ポリ塩化ビニル(PVC)、スチレン系樹脂(PS)の順で、ポリエチレンとポリプロピレンが全体の5割弱を占めている(2009)。これら合成樹脂は成形加工しやすい熱可塑性樹脂であり、加工しやすいポリプロピレンの需要は増加拡大してきた。しかし塩化ビニルは、パイプなどの建築資材、電線被覆、農業用や食品用などのフィルム・シートの需要の減少と、ダイオキシン生成に絡む素材であるため減少してきた。また新興工業国や原油生産国の化学工業が発展してきたため、汎用樹脂では価格競争力で不利な日本は、価格志向の強い生活用品を中心とする素材製品から、IT(情報技術)、電気、自動車などの工業生産へ提供する、高付加価値型の製品開発にシフトしてきた。そして、強度や耐熱性の高いエンジニアリング・プラスチックなどによる生産財の部材供給に力を入れ、提案型の生産や、需要企業が期待する微妙な要求品質の部材開発で、高い収益が得られる領域をもつに至っている。さらに、環境適性からは、生物分解性フィルム等も開発されている。

 合成ゴムの場合、タイヤに使われる汎用型のSBR(スチレン・ブタジエンゴム)やBR(ポリブタジエンゴム)は、いまだ合成ゴム需要の6割を占めるが、その比率を減らしており、EPDM(エチレン・プロピレンゴム)、NBR(アクリロニトリル・ブタジエンゴム)、CR(クロロプレンゴム)等、多様な性質をもつ特殊合成ゴムが相対的に増加してきている。

 ポリエステル、ナイロン、アクリルなどの合成繊維を含む化学繊維(合成繊維にレーヨン、キュプラなどの再生繊維やアセテートなどの半合成繊維を加えた呼称)の生産は1990年代後半まで180万トン(うち、合成繊維は150万トン台)を維持してきたが、中国の繊維産業の拡大と2000年以降の化学繊維の生産急増、衣料用やインテリア向け繊維の需要先である繊維産業の海外展開などで内需が減少し、東レ、帝人、三菱(みつびし)レイヨン(現、三菱ケミカル)など主要企業は付加価値の高い非汎用繊維、非繊維事業に重心を移した。高付加価値の産業用繊維には炭素繊維、アラミド繊維など高強度・高弾性・高耐熱性などさまざまな性能を有する高機能繊維が、繊維以外としては薄型テレビ向けフィルムなどの生産が拡大、汎用製品は海外生産の比率を高めている。ポリアクリロニトリル(PAN(パン))系炭素繊維は東レ、東邦テナックス(現、帝人)、三菱レイヨンの3社で世界の7割のシェアをもち、全日空や日本航空が導入したボーイング787型機の機体には、三菱レイヨン製の複合材料が利用され、軽量化により燃費が2割改善されている。今後は軽量性と強度から自動車などにも利用される可能性がある。

 そのほか、化学工業は多品種少量生産を特徴とする高付加価値のファイン・スペシャリティ・ケミカル(精製化学製品)の生産とその比率を増加させてきた。これらの最終化学製品は医薬品、化粧品、写真感光材料、塗料、触媒、印刷インキ、農薬、接着剤、界面活性剤、食品添加物、香料などである。

 化学製品の輸出・輸入額はともに2000年以降急速に伸び、輸出額は2007年に7.7兆円、輸入は2008年に5.7兆円のピークを示したが、2008年のリーマン・ショックにより急減し、2010年にはふたたび増加に転じた。輸出額はいまだ輸入額を上回っている。2010年の輸出額は6.9兆円であるが、金額の大きなものからプラスチック、有機化合物、医薬品、無機化合物、染料・着色剤等、精油・香料・化粧品類の順となり、輸入額は5.4兆円で、同様に医薬品、有機化合物、プラスチック、無機化合物、精油・香料・化粧品類、染料・着色剤等の順となっている。

 2009年の石油化学製品の輸出は中国向けが約5割、以下韓国17%、台湾13%の順となり、大半がアジアへの輸出(94%)である。しかし、経済の規模拡大の著しい中国では、2010年にエチレン規模で合計440万トンの石油化学コンプレックス(複合施設。日本で石油化学コンビナートとよぶものを海外ではコンプレックスとよぶ)が稼働した。また中東では、2009~2010年にかけ日本企業が合弁や出資するエチレン100万トン超の設備が新たに稼働し、アジアやヨーロッパへの供給を開始している。今後もアジアや中東での新増設が続くと考えられることから日本企業は国内生産を縮小し、内需中心の供給への再編成が不可避とされている。

 環境問題では、プラスチックのリサイクルや、塩素系樹脂の焼却によるダイオキシンの生成、環境ホルモン溶出の問題などで、化学物質を取り巻く環境は厳しくなり、1993年公布の「環境基本法」をはじめ「容器包装リサイクル法」(1995)、「ダイオキシン類対策特別措置法」(1999)、「PRTR法(特定化学物質管理促進法)」(1999)などが制定された。EU(ヨーロッパ連合)では2007年よりREACH(リーチ)規則(化学物質の登録、評価、認可および制限に関する規則)が施行されている。

 第二次世界大戦後、技術導入によって開始され、規模のメリットを生かして生産する素材型・汎用型の化学工業は国際競争力を確立できなかったが、アジア諸国や産油国の石油化学工業化に協力し、海外に進出するとともに、国内では国際的競争力をもつ付加価値の高い技術開発で、自動車、機械、IT業界などへ新素材の高機能部材を供給するようになった。さらに、これまでの公害問題の解決、オイル・ショックによる省エネルギー対策、資源・環境問題などへの対応によって有益な独自の周辺技術を開発してきた。さらに、収益性の高いファイン・ケミカルやライフサイエンス(生命科学)による医薬品部門など、原料から中間製品、最終製品という流れの川下に位置づけられる高付加価値分野にまで事業領域を拡大しており、日本の化学工業は多様な展開を果たしている。

[大竹英雄]

『有沢広巳編『現代日本産業講座Ⅳ 化学工業』(1959・岩波書店)』『渡辺徳二編『現代日本産業発達史第13 化学工業 上』(1968・現代日本産業発達史研究会)』『渡辺徳二編『戦後日本化学工業史』(1973・化学工業日報社)』『『石油化学工業10年史』『石油化学工業20年史』(1971、1981・石油化学工業協会)』『『季刊化学総説No.47 有機合成化学の新潮流』(2000・学会出版センター)』『重化学工業通信社・化学チーム編『日本の石油化学工業』2010年版(2009・重化学工業通信社)』『化学工業日報社編・刊「化学工業白書」2010年版、2011年版(月刊『化学経済』臨時増刊号)』『化学工業日報社編・刊『化学工業年鑑』『ケミカルビジネスガイド』各年版』『経済産業省経済産業政策局編『化学工業統計年報』各年版(経済産業調査会)』

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百科事典マイペディア 「合成化学工業」の意味・わかりやすい解説

合成化学工業【ごうせいかがくこうぎょう】

合成反応を通じて化学品を生産する工業で,化学工業の主体をなす。第2次大戦前の代表的製品はアンモニア,染料,戦後は高分子化学品。日本では1914年染料工業,1923年アンモニア合成が発足,戦後は1950年以降外国技術の大量導入で合成樹脂合成繊維合成ゴムなどが発展,特に1955年以降石油化学工業の登場で飛躍的な成長をとげた。

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