中国、安徽(あんき)省中部にある地級市で、同省の省都。4市轄区、4県を管轄し、1県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口501万9461(2010)。肥水(ひすい)に沿い、南に巣湖(そうこ)を控え、水路網が縦横に走る皖中(かんちゅう)平原の中心地で、中原(ちゅうげん)と江南を結ぶ交通路上の要地として発展した。春秋時代は舒(じょ)国の地で、漢代に合肥県が置かれた。隋(ずい)代に廬州(ろしゅう)が置かれ、南宋(なんそう)代には金(きん)に対する最前線となり交易場が置かれた。明(みん)・清(しん)代は廬州府治であった。1949年に市が設けられ、安慶(あんけい)から省都をここに移した。
かつては消費都市であったが、中華人民共和国成立後、各種工業が急速に発達し総合工業都市となった。鉄鋼、鉱山用機械、電動機、紡織、化学、電子機器、建築材料などの工場が立地している。旧城壁の取り払われた跡が環状道路となり、城濠(じょうごう)の跡が環城(かんじょう)公園に姿を変えた。旧市街南方に広大な新市街地が形成されている。名勝・旧跡には逍遙津園(しょうようしんえん)、教弩台(きょうどだい)などがある。
[林 和生・編集部 2017年7月19日]
中国,安徽省の省都。省の中央に位置し,長江(揚子江)流域と淮河(わいが)流域の中間にあって水陸交通の中心。淮南鉄道(蚌埠(ぼうふ)~蕪湖北)が通る。長豊県,肥東県,肥西県を含めて合肥市を構成する。面積は7025km2(市区は458km2),市区人口166万(2000)。周辺は淮南の水田を主とする農耕地帯で,合肥は小麦や米の集散中心として発達した商業都市であったが,現在は省都として政治・文化の中心で,工業都市としても発達しつつある。特に内陸地区開発の中心として中央から重視され,中国科学技術大学などの新しいタイプの高等教育機関も置かれている。漢代にすでに県が置かれ,南北朝時代には南北の境界地帯であった。元来,施水が肥水に合する地点であったため,この地名が生まれたという。江淮地方の開発の進展とともに,都市網も充実し,隋には廬江郡が置かれ,唐以後清まで廬州の治所であった。解放後,市となり,安慶(懐寧)から省治が移された。三国時代魏の南境であったため,合肥新城の遺構,曹操の教弩台(明教台),張遼(169-222)の逍遥津などの遺跡がある。清代には李鴻章,段祺瑞など多数の人材が輩出している。
執筆者:秋山 元秀
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