向町(読み)むかいちよう

日本歴史地名大系 「向町」の解説

向町
むかいちよう

[現在地名]前橋市住吉町すみよしちよう一丁目・平和町へいわまち一―二丁目

こまざわ町から広瀬ひろせ川に沿って西に延びる沼田街道に沿った通筋で、南の広瀬川との間に神明しんめい町がある。北ははぎ村、西は岩神いわがみ村で、岩神村のうち向町の延長の利根川に接する通りを大渡おおわたり町と称した時期もある。大渡町は細ヶ沢町持で、名主兼帯である。貞享元年(一六八四)の「前橋風土記」に町名がある。明和八年(一七七一)一月一二日向町の紺屋与茂右衛門方から出火した火事は、西北の激しい季節風にあおられ、計一二町、寺九・町家六〇〇軒が焼失した。この時向町の総家数一三〇軒のうち二二軒が焼失、その竈数二四、焼失した土蔵五であった(松平藩日記)。安永九年(一七八〇)一一月一六日の火事の火元も同人で、被害は四八二軒に及んだ。


向町
むかいまち

[現在地名]宮古市向町

もと町際より山口やまぐち川に架かる土橋御水主おかこ町橋(のちの高橋)のたもとから南に閉伊へい川の渡場まで延びた町。元禄(一六八八―一七〇四)から享保(一七一六―三六)にかけての宮古町の膨張期に、御水主屋敷のはずれから伝馬屋敷町屋などが立並び始めて成立した。盛岡藩船宮古丸・寅丸の両船に乗組んでいた五駄二人扶持のお抱御水主、船頭二人・水主一八人の組屋敷で構成する御水主町東西で隣接する。


向町
むかいまち

[現在地名]七戸町 城後じようあと東上川原ひがしかみかわら後川原うしろかわら前川原まえかわら

通称向町。七戸村の町方の南西方、作田さくた川の南対岸に位置する。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に町名がみえ、家数六とある。


向町
むかいまち

[現在地名]大館市向町

けい城南部に位置し、大館所預の家士が居住する武家町。元禄一七年(一七〇四)の大館城下絵図に「むかい町」とある。東西に走る道路沿いに形成され、西は外町の新とまちのしん町に連なり、南は谷地やち町。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の向町の言及

【最上[町]】より

…最上川の支流小国川の上流域を占め,中央部に小国盆地の平たん地が開ける。中心集落は向町(むかいまち)で,JR陸羽東線,国道47号線が東西に通る。江戸時代から小国馬の産で知られ,明治・大正期には県下一の牧馬地域として発展し,馬市がにぎわった。…

※「向町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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