日本歴史地名大系 「吹浦遺跡」の解説
吹浦遺跡
ふくらいせき
鳥海山(二二三七メートル)の泥流が築いた西裾の南に舌状に突出する台地上、標高五―一六メートルの緩斜面にある。庄内平野と庄内砂丘の北端を限る山裾にあり、眼下の
大正八年(一九一九)に貝塚が出土し、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
鳥海山(二二三七メートル)の泥流が築いた西裾の南に舌状に突出する台地上、標高五―一六メートルの緩斜面にある。庄内平野と庄内砂丘の北端を限る山裾にあり、眼下の
大正八年(一九一九)に貝塚が出土し、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
山形県飽海郡遊佐町吹浦字堂屋にある縄文時代前期末から中期初めにかけての遺跡。庄内平野の北端にあたる鳥海山麓にあり,吹浦川の河口に近い丘陵台地に立地する。遺跡にはヤマトシジミの貝殻からなる直径1mほどの小さな貝塚が6ヵ所ほど分布する。1919年,当時一本木貝塚とよばれた遺跡の一部について小規模な調査が行われたが,51-54年に数回にわたって発掘調査が行われ,平面長方形で6本の柱穴をもち炉を伴う竪穴住居跡,洞穴,フラスコ状の竪穴,石器製作所などを検出した。土器はこの地方の縄文時代前期末の標式資料とされ,吹浦式と命名された。土器のほかに,石鏃,石匕,石槍,石錐,擦切石斧,磨製石斧,砥石,玦状耳飾(未成品),綾杉文を線刻した岩版などがある。出土品は鶴岡市の致道博物館で展示されている。
執筆者:藤沼 邦彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
山形県飽海(あくみ)郡遊佐(ゆざ)町吹浦にある縄文前期末より中期初頭の遺跡。鳥海(ちょうかい)山の裾野(すその)が海岸に延びる台地上にあり、西に日本海が開けている。1919年(大正8)長谷部言人(はせべことんど)によって調査された一本木貝塚はこの遺跡に含まれる。数少ない日本海側の貝塚として注目され、51年(昭和26)より53年まで致道(ちどう)博物館によって、三次にわたり発掘調査が行われた。貯蔵穴として利用されたと思われる小横穴6個、長方形の竪穴(たてあな)住居跡、石器製作跡などが発見された。この遺跡から出土する土器は東北地方北部の円筒土器と南部の松島湾岸の大木(だいぎ)系土器が融合折衷した独特のもので、「吹浦式」とよばれ、北と南の文化上の接点として注目される。県指定史跡。
[川崎利夫]
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新