デジタル大辞泉
「大物忌神社」の意味・読み・例文・類語
おおものいみ‐じんじゃ〔おほものいみ‐〕【大物忌神社】
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おおものいみ‐じんじゃおほものいみ‥【大物忌神社】
- 山形県飽海郡遊佐町、鳥海山にある神社。旧国幣中社。祭神は大物忌神。山頂に本殿、ふもとの吹浦、蕨岡に口之宮(里宮)がある。出羽国一の宮。鳥海山大物忌神社。鳥海山。
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大物忌神社 (おおものいみじんじゃ)
山形県飽海郡遊佐町,鳥海山上に鎮座。旧国幣中社。正称は鳥海山大物忌神社。吹浦と蕨岡に口ノ宮がある。倉稲魂(うかのみたま)神と同神格という大物忌神をまつるが,本来はこの地方第一の高峰それ自体を対象とした自然神崇拝で,山岳仏教が関係して修験道の聖地となった。ことに平安時代には噴火などを神異とし,蝦夷の乱や東シナ海の海賊の寇など兵変に関連して国家から深い崇敬を受け,神階は正二位に昇った。吹浦口ノ宮である〈月山大物忌両神社〉は出羽国の一宮で,《延喜式》では名神大社。中世には鎌倉幕府や南朝方勢力に,近世には江戸幕府や最上氏,酒井氏に崇敬され,種々寄進をうけた。例祭は吹浦は5月8日,蕨岡は5月3日。
執筆者:新野 直吉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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大物忌神社【おおものいみのじんじゃ】
山形県飽海郡遊佐町吹浦(ふくら)に鎮座。大物忌神をまつる。鳥海山に本社,吹浦と蕨岡にそれぞれ口の宮がある。景行天皇の時の鎮座と伝える。延喜式内の名神大社とされ出羽国の一宮。鳥海修験の拠点であった。例祭は吹浦口の宮5月8日,蕨岡口の宮5月3日で隔年に執行。ほかに筒粥神事(旧1月5日),御浜出神事(旧6月14日),山開祭(旧6月1日)などがある。
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大物忌(おおものいみ)神社
山形県飽海郡遊佐町にある神社。祭神は大物忌神。本社は国指定史跡の鳥海山山頂に位置し、「口の宮」と呼ばれる里宮が麓の吹浦と蕨岡の2か所にある。出羽国一之宮。「鳥海山大物忌神社」とも。
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大物忌神社
おおものいみじんじゃ
山形県飽海郡遊佐町鳥海山上に鎮座。元国幣中社。祭神はオオモノイミノカミ。出羽国一の宮。例祭5月3,8日。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の大物忌神社の言及
【鳥海山】より
…《三代実録》貞観13年(871)の条には,噴火で流出した溶岩泥流の中に大蛇2匹とそれに従う無数の小蛇が見られたとあり,大物忌神の本体は蛇体であったことを思わせる。山上の[大物忌神社]は出羽国一宮として崇敬されたが,吹浦(ふくら),蕨岡(わらびおか)(ともに山形県飽海(あくみ)郡遊佐町),矢島(秋田県由利郡矢島町)などの登山口には里宮が設けられ,中世以降それぞれ鳥海修験の一派をなした。彼らはその檀那場を配札や治病の加持祈禱をして回ったほか,番楽と称する舞楽を伝えて歩いた。…
※「大物忌神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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