大蔵流(読み)オオクラリュウ

デジタル大辞泉 「大蔵流」の意味・読み・例文・類語

おおくら‐りゅう〔おほくらリウ〕【大蔵流】

狂言の流派の一。南北朝時代玄恵法印を初世とするが、事実上は8世の金春四郎次郎こんぱるしろうじろうを祖とする。現在、大蔵宗家・山本・茂山・善竹の四家がある。

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精選版 日本国語大辞典 「大蔵流」の意味・読み・例文・類語

おおくら‐りゅうおほくらリウ【大蔵流・大倉流】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 能楽囃子(はやし)小鼓方(こつづみかた)の流派の一つ。流祖は金春禅竹の弟の大蔵九郎能氏
  3. 能楽の同じく大鼓方(おおつづみかた)の流派の一つ。流祖は小鼓方と同じ。
  4. 能楽の狂言方の流派の一つ。流祖は、金春禅竹の末子四郎次郎とも、玄恵(げんえ)法印ともいう。狂言のもっとも古い流派で、近世まで金春流の座付きとして活躍した。おもに彌右衛門または彌太郎と名乗ることが多い。現在では東京に大蔵・山本の両家、関西に茂山・善竹の両家がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「大蔵流」の意味・わかりやすい解説

大蔵流 (おおくらりゅう)

狂言の流派の一つ。もと金春(こんぱる)座付で,江戸時代は幕府などに召し抱えられたが,現在は東京・京阪神を中心に活動している。南北朝時代の天台宗の学僧玄恵法印を流祖とし,その芸系が金春禅竹の末子,金春四郎次郎,その養子の宇治弥太郎らを経て,10世大蔵弥右衛門まで伝えられてきたと伝承するが確かでない。大蔵姓は金春座の庶流大蔵大夫家の分家格となったことによるもので,宇治猿楽より出て大和猿楽金春座の狂言方となって流儀が確立したと考えられる。宇治弥太郎は吉野猿楽から出た日吉満五郎の教えを受けたと伝えられ,鷺流和泉流と同じ芸系にあることになる。宗家は代々,初名を弥太郎,のちに弥右衛門と称した。11世は織田信長より〈虎〉の字を拝領して虎政と名のり,12世虎清より江戸幕府お抱えとなった。その後大蔵虎明(とらあきら)・栄虎と継ぎ,縁虎の代に江戸へ移住,虎純・虎教・虎里・虎寛・虎文・虎武と継ぎ,明治時代になって虎年が奈良へ戻り,虎一が継いだが中絶した。芸統は弟子家によって支えられ,1941年に茂山(しげやま)弥五郎(後の善竹(ぜんちく)弥五郎)の次男吉次郎が24世宗家となり,大蔵弥太郎(1912-2004)と改めた。2005年その長男が25世を継承。江戸時代に多くの分家を生じ,八右衛門家のほか,虎清の弟虎重が弥惣右衛門(やそうえもん)家,栄虎の弟武則が長太夫(ちようだゆう)家,虎教の弟虎輔が弥太夫(やだゆう)家を興した。それに伴い観世座を除く諸座の座付狂言方を占めるようになり,地方諸藩にも広がって,茂山家,山本家などの弟子家を生じた。現在,能楽協会に登録された大蔵流の狂言師は約70名である。台本は代々の宗家,各弟子家のものがあるが,《大蔵虎明本》(1642)が最古本で,中世の狂言をうかがわせる貴重な資料である。《大蔵虎寛本》(1792)は固定期の台本で,現行の演出に近い。《大蔵虎明本》には236曲を収めるが,《大蔵虎寛本》では165曲,明治以後増減があり,現行曲は180曲である。固有曲は少なく,他流に比べて演出の類型性が目だつ。幕府お抱えの狂言として洗練された〈四座(よざ)の狂言〉というべきもので,狂言の主流を成す。芸風も〈四座の狂言〉らしく剛健で能に近い趣があるといわれ,山本家では今もその芸風の維持に努めているようだが,茂山諸家は写実味を加えて,和泉流との大きな差異は認められない。

分家の筆頭で,独自の曲目・台本を持ち,一派を成した。虎明の弟清虎が初世,3世時虎の代に金剛座付に転じて江戸へ移住,7世虎光などが継いだが,明治時代に断絶した。

元来京都の狂言師として続いた家らしいが,江戸後期に茂山久蔵英政の弟子正虎が9世を継ぎ,近江井伊藩に召し抱えられて茂山千五郎家が確立した。相弟子の義直は分家茂山忠三郎家を興し,その子良豊の義子弥五郎も別家を興し1963年能の金春流宗家より善竹の姓を贈られて善竹家となった。千五郎家では正虎の孫茂山千作(1896-1986)が重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝)を受け,その息12世千五郎・千之丞ら,茂山忠三郎家では良豊の孫4世忠三郎らが京都を中心に活躍し,善竹家では弥五郎の息忠一郎・玄三郎・幸四郎らが阪神を中心に,現宗家の大蔵弥太郎,善竹圭五郎らが東京を中心に活躍している。

豊後岡(竹田)中川藩の江戸詰藩士であった山本東次郎則正(東(あずま))が初世。則正は倉谷(くらたに)家の狂言を学び,明治維新後の東京で活躍。以後代々東京大蔵流の孤塁を守り,現在4世山本東次郎(1937- ),その弟則直・則俊らがいる。
狂言
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大蔵流」の意味・わかりやすい解説

大蔵流
おおくらりゅう

狂言の流儀。宗家の伝えでは南北朝時代の比叡山(ひえいざん)の学僧玄恵法印(げんえほういん)(1269―1350)を流祖とするが、芸統は室町後期の宗家9世宇治弥太郎政信(まさのぶ)のころに成立したらしい。宗家は代々大和猿楽(やまとさるがく)の金春(こんぱる)座に属し、江戸時代に入ると、宗家弥右衛門(やえもん)家のほかに八右衛門(はちえもん)家、弥太夫(やだゆう)家などの分家もでき、それぞれ幕府御用を勤めたが、明治維新後の能楽衰微期にいずれも廃絶した。しかし、東京は宗家系の山本東次郎(とうじろう)家、関西は京都で形成された禁裏(宮中)御用の家柄である茂山(しげやま)千五郎・忠三郎(ちゅうざぶろう)両家によって流勢が保たれた。現在は、茂山忠三郎家から分かれた善竹弥五郎(ぜんちくやごろう)の次男で中絶していた宗家を継いだ故24世大蔵弥右衛門の子弥太郎と、弥右衛門の甥(おい)の善竹十郎が、4世山本東次郎家とともに東京に住み、茂山千五郎家(4世千作、13世千五郎、2世千之丞(せんのじょう))、4世茂山忠三郎、善竹家(玄三郎、幸四郎、2世忠一郎)らが京阪神で活躍している。芸風は、同流でありながら、山本家は生硬で様式的、茂山家系は柔軟で写実的と、狂言の芸質の幅広さを示す。

[小林 責]

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百科事典マイペディア 「大蔵流」の意味・わかりやすい解説

大蔵流【おおくらりゅう】

狂言の最も古い流派。もと金春(こんぱる)座(金春流)に属した。59番の狂言を書いたという南北朝の玄恵法印を系図上の流祖とする。《わらんべ草》の著者13世大蔵虎明(とらあきら)〔1597-1662〕が中興の祖。東京で24世大蔵弥右衛門家,山本東次郎家,関西で茂山千五郎家,茂山忠三郎家,善竹弥五郎家が活躍。流風は和泉流の円滑に比して武張った古風さを残す。
→関連項目狂言茂山千作茂山千之丞善竹弥五郎中村勘三郎山本東次郎

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大蔵流」の意味・わかりやすい解説

大蔵流
おおくらりゅう

狂言の流派。系図のうえでは比叡山の玄恵法印を流祖とし,金春禅竹の末子金春四郎次郎の養子宇治弥太郎を経て,10世大蔵弥右衛門の代に流儀が確立したと伝えられる。宗家は初名を弥太郎,のちに弥右衛門と称し,代々金春座の座付で,江戸時代は分家に弥惣右衛門家,八右衛門家,弥太夫家などがあった。宗家 13世虎明に『わらんべ草』の著があり,八右衛門派7世虎光に『狂言不審紙』の著がある。現在は,東京の山本東次郎家,京阪の茂山千五郎,同忠三郎両家によって代表される。現家元 24世弥右衛門は,忠三郎家の分派善竹弥五郎の次男。茂山家は写実的な芸風をもち,山本家は硬い芸風で対照的である。

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