大蔵流(読み)おおくらりゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大蔵流
おおくらりゅう

狂言の流派。系図のうえでは比叡山の玄恵法印を流祖とし,金春禅竹末子金春四郎次郎の養子宇治弥太郎を経て,10世大蔵弥右衛門の代に流儀が確立したと伝えられる。宗家は初名を弥太郎,のちに弥右衛門と称し,代々金春座の座付で,江戸時代は分家に弥惣右衛門家,八右衛門家,弥太夫家などがあった。宗家 13世虎明に『わらんべ草』の著があり,八右衛門派7世虎光に『狂言不審紙』の著がある。現在は,東京の山本東次郎家,京阪の茂山千五郎,同忠三郎両家によって代表される。現家元 24世弥右衛門は,忠三郎家の分派善竹弥五郎の次男。茂山家は写実的な芸風をもち,山本家は硬い芸風で対照的である。

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百科事典マイペディアの解説

大蔵流【おおくらりゅう】

狂言の最も古い流派。もと金春(こんぱる)座(金春流)に属した。59番の狂言を書いたという南北朝の玄恵法印を系図上の流祖とする。《わらんべ草》の著者13世大蔵虎明(とらあきら)〔1597-1662〕が中興の祖。東京で24世大蔵弥右衛門家,山本東次郎家,関西で茂山千五郎家,茂山忠三郎家,善竹弥五郎家が活躍。流風は和泉流の円滑に比して武張った古風さを残す。
→関連項目狂言茂山千作茂山千之丞善竹弥五郎中村勘三郎山本東次郎

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世界大百科事典 第2版の解説

おおくらりゅう【大蔵流】

狂言の流派の一つ。もと金春(こんぱる)座付で,江戸時代は幕府などに召し抱えられたが,現在は東京・京阪神を中心に活動している。南北朝時代の天台宗の学僧玄恵法印を流祖とし,その芸系が金春禅竹の末子,金春四郎次郎,その養子の宇治弥太郎らを経て,10世大蔵弥右衛門まで伝えられてきたと伝承するが確かでない。大蔵姓は金春座の庶流大蔵大夫家の分家格となったことによるもので,宇治猿楽より出て大和猿楽金春座の狂言方となって流儀が確立したと考えられる。

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大辞林 第三版の解説

おおくらりゅう【大蔵流】

狂言の流派の一。宗家系図は南北朝時代の玄恵げんえを流祖とするが未詳。金春こんぱる四郎二郎の養子宇治弥太郎から大蔵と称した。現在、大蔵(宗家)・山本・茂山・善竹の四家がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大蔵流
おおくらりゅう

狂言の流儀。宗家の伝えでは南北朝時代の比叡山(ひえいざん)の学僧玄恵法印(げんえほういん)(1269―1350)を流祖とするが、芸統は室町後期の宗家9世宇治弥太郎政信(まさのぶ)のころに成立したらしい。宗家は代々大和猿楽(やまとさるがく)の金春(こんぱる)座に属し、江戸時代に入ると、宗家弥右衛門(やえもん)家のほかに八右衛門(はちえもん)家、弥太夫(やだゆう)家などの分家もでき、それぞれ幕府御用を勤めたが、明治維新後の能楽衰微期にいずれも廃絶した。しかし、東京は宗家系の山本東次郎(とうじろう)家、関西は京都で形成された禁裏(宮中)御用の家柄である茂山(しげやま)千五郎・忠三郎(ちゅうざぶろう)両家によって流勢が保たれた。現在は、茂山忠三郎家から分かれた善竹弥五郎(ぜんちくやごろう)の次男で中絶していた宗家を継いだ故24世大蔵弥右衛門の子弥太郎と、弥右衛門の甥(おい)の善竹十郎が、4世山本東次郎家とともに東京に住み、茂山千五郎家(4世千作、13世千五郎、2世千之丞(せんのじょう))、4世茂山忠三郎、善竹家(玄三郎、幸四郎、2世忠一郎)らが京阪神で活躍している。芸風は、同流でありながら、山本家は生硬で様式的、茂山家系は柔軟で写実的と、狂言の芸質の幅広さを示す。[小林 責]

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