狂言の流儀。宗家の伝えでは南北朝時代の比叡山(ひえいざん)の学僧玄恵法印(げんえほういん)(1269―1350)を流祖とするが、芸統は室町後期の宗家9世宇治弥太郎政信(まさのぶ)のころに成立したらしい。宗家は代々大和猿楽(やまとさるがく)の金春(こんぱる)座に属し、江戸時代に入ると、宗家弥右衛門(やえもん)家のほかに八右衛門(はちえもん)家、弥太夫(やだゆう)家などの分家もでき、それぞれ幕府御用を勤めたが、明治維新後の能楽衰微期にいずれも廃絶した。しかし、東京は宗家系の山本東次郎(とうじろう)家、関西は京都で形成された禁裏(宮中)御用の家柄である茂山(しげやま)千五郎・忠三郎(ちゅうざぶろう)両家によって流勢が保たれた。現在は、茂山忠三郎家から分かれた善竹弥五郎(ぜんちくやごろう)の次男で中絶していた宗家を継いだ故24世大蔵弥右衛門の子弥太郎と、弥右衛門の甥(おい)の善竹十郎が、4世山本東次郎家とともに東京に住み、茂山千五郎家(4世千作、13世千五郎、2世千之丞(せんのじょう))、4世茂山忠三郎、善竹家(玄三郎、幸四郎、2世忠一郎)らが京阪神で活躍している。芸風は、同流でありながら、山本家は生硬で様式的、茂山家系は柔軟で写実的と、狂言の芸質の幅広さを示す。
[小林 責]
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