デジタル大辞泉
「野村万蔵」の意味・読み・例文・類語
のむら‐まんぞう〔‐マンザウ〕【野村万蔵】
[1898~1978]和泉流狂言方。6世。東京の生まれ。前名、万作・万造。洒脱な芸風で狂言の地位を高めた。
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のむら‐まんぞう【野村万蔵】
- 昭和期の狂言師。和泉流狂言方。六世。東京の生まれ。前名、万作・万造。父、五世万蔵に師事。洒脱な芸風で狂言の地位を高めた。昭和三二年(一九五七)、重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定される。著に「狂言の道」「狂言の面」。明治三一~昭和五三(一八九八‐一九七八)
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野村 万蔵(6代目)
ノムラ マンゾウ
- 職業
- 狂言師(和泉流),能面作家
- 肩書
- 和泉流野村万蔵家6代目 重要無形文化財保持者(狂言)〔昭和42年〕,日本芸術院会員〔昭和49年〕
- 本名
- 野村 万作(ノムラ マンサク)
- 別名
- 前名=野村 万造(6代目)
- 生年月日
- 明治31年 7月22日
- 出生地
- 東京市 本所区(東京都 墨田区)
- 学歴
- 下谷実〔明治45年〕
- 経歴
- 5代目野村万造(初代野村萬斎)の長男。父に師事し、明治36年「靱猿」の猿で初舞台。43年面打ちの下村清時に入門。44年「三番叟」、大正6年「釣狐」を披き、12年6代目万造を襲名し、「花子」を披く。昭和15年3代までの名であった万蔵に改名。30年日本橋白木屋の要請で“白木狂言の会”を創立、新しい観客の開拓に貢献し、狂言ブームを起こす。32年から日本能楽会会員。34年万蔵の会、40年からは野村狂言の会を主宰。太郎冠者を得意とし、歯切れのよさとユーモアあふれる軽妙洒脱な芸風で知られる。42年人間国宝に認定され、49年には狂言初の日本芸術院会員に選出される。この間、38年に渡米、ワシントン大学東洋芸術研究所の客員教授として実技指導、カーネギーホール公演など海外普及に尽力。他の代表作に「見物左衛門」「萩大名」「木六駄」など。また、能面作家としても著名。著書に「狂言の道」「狂言面」「狂言芸話」「夏に技・冬に声」など。高浜虚子門下の俳人でもある。
- 受賞
- 芸術選奨文部大臣賞(昭32年度)〔昭和33年〕,日本芸術院賞〔昭和45年〕 勲四等旭日小綬章〔昭和43年〕,勲三等瑞宝章〔昭和53年〕 広瀬記念能楽賞〔昭和36年〕,芸術祭賞〔昭和37年〕「武悪」,芸術祭賞奨励賞〔昭和43年〕「粟田口」,芸術祭賞大賞〔昭和46年〕「靭猿」
- 没年月日
- 昭和53年 5月6日 (1978年)
- 家族
- 父=野村 万斎(初代),長男=野村 万蔵(7代目),二男=野村 万作(2代目),四男=野村 四郎(観世流シテ方),五男=野村 万之介,弟=三宅 藤九郎(9代目)
- 伝記
- 最期の台詞―演劇人に学ぶ死の作法終幕の思想―演劇人の死太郎冠者を生きる 北川 登園 著北川 登園 著野村 万作 著(発行元 STUDIO CELLO白水社白水社 ’07’93’91発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
野村万蔵
のむらまんぞう
(1898―1978)
能楽師。和泉流(いずみりゅう)狂言方。江戸時代には加賀(石川県)前田藩の町方狂言師であった野村万蔵家の6世。明治初年に上京した5世万造(隠居名、萬斎(まんさい))の長男として、東京に生まれる。前名万作、万造。規矩(きく)正しい神経の行き届いた芸風で狂言の近代化を達成し、晩年には軽妙洒脱(しゃだつ)の風を加えた。国内はもとより欧米への狂言の普及にも貢献。1967年(昭和42)重要無形文化財各個指定(人間国宝)の認定を受ける。69年度芸術院賞を受賞。74年には狂言方から初めて日本芸術院会員に選ばれた。少年時より下村清時(きよとき)に師事、能面作家としても一家をなした。著書に『狂言の道』『狂言面』『夏に技冬に声』『狂言芸話』がある。長男7世万蔵(野村萬(まん))、次男2世万作、五男万之介(まんのすけ)が家芸を継ぎ、7世万蔵は97年(平成9)重要無形文化財各個指定(人間国宝)の認定を受ける。9世三宅藤九郎(みやけとうくろう)は実弟。なお、万蔵の名は、7世万蔵の長男5世野村万之丞に8世襲名が決まっていたが、万之丞は2004年に死去、次男2世野村与十郎が05年に9世万蔵を襲名、万之丞に8世が追贈された。
[小林 責]
『古川久・小林責編『野村万蔵著作集』(1982・五月書房)』
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野村 万蔵(6代目)
ノムラ マンゾウ
明治〜昭和期の狂言師(和泉流) 和泉流野村万蔵家6代目。
- 生年
- 明治31(1898)年7月22日
- 没年
- 昭和53(1978)年5月6日
- 出生地
- 東京
- 別名
- 初名=万作,前名=野村 万造(6代目)
- 学歴〔年〕
- 下谷実業〔明治45年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術選奨文部大臣賞〔昭和32年〕,広瀬能楽賞〔昭和36年〕,芸術祭賞〔昭和37年〕「武悪」,芸術祭奨励賞〔昭和43年〕「粟田口」,勲四等旭日小綬章〔昭和43年〕,日本芸術院賞〔昭和45年〕,芸術祭大賞〔昭和46年〕「靭猿」
- 経歴
- 5代目万造(のちの野村萬斎)の長男。父に師事し、明治36年「靱猿」の猿で初舞台。44年「三番叟」、大正6年「釣狐」を披き、11年6代目万造を襲名し、12年「花子」を披く。昭和15年3代までの名であった万蔵に改名。戦後は万蔵の会、40年からは野村狂言の会を主宰。32年から日本能楽会会員。太郎冠者を得意とし、歯切れのよさとユーモアあふれる軽妙洒脱な芸風で知られる。42年には人間国宝に指定され、49年には狂言初の日本芸術院会員。この間、38年には渡米、ワシントン大学東洋芸術研究所の客員教授として実技指導、カーネギーホール公演など海外普及に尽力。また能面作家としても著名。著書に「狂言の道」「狂言面」「狂言芸話」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
野村万蔵 (のむらまんぞう)
生没年:1898-1978(明治31-昭和53)
狂言師。和泉流狂言方。野村万蔵家6世。5世野村万造(のち万斎)の長男。前名万作,万造。1903年《靱猿(うつぼざる)》で初舞台。40年3世までの名であった万蔵に改名。規矩正しく神経の行き届いた演技は晩年軽妙洒脱(しやだつ)な芸境にいたり,多くのファンを獲得するとともに狂言の社会的地位を高めた。67年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され,74年日本芸術院会員となる。また,若年から下村清時に入門して能面製作を修業,能面作家としても著名。著書に《狂言の道》(1955),《狂言面》(1956),《夏に技冬に声》(1974),《狂言芸話》(1981)がある。息子のうち長男野村万之丞(1930- ),次男野村万作(1931- ),五男万之介(1939- )は狂言方として,四男四郎(1936- )は観世流シテ方として活躍している。また同じく人間国宝の狂言師9世三宅藤九郎(1901-90)は実弟である。
執筆者:羽田 昶
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
野村万蔵(6世)
のむらまんぞう[ろくせい]
[生]1898.7.22. 東京
[没]1978.5.6. 東京
和泉流の狂言師。加賀藩の町方狂言師であった野村万蔵家の6世。明治維新後に上京し和泉流の復興に努めた。5世野村万造 (野村萬斎 ) の長男。前名は万作。 24歳で6世万造を襲名,1940年万蔵と改名。洒脱で,歯切れのよい近代的な芸風で,太郎冠者狂言を最も得意とした。文部大臣賞,芸術祭大賞,日本芸術院賞などを受け,1967年重要無形文化財保持者 (人間国宝) ,1974年日本芸術院会員。野村狂言の会を主宰した。また幼時から面打師の下村清時につき,能面づくりにおいても優れた才能を示した。著書に『狂言の道』 (1955) ,『狂言面』 (1956) がある。
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野村万蔵【のむらまんぞう】
能楽師。和泉(いずみ)流狂言方野村万蔵家6世。野村万斎〔1862-1938〕の長男。前名万作,万造。江戸前狂言と評される知的で洗練された芸風で,洒脱(しゃだつ)な太郎冠者物を得意とした。1967年人間国宝。1974年芸術院会員。1993年に7世万蔵を襲名した長男(前名万之丞)以下,次男万作,五男万之介それぞれ狂言師として活躍。また,9世三宅藤九郎〔1901-1990〕は実弟で1979年人間国宝。
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野村万蔵(7代) のむら-まんぞう
1930- 昭和-平成時代の能楽師狂言方。
昭和5年1月10日生まれ。6代野村万蔵の長男。2代野村万作の兄。和泉(いずみ)流。昭和9年初舞台。25年4代野村万之丞を襲名。武智鉄二演出の「夕鶴」出演をはじめとして現代演劇活動にも参加,62年芸術院賞。平成5年7代野村万蔵を襲名。9年人間国宝。12年隠居名の万(まん)を名のる。13年芸術院会員。20年文化功労者。東京出身。東京芸大卒。本名は太良(たろう)。
野村万蔵(6代) のむら-まんぞう
1898-1978 明治-昭和時代の能楽師狂言方。
明治31年7月22日生まれ。野村万斎の長男。和泉(いずみ)流。大正12年6代万造を襲名,のち万蔵に改名。欧米で公演するなど,狂言の海外普及につとめた。昭和42年人間国宝,49年芸術院会員。能面作家としても知られる。昭和53年5月6日死去。79歳。東京出身。初名は万作。著作に「狂言の道」「夏に技・冬に声」など。
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野村 万蔵(6代目) (のむら まんぞう)
生年月日:1898年7月22日
明治時代-昭和時代の能楽師狂言方;能面作家
1978年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の野村万蔵の言及
【狂言】より
…しかし大蔵流では,東京の山本東次郎家,関西の茂山(しげやま)千五郎家,茂山忠三郎家といった有力弟子家によって芸統が維持され,また和泉流も,京都から三宅庄市,金沢から野村与作らが上京して東京における和泉流の発展に力を尽くした。現在では両流の家元も再興され,大蔵流では前記の諸家や茂山忠三郎家から分かれた善竹(ぜんちく)家が主として東京・関西で,和泉流では野村万蔵家,三宅藤九郎家,野村又三郎家,名古屋の狂言共同社の人々が主として東京・名古屋でそれぞれ活躍している。ただ鷺流だけは,明治時代に中央で滅んだ後は再興されず,現在山口市や佐賀県地方,新潟県の佐渡にわずかにその芸が伝えられるにすぎない。…
※「野村万蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」