善照寺(読み)ぜんしようじ

日本歴史地名大系 「善照寺」の解説

善照寺
ぜんしようじ

[現在地名]彦根市薩摩町

薩摩さつま町西端近くの池沼北側にある。真野山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。善照寺略縁起(寺蔵)によれば、「四明ノ余流ヲクミ(中略)医王院ト号」し、本願寺蓮如の北陸下向の際、明言海津かいづ(現滋賀県マキノ町)で蓮如の勧化に触れ、天台宗より真宗に改宗したという。さらに、平田明照ひらたみようしよう寺などと番方講を組んで番役を勤め、石山合戦期には三代了明が一時坂田さかた郡に退転し、その間、犬上いぬかみ郡の厚信の門弟法善が身代りとして寺跡を守ったという。また二代慶了が永正元年(一五〇四)実如より下付された蓮如絵像の裏書に「江州愛智郡下庄薩摩興輪坊」とあることや、延宝五年(一六七七)本堂が建立されたことなども記す。一方、文化一三年(一八一六)に著された当寺来由付法世記全(寺蔵)によれば、蓮如に帰依した僧は滋賀郡真野まの(現滋賀県大津市)了覚で中興開基とされ、当初は興輪坊と号し、天文年中(一五三二―五五)に善照寺と改めた。


善照寺
ぜんしようじ

[現在地名]刈羽村寺尾

寺尾てらお集落の西にある。真言宗豊山派、曼荼羅山多宝院と号し、本尊阿弥陀如来。大同二年(八〇七)泰澄を開基とする。伝えでは初め原田はらだ(現柏崎市花田か)にあり、のち刈羽の船丸ふなもうる大湊おおみなと(現柏崎市)西元寺さいげんじの間の地へ移り、さらに現在地に移ったという。しかし曼荼羅山覿伝録(善照寺文書)によると、はじめは藤井ふじい(現柏崎市藤井か)にあり、一時廃絶して僧増珎により中興され、原田正寿しようじゆ寺が廃滅したあとの什具などを船丸精舎に納め、さらに現在地に移ったという。また正寿寺については、同寺能珍没後に増珎が正寿寺を兼帯したとしている。


善照寺
ぜんしようじ

[現在地名]古座町古座

古座大橋の東方山腹にある。仏光山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。「続風土記」によれば、開基は雑賀衆の山本善内之祐弘忠。石山合戦のとき、弘忠は八木与十郎なる者を討取り、剃髪して善空と称し、天正一三年(一五八五、一説には同九年)当寺を創建して善内ぜんない(善空寺)と号したという。同九年三月三日の刑部法眼・少進法橋連署書状(「続風土記」所収善照寺文書)の宛先人「コザ山本善吉」と善内は同一人物とみられる。また同年の山本弘忠書状(同文書)に、

<資料は省略されています>

とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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