国吉城跡
くによしじようあと
[現在地名]川上町七地
七地南方、領家川(上流は大竹川)と三沢川が合流する地頭の谷底盆地を眺望する標高四一九・六メートルの高所にある。別名手の庄城・手之城。城郭は総延長一六〇メートルの南北に連続する四郭と、郭の西側から南側に延びる脇郭(通称馬場)で構成される。郭面の比高約一二メートル内に一の壇から四の壇が単調に配置されるのに対し、脇郭は郭面から一五―三〇メートルの距離を隔て比高二〇メートル内に、城郭西側を郭面に並行して直線的に走り南側に至る大規模な構造で、攻撃・防御上ともに優れた配置となっている。
国吉城跡
くによしじようあと
[現在地名]土居町入野
入野の集落より四、五町南、入野村と浦山村の境にあった城。天保一三年(一八四二)の「西条誌」によると「上の平東西八十間、南北五十間」の城跡であったが城主など詳細は不明。村内に国吉の下屋敷跡と伝えられる所があり、その堀跡といわれる堀の内の地名も残る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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