日本大百科全書(ニッポニカ) 「地主制」の意味・わかりやすい解説
地主制
じぬしせい
戦前期日本農村社会の支配的な土地所有制度であり、前近代的・半封建的な高率高額小作料収取を基本とする。小作料に寄生して生活する寄生地主が地主制の中核を構成するので、寄生地主制ともいう。地主制は、幕藩体制のもとで展開し、質地(しっち)小作・名田(みょうでん)小作などを典型として幕末期には耕地の約3割が小作地となった。しかし、明治維新後の地主制は、高率高額小作料と低賃金の相互関係を形成しながら日本資本主義と密接な関連をもって発展したところにその特質があり、幕藩体制のそれとは段階的に区別される必要がある。
明治維新による土地改革=地租改正は、領主的土地所有を廃絶するとともに私的土地所有権を認めた地租金納化を実施したが、土地所有権に対する耕作権(小作権)はきわめて弱く、地主・小作関係は前近代的・半封建的な性格を色濃く残していた。1881年(明治14)から松方デフレが始まると、農民や中小地主の没落が続き、一部の地主への土地集中が進んだ。こうして1900年代の初めごろには、小作地率が約45%に、収穫高に対する小作料の比率(小作料率)は50~60%にそれぞれ達し、地主制が広範に確立した。
[大門正克]
地主制と資本主義
小作料の重圧に苦しむ小作農は、農業だけでは生活できず、婦女子や二、三男を製糸・紡績業などに大量に出稼ぎに出さざるをえなかった。小作農家は、彼らの賃金に家計補充されることでようやく生計が維持できた。また逆に、繊維産業にとっては農村からの大量な低賃金労働力が発展の基礎となった。ここに、高率小作料と低賃金の相互規定関係が成立し、この関係のもとで日本資本主義と地主制は発展の相互補完的関係を取り結んでいた。また地主は、日清(にっしん)・日露戦後になると財政政策などにも誘導されて、小作料収入を土地投資へ向けるよりは銀行・鉄道・電力などの株式・社債や国債への投資に向けるようになった。かくして地主制は、労働力と資金の2局面において日本資本主義と緊密な関係を取り結んだ。
地主は、政治的にも貴族院多額納税議員をはじめ、地租を中心にした納税額の制限選挙による衆議院議員や地方議員に進出した。大地主から零細地主に至る地主的ヒエラルヒーは、天皇制国家の社会的支柱として中央から地方の政治に絶大な権限を発揮した。
[大門正克]
衰退する地主制
しかし、第一次世界大戦に伴う経済変動は、地主制の経済的・社会的機能に大きな変化をもたらした。第一次大戦による日本資本主義の発展とその後の独占資本の確立は、日本経済および国家財政における地主制への経済的依存を徐々に弱めることになる。さらに1918年(大正7)の米騒動は、低米価を要求する独占資本と高米価を求める地主制との利害差を明白にした。1920年代以降、資本主義にとって地主制はしだいに相互補完から桎梏(しっこく)へと転化しだしたのである。1920年恐慌を前後して急速に高揚した小作争議は、地主制の社会的機能に大きな打撃を与えることになり、小作料水準は徐々に低くなっていった。資本主義的市場の開けた西日本を中心として、第一次大戦の経済変動やデモクラシー思想、米騒動の影響を受けた小作農は、農業労働の価値意識に目覚め、各地で小作料の減免を地主に突きつけた。1922年に創設された日本農民組合が、この小作農の闘いを大きく前進させた。
1920年代にその経済的・社会的機能を低下させた地主制は、30年代以降さらに後退の歩を早めた。30年代前半の昭和農業恐慌は地主経済にも大きな打撃を与え、小作料収入は低下し、土地売却・規模縮小を余儀なくされる地主が少なくなかった。政府の自作農創設維持政策に従い、土地売り逃げを図る地主が増加した。中小地主の困窮は激しく、小作地を取り上げ自作化を図るものが多く出た。この土地取り上げをめぐる争議が、従来比較的争議の少なかった東北地方を中心に頻発したが、地主・小作ともに困窮したもとでは必死の抵抗が続き、いきおい争議は陰惨を極めることになった。政府はこれに対し、一方で弾圧を強化するとともに、他方で農村経済更生運動を開始し、村の一体化を図った。この運動は、地主制を直接制限するものではなかったが、農業経営の再建を村の一体化の中心課題としたために、耕作者の地位が徐々に高まることになった。
日中戦争以降になると食糧増産の課題が迫り、地主制を制限し耕作権を強める政策がついに登場することになる。1938年(昭和13)の農地調整法は、微弱ながらも従来と比べて耕作権を強化したものであり、39年の小作料統制令、41年の二重米価制と相次いで地主抑制的政策が打ち出された。このなかで、農村の直接的指導層である在村地主と不在地主とでは制限の割合に格差が設けられ、農村社会の安定の観点から在村地主への制限は若干弱められていたが、地主制の後退は年とともに進み、小作料率は敗戦時に30%にまで低下した。こうして地主制を最終的に解体した戦後の農地改革の客観的前提が準備されたのである。
[大門正克]
『山田盛太郎著『日本資本主義分析』(1934・岩波書店)』▽『栗原百寿著『現代日本農業論』(1951・中央公論社/『栗原百寿著作集 第4巻』所収・1978・校倉書房)』▽『暉峻衆三著『日本農業問題の展開』全2巻(1970、83・東京大学出版会)』▽『中村政則著『近代日本地主制史研究』(1979・東京大学出版会)』