日本大百科全書(ニッポニカ) 「地主・小作関係」の意味・わかりやすい解説
地主・小作関係
じぬしこさくかんけい
生産者が土地をもたず、所有者から借用して生産に用いる場合の土地所有者(地主)と非所有者(小作農)の取り結ぶ関係。このような関係は、古代・中世からみられたが、一般化するのは幕藩体制以降のことであり、名田(みょうでん)小作と質地(しっち)小作に大別される。名田小作とは名田の手余(てあまり)地を借り受けるものであり、これを普通、小作と称した。このうちで20年以上小作するものをとくに永(えい)小作とよぶ。幕藩体制下では、田畑永代売買禁止令で土地売買が禁じられていたため、小作地の主流を占めたのは質入地あるいは質取地を小作する質地小作であった。このような小作地は、幕末には幕藩体制の動揺により全耕地の3割に及んだといわれる。
明治維新後、1873年(明治6)に公布された地租改正は、地租金納者を土地所有者と定めて土地の私的所有権を法認し、近代的土地所有の形式を整えた。しかし、地租改正からさらに民法制定(1898)に至る土地制度の法体系においては、所有権に対する耕作権(小作権)がきわめて弱く、所有権絶対が貫かれた。土地のみならず、農業用水の管理や土地改良の主体も土地所有者とされ、農業経営における耕作者の地位を低いものとした。このように明治政府のとった土地制度は、形式的には近代的土地所有を認めるものの、実質的には前近代的・半封建的な地主的土地所有の広範な創出につながるものであった。明治前期から中期にかけての松方デフレや租税負担増大などが激しい農民層分解をもたらし、多数の農民が没落して小作農となり、他方に土地集積を図る地主を生み出した。総耕作地に対する小作地の割合(小作地率)は、明治初頭の約30%から1900年(明治33)ごろには約45%へと増大し、地主制が一般的に確立した。
地主制確立期の地主・小作関係は、高率高額小作料収取と人格的隷属に象徴されるような前近代的・半封建的性格を色濃くもっていた。小作農は収穫高の50~60%に及ぶ高率高額の小作料を現物米で収取されることを一般とし、収穫高の増大分は多くの場合地主の取り分となった。小作契約は口約束が多く、証書を交わす場合でも契約内容には地主による土地取上げ規定が明記されるなど、地主の恣意(しい)が強く現れていた。地主のなかでも大地主は、中小地主や有力な小作農を支配人として中間管理機構を整え、小作米品評会を開くなどして小作農の生産意欲を鼓吹しつつ小作料の安定的収取を図った。小作農は零細経営を余儀なくされており、他への転業機会がきわめて乏しいもとでは、小作地への依存が強くならざるをえず、地主への隷属から逃れることは困難であった。このように劣悪な小作条件のもとで小作料の重圧にあえぐ小作農が生活を維持していくためには、婦女子や二、三男を製糸・紡績などの労働力として家計補充的に放出せざるをえなかった。地主・小作関係は、こうした経済的関係に加えて人格的関係においてもきわめて隷属性が強く、地主の家への出入りや小作料の納入などの際には、出入口や服装までが慣習的に決められていた。
しかしこのような地主・小作関係も、第一次世界大戦に伴う経済変動とデモクラシー思想の流入、米騒動(1918)を経てようやく動揺をみせる。とりわけ、戦後恐慌(1920)を前後して、近畿を中心とした西日本で展開した小作争議(農民運動)は、農民の経済的・階級的成長に促されたものであり、小作農は各地で団結して小作組合を結成して小作料の減免を要求し、かなりの地域で地主から減免をかちとった。全国的にみても、1930年(昭和5)ごろまでには、収穫高に対する小作料の比率(小作料率)が50%弱へと低下する。一部の地域では、不作時の小作料の減免率を、地主・小作双方から委員を出して決定する協調組合がつくられた。こうした小作争議を通じて、地主に対する小作農の人格的隷属性もかなり弱まった。
政府はこれに対して、一方で治安維持法(1925)によって左翼的な農民運動に対する弾圧を強化し、他方では小作調停法(1924)と自作農創設維持政策で宥和(ゆうわ)策を講じた。とくに小作調停法では、小作官の指導による小作農と地主の集団的減免調停が実施されるなど、小作料水準を引き下げる方向で争議の鎮静化が図られたが、小作法が制定されていないもとでの調停は、現実の地主・小作の力関係に左右されざるをえず、地主の力の強い所では地主有利の調停が結ばれることが少なくなかった。これらの政策に加え、1925年(大正14)に制定された普通選挙法は、小作農と地主の人格の形式的平等を認めることにより、小作農の体制内化を進める役割も果たした。
こののち、1930年代後半からの戦時統制に入ると、食糧確保の必要性から耕作権が徐々に強化され、農地調整法、小作料統制令、二重米価制などの地主抑制的政策が相次いだ。こうして敗戦の年には小作料率が30%にまで低下し、戦後の農地改革の方向を準備していった。
[大門正克]
『暉峻衆三著『日本農業問題の展開』全2巻(1970、83・東京大学出版会)』▽『中村政則著『近代日本地主制史研究』(1979・東京大学出版会)』▽『永原慶二他著『日本地主制の構成と段階』(1972・東京大学出版会)』