変動する細長い堆積(たいせき)区で、その周辺よりも地層が厚く堆積している区域。堆積ののちに引き続いておこる造山運動により、褶曲(しゅうきょく)帯を形成することがある。地向斜は通例、長軸が日本列島程度以上のスケールの堆積区域に用いられる。地向斜が形成される際には、このようなスケールの区域が地形的に凹地をなし、両側または片側の陸地から膨大な砕屑(さいせつ)物が供給される。一つの地向斜は一般に1000万年以上の期間にわたって存在し、その間、連続的または断続的変動により地向斜縁辺部および内部において地形がさまざまに変化する。大スケールの地向斜は、その内部にいくつもの浅海域や陸域をもち、その堆積物も多様である。
[村田明広]
地向斜の概念は1859年にアメリカのホールJ. Hallによって北米アパラチア山脈において初めて提唱され、1873年にアメリカのデーナJ. D. Danaによって地向斜geosynclineのことばが用いられた。地向斜の概念は、研究者の意見の相違により多くの異なる分類方法がとられている。これは、アパラチア地向斜、アルプス地向斜など異なった地域で別々に研究されたことや、それぞれの研究者が堆積物、火成活動、造山運動など、どの点に主眼を置いて研究したかの結果である。
ドイツのシュティレH. Stille(1936)は、地向斜がのちに著しい褶曲運動を伴うアルプス型造山運動を受けたか、あるいは褶曲運動を伴わないドイツ型造山運動を受けたかで、正地向斜と準地向斜(パラ地向斜)とに区分した。またシュティレ(1940)とケイM. Kay(1951)は、地向斜を、海底火山活動(玄武岩質‐安山岩質)を伴うユー地向斜と、それをほとんど伴わないミオ地向斜とに区分した。ユー地向斜は海洋地殻の上に生じたと考えられる場合が多いが、ユー地向斜の地下に大陸地殻が存在したと考えられる場合も少なくない。アパラチア地向斜のようにユー地向斜とミオ地向斜とが同時期に並列して存在することもあれば、ユー地向斜がのちにミオ地向斜に転化することもある。また地向斜は時代によって、ある一方向へ移動する極性があることが知られている。
[村田明広]
地向斜に特徴的な堆積物は、1万メートルにも及ぶ砂岩・泥岩・混濁流堆積物(タービダイト)やチャートなどであり、ユー地向斜の場合これに玄武岩質海底火山岩類が加わり、ミオ地向斜においては石灰岩が加わる。このような堆積相を地向斜相という。また地向斜に堆積した地層の集合体を地向斜堆積体または地向斜プリズムとよぶ。
[村田明広]
地向斜という用語は、プレートテクトニクス説の登場により、現在では使われなくなった。プレートテクトニクス説では、地向斜とよばれた堆積区は、大陸地殻が二つに割れて分離移動し、それらの間の新しい海洋地殻の上に堆積盆が生じたと考えられる場合や、現在の日本列島周辺に認められるように、海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込むことに伴って、海溝・前弧海盆・背弧海盆などの堆積盆が形成されたとする場合がある。
また、かつて地向斜堆積物とされたものの多くは、大洋底に堆積したチャートや、海山の玄武岩質火山岩類・石灰岩などが、海溝で陸源の混濁流(乱泥流)堆積物などと混ざり合って大陸側に付加されたもの(付加堆積物)と考えられている。西南日本内帯の美濃(みの)‐丹波(たんば)帯や、外帯の四万十(しまんと)帯の地層は付加堆積物の代表例とされている。
[村田明広]
膨大な量の堆積物を形成する深い沈降地帯。造山帯の前身としての地向斜のこのような概念は,1857年J.ホールによってはじめて提唱されたが,彼はこれを〈巨大な向斜軸〉と呼んだ。1873年J.D.デーナは,北アメリカ東部のアパラチア山脈の研究から,この地域が長期間にわたって継続した地殻の〈地向斜性〉湾曲により,厚い古生代の堆積物を蓄積し,最後には破壊して断層,褶曲,その他の変動を生ずるに至ったと述べた。ホール(1859)は,アパラチア地域の堆積物が浅海成のものを主体とすることから,この堆積域,つまり地向斜は絶えず沈降し続けたものと考えた。彼はまた,地向斜の形成機構として,搬入される堆積物の重さが沈降をひき起こすとしたが,デーナは莫大な厚さの堆積物は沈降の原因ではなく,結果であると考えた。また,地向斜の堆積物については,オーE.Haug(1900)のように,浅海成ではなく深海成であり,したがって地向斜は安定化した二つの大陸の間にある深い海盆状のところと考えた人もいた。
研究が進むにつれて,地向斜にはさまざまなタイプのものがあることが明らかとなり,それらの分類についていくつかの提案が行われた。それらのうち,シュティレH.Stille(1936)による正地向斜(オルト地向斜)と準地向斜(パラ地向斜)の二大別や,同じくシュティレ(1940)による正地向斜の二分(優地向斜と劣地向斜)などが重要な提案である。ケイM.Kay(1951)によれば優地向斜(ユウ地向斜)は,ケツ岩,チャート,火山岩,オフィオライトなどの堆積岩類で特徴づけられ,造山時深成作用を伴うのを通例とするが,劣地向斜(ミオ地向斜)は安定大陸と優地向斜の間に位置し,浅海性の炭酸塩岩が優勢で火成活動を欠くのが通例である。例えばヨーロッパのアルプスについてみると,変成帯となっている南側のペンニン帯の前身が優地向斜,たくさんの石灰岩ナップ群を含む北側のヘルベティア帯の前身が劣地向斜に相当するものとされる。
このように,地向斜という概念は当初から造山帯の形成と不可分の関係のもとで発想されたものであって,造山帯の形成を考える場合の大前提となっていた。造山帯の形成過程が,つねに地向斜期を最初の段階において描かれてきたのは当然のことであったし,造山帯と切りはなされた地向斜という概念は存在しえないものであった。
ところで,1960年代になって提唱されたプレートテクトニクスによれば,変動帯(ほとんど造山帯と同じ意味)の形成は,接近してゆくプレートどうしの境界部における出来事であり,大きくみれば,大陸プレートの分裂や海洋プレートの生成,発展,消滅といった過程の中の一事件であって,地向斜というようなものは特に必要としない。なぜなら,海洋プレートは長い距離を水平方向に移動してゆく途中でできる,時代も形成場所もさまざまな堆積物を運搬してゆき,最後に他のプレートに接近したところでこれらを一つの変動帯の堆積物に編成することができるからである。つまり,変動帯の堆積物はもともと同一の堆積域に形成されたものでなくともよいわけである。造山帯の初期火成活動の産物とされてきたオフィオライトなども海洋プレートの断片と考えることができる。このような変動帯の前身は本来の地向斜とはまったく異なる概念のものであるばかりか,地向斜~造山帯という図式のものとは完全に異質である。
プレートテクトニクスからみても,初成的にかなりの量の堆積物が形成される場所がないわけではない。大陸や弧状列島の縁辺部とか,海溝,あるいは大陸と大陸の間の狭い海域(大陸の分裂でできる地溝帯など)といったところがそれである。しかし,これらが本来の地向斜と呼ぶにふさわしいものかどうかはかなり問題がある。
執筆者:植村 武
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