デジタル大辞泉
「坪井九馬三」の意味・読み・例文・類語
つぼい‐くめぞう〔つぼゐクメザウ〕【坪井九馬三】
[1859~1936]歴史学者。大坂の生まれ。東京帝大教授。科学的、実証的な歴史学研究法を導入した。著「史学研究法」など。
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つぼい‐くめぞう【坪井九馬三】
- 歴史学者。大坂出身。東京帝国大学文科大学長。実証主義史学の開拓者として知られる。著「史学研究法」「最近外交政治史」など。安政五~昭和一一年(一八五八‐一九三六)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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坪井 九馬三
ツボイ クメゾウ
明治・大正期の史学者 東京帝大名誉教授。
- 生年
- 安政5年12月12日(1859年)
- 没年
- 昭和11(1936)年1月21日
- 出生地
- 摂津国西成郡九条村(大阪府大阪市西区)
- 別名
- 幼名=久米吉
- 学歴〔年〕
- 東京大学文学部〔明治14年〕・理学部〔明治18年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士(帝国大学文科大学)〔明治24年〕
- 経歴
- 東大理学部在学中の明治16年文学部で史学を講義。18年理学部卒業後は東京大学御用掛となり、史学を担当、理学部化学教室にも勤務した。20年渡欧、ドイツのベルリン大学、スイス、オーストリアの大学で学び、24年帰国。文学博士の学位を取得、帝国大学文科大学講師となり、のち教授、37年東京帝国大学文科大学学長に就任。大正12年教授を辞任、名誉教授。また考古学会会長、史学会評義員も務めた。著書に「論理学講義」「史学研究法」「西洋史要」「最近政治外交史」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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坪井九馬三
つぼいくめぞう
(1858―1936)
明治・大正の歴史学者。大坂生まれ。幼名久米吉。大阪開成学校、東京外国語学校に学び、のち東京帝国大学文学部および理学部を卒業、東京帝国大学御用掛となる。1897年(明治30)から約4年間ヨーロッパに留学、西洋史学を研究、とくにドイツ風の史学理論を学ぶ。帰国後、文学博士、東京帝国大学教授となり、西洋史学を講ず。1904年(明治37)総長、06年帝国学士院会員、23年名誉教授となる。主著『史学研究法』(1903)は、歴史学の教訓的応用を排して、科学としての独立確保を基本思想とし、史料価値・補助学科など歴史の科学的研究の方法を論じたもの。日本の史学史上、近代歴史学の方法的基礎を確立したものとして高く評価される。
[永原慶二]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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坪井九馬三 つぼい-くめぞう
1859*-1936 明治-昭和時代前期の歴史学者。
安政5年12月12日生まれ。明治20年からドイツ,オーストリア,スイスに留学し,歴史学をまなぶ。史料の考証を重視する実証史学を確立した。東京帝大文科大学教授,同大学長。学士院会員。昭和11年1月21日死去。79歳。摂津西成郡(大阪府)出身。東京大学卒。著作に「史学研究法」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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坪井九馬三
つぼいくめぞう
1858.12.-~1936.1.21
明治・大正期の西洋史家。摂津国生れ。1881年(明治14)東大政治理財科,85年同大応用化学科卒。87年ヨーロッパ留学,91年帰国ののち文学博士,帝国大学文科大学教授。1923年(大正12)の退官まで西洋史を講じ,ヨーロッパ実証史学の移植に努めた。著書「史学研究法」,「最近政治外交史」全4巻。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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坪井九馬三【つぼいくめぞう】
歴史学者。摂津(せっつ)国西成郡生れ。東大卒。ベルリン大学等で研究,東大教授となりドイツ史学を紹介,科学的研究法樹立に努力。日本の近代的歴史学の開拓者。主著《史学研究法》《最近政治外交史》。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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坪井 九馬三 (つぼい くめぞう)
生年月日:1858年12月12日
明治時代;大正時代の歴史学者。東京帝国大学教授
1936年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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