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塘沽停戦協定 タンクーていせんきょうていTanggu Truce Agreement

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

塘沽停戦協定
タンクーていせんきょうてい
Tanggu Truce Agreement

1931年に勃発した満州事変の事実上の講和条約となった軍事停戦協定。 33年5月 30,31の両日,関東軍代表参謀副長岡村寧次少将らと,華北中国軍代表北平軍事委員会分会総参議熊斌中将らとの間に,白河河口の塘沽でいわゆる熱河作戦 (33.2~5.) の停戦本交渉が行われた。その結果,日本側提案のとおり協定が成立し,31日に発効した。それによって,中国軍は長城以南の一定の地域から撤退し,日本軍も満州国内に復帰して,ここに広大な中立地帯が成立,満州国の中国本部からの分離が国民政府によって暗黙に認められた。しかし,この協定は両国の関係を好転させず,かえって 37年の日中戦争勃発への導火線となった。

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百科事典マイペディアの解説

塘沽停戦協定【タンクーていせんきょうてい】

1933年5月調印の関東軍と中国国民政府軍との停戦協定。1931年の満州事変によって満州国を樹立すると,1932年7月から関東軍は内蒙古熱河(ねっか)省に侵攻,長城以南に進出した。
→関連項目通州事件

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大辞林 第三版の解説

タンクーていせんきょうてい【塘沽停戦協定】

1933年(昭和8)5月、塘沽で日中両軍間に締結された停戦協定。この協定により満州国が事実上中国本土から分離された。

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世界大百科事典内の塘沽停戦協定の言及

【華北工作】より

…この華北分離工作は1935年から日本の出先軍によって高圧的に推進され,中国の抗日救国運動をひろげ,日中戦争をひきおこした。 1933年5月の塘沽(タンクー)停戦協定で日本軍は河北省北東部に非武装地帯を作らせ監視権を認めさせたが,これが華北工作の足がかりとなった。国民政府による中国統一を嫌う日本陸軍の支那駐屯軍は,35年6月には排日運動を理由に梅津・何応欽協定を強要し,国民党部,中央軍と東北系軍隊を河北省から撤退させた。…

【満州事変】より

…いわゆる十五年戦争の第1段階。1931年(昭和6)9月18日の柳条湖事件を発端とし,狭義には33年5月31日塘沽(タンクー)停戦協定までの期間,広義には37年7月7日蘆溝橋事件による日中戦争全面化までの期間を指す。
[原因,準備]
 日露戦争後のポーツマス会議で日本は帝政ロシアから関東州・南満州鉄道などの権益を譲渡させ,中国の東北(東三省(奉天,吉林,黒竜江の3省)。…

※「塘沽停戦協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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