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福島県中通り南部、東白川郡の町。1948年(昭和23)常豊(つねとよ)村が町制施行して塙町成立。1955年笹原(ささはら)村と合併して塙笹原町となり、同年石井村、高城(たかぎ)村(大部分)と合併してふたたび塙町となった。JR水郡(すいぐん)線、国道118号、289号、349号が通じる。東部は阿武隈高地(あぶくまこうち)、西部は八溝山地(やみぞさんち)が占め、中心の塙は久慈(くじ)川の支流川上川の谷口にあり、近世には代官所が置かれ、河岸からは幕府租米が積み出された。東部には湯岐(ゆじまた)、新湯岐、志保(しほ)の湯、谷川などの温泉やキャンプ場を備えた「湯遊ランドはなわ」があり、奥久慈県立自然公園の一部となっている。米作、蔬菜、花卉(かき)栽培、杉の植林のほかマツタケなどを産する。面積211.41平方キロメートル、人口8302(2020)。
[原田 榮]
『『塙町史』全3巻(1980~1986・塙町)』
福島県南東部,東白川郡の町。人口9884(2010)。東は茨城県に接する。東の阿武隈高地,西の八溝山地にはさまれ,中央部を久慈川が南流する。1729年(享保14)に町域の過半は幕府領となり,中心の塙には代官陣屋が置かれた。久慈川に沿ってJR水郡線,国道118号線(茨城街道)が通じ,水戸と郡山を結ぶ。米作のほか,コンニャクを特産し,かつては県園芸試験場のコンニャク試験地があった。近年はキュウリ,トマトの栽培や畜産も活発である。東西の山地からは杉,ヒノキを産する。塙にある向ヶ岡公園は名代官として知られた寺西封元(たかもと)が窮民救済事業の一つとして築造したもので,庶民公園の始まりといわれる。久慈川支流の川上川上流に湯岐(ゆじまた)温泉(単純泉,35℃)がある。久慈川はアユ釣りの適地。
執筆者:佐藤 裕治
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…邦題《中世から近代への科学史》)やH.バターフィールド《近代科学の起源》(1949)などの著作が現れた。さらには,こうした学説の史的展開のみを扱う〈内部史internal history〉に対して,主としてマルクス主義の立場から,科学を社会的,経済的な文脈から眺めようとする〈外部史external history〉の主張として,ヘッセンB.Hessenの論文《ニュートンの“プリンキピア”の社会・経済的基礎》(1931)やJ.D.バナールの《科学の社会的機能》(1939)なども世に問われている。 科学史における新しい波は,1960年代に入って現れた。…
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【科学としての教育学】
このように教育学(ペダゴジー)は発展してきたが,社会科学の一つとしての教育科学という自覚が起こってきたのは遅れ,19世紀から20世紀にかけてである。大著《歴史における科学》(1954)で人類の科学の歴史をたどってきたJ.D.バナールはその最終章を〈第1次大戦後の社会科学〉とし,その一節として〈教育の科学〉をあげ,〈他の社会科学からやや離れて立ち科学的立場がさらに不確かな所に教育学がある〉とし,経済学,政治学,社会学などについで,教育学が社会科学として登場したと見たのである。その教育学では,理想的にいえば,誕生から死までの社会適応のための訓練過程と,人間がその社会を最善に利用または変革することを学びとる過程との総体が扱われるべきだとされた。…
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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