増殖・浸潤・転移関連分子

内科学 第10版 の解説

増殖・浸潤・転移関連分子(腫瘍)

 癌はさまざまな要因(病因)により,癌遺伝子癌抑制遺伝子の質的あるいは量的な異常が,細胞に段階的に蓄積することにより発生することを前項で述べたが,これらの変化により癌細胞に特徴的な性質(特性)を獲得することになる.正常の細胞とは異なる癌細胞の特性としては,無制限な増殖能の獲得,細胞死に対する抵抗性,血管新生浸潤能・転移能の獲得,エネルギー代謝の異常,免疫学監視機構からの逸脱などがあげられる. 正常細胞は通常増殖因子依存的な増殖促進を示し,一定の細胞分裂を繰り返すと,細胞内に組み込まれたプログラムにより細胞の寿命・細胞死(アポトーシス)を迎える.一方,癌細胞では,増殖制御にかかわる蛋白質をコードするras遺伝子やmyc遺伝子,種々のキナーゼ関連遺伝子などの癌遺伝子の活性化などによる持続的な細胞増殖シグナルが存在し,一方でおもに癌抑制遺伝子のコードする蛋白質の機能として知られている細胞増殖のコントロールや細胞死の誘導が癌においては破綻することで,無制限の増殖能と細胞死に対する抵抗性を獲得することになる. 癌細胞における浸潤・転移能の獲得は,癌による個体の死に直結する特性であり,癌の多段階発癌モデルにおいて癌細胞の最も進行した病態と考えられる.癌細胞の浸潤能の獲得は,正常細胞で認められる細胞間の接着による増殖抑制(接触抑制:contact inhibition)の破綻に始まると考えられているが,その分子機構は複雑である.癌細胞の転移能の獲得にも,細胞表面の接着関連分子の機能異常による原発癌組織からの離脱,上皮基底膜および細胞外マトリックスの破壊による間質組織への浸潤による移動,血管・リンパ管への侵入と移動・着床,血管外への逸脱,転移先組織での増殖による転移巣の形成のステップにより構成される.このほかに,転移が成立するためには,癌細胞周辺の炎症細胞や線維芽細胞を含む間質細胞とのやり取りなど,さまざまな微小環境(microenvironment)に寄与する分子の関与も明らかになっている.このように転移に至るまでのステップは多段階のプロセスにより構成されており,その分子機構もきわめて複雑であることがわかっている.
(1)増殖にかかわる分子
 種々の細胞増殖因子が,その受容体と下流のシグナルを活性化することにより核に増殖促進のシグナルを伝えることが知られている.増殖因子受容体の多くはチロシンキナーゼであるが,癌細胞においては増殖因子に依存せずこのシグナルが恒常的に活性化している場合がある.上皮細胞増殖因子EGFの受容体EGFR,肝細胞増殖因子HGFの受容体c-METをはじめとしてErbB2,RET,c-KIT,ALKなどの増殖因子受容体の変異が特定の癌で見つかり,それによって受容体がチロシンキナーゼとして活性化していることが報告されている.これらの分子のキナーゼ活性を抑える分子は,癌の分子標的薬として早い時期から臨床応用されている.
 また増殖因子受容体の活性化のシグナルを核に伝える低分子量G蛋白質のRas,セリンスレオニンキナーゼのRaf,脂質キナーゼのホスファチジルイノシトール3キナーゼ(PI3K)などの分子も一部の癌で変異がみられ,癌の無限増殖や生存を支えるものと考えられている. 核内の転写因子であるMycファミリーは増殖や細胞死にかかわる分子群の制御にかかわっているが,癌においては遺伝子増幅などによる発現異常がみられ,癌の悪性形質にかかわっている.JunとFosのヘテロ二量体によって形成されるAP-1転写因子は,癌化に伴った活性化が認められ,癌における増殖,分化,細胞死の調節異常にかかわるとされる. 細胞が増殖を行うためには細胞分裂が必要であるが,細胞分裂を繰り返す一連の過程は細胞周期とよばれ,サイクリン-CDK複合体を中心とした多くの分子群により巧妙に調節されている.癌においてはサイクリンDなどの増加による細胞周期の加速がみられる.またRB,p16,p53などの癌抑制因子は正常細胞では細胞分裂を制御するブレーキの役割をしており,癌においてはこれらの蛋白質が欠損することが増殖のコントロールが崩れる原因となる.
(2)浸潤・転移にかかわる分子
 細胞外マトリックスには,コラーゲン,フィブロネクチン,ラミニン,プロテオグリカンなど多様な成分があり,結合組織と基底膜を構成している.
 細胞外の環境の制御において,プロテアーゼは重要である.ほとんどは,メタロプロテアーゼ,セリンプロテアーゼである.細胞外マトリックスを分解するMMP(matrix metalloproteinase)は癌の浸潤・転移には中心的な役割を演じている(図1-4-9).MMPファミリーは少なくとも23種類は知られている.
 血管基底膜成分(主成分Ⅳ型コラーゲン)の分解には,マトリックスメタロプロテアーゼ(MMP)遺伝子ファミリーであるMMP-2,MMP-9と膜型MMP(MT-MMP)の役割が知られている.膜型MMP,特にMT1-MMP(MMP-14)は,ゼラチナーゼAの活性化とコラーゲンなどの細胞外マトリックスを分解する蛋白質分解酵素であり,浸潤・転移を促進する.MT1-MMPを標的とした癌の治療の可能性が考えられるゆえんである. 間質の主成分はⅠ型コラーゲンである.Ⅰ型コラーゲンを切断するものとしては,MMP-1,MMP-8,MMP-13,MMP-14(MT1-MMP)などが知られている. インテグリンは,細胞-細胞外マトリックス間接着としての機能以外に,細胞内のシグナルを伝える「シグナル分子」としても知られている. ヒアルロン酸受容体のCD44は細胞外マトリックスに対する接着分子であるが,RasおよびRhoファミリーのような細胞運動を制御する分子を介したシグナルを介し,膜型メタロプロテアーゼにより膜外部で切断を受けて,癌細胞の増殖および浸潤・転移を制御している. E-カドヘリンは上皮細胞間接着にかかわる重要な分子であり,この機能喪失により細胞接着が不活化され,癌浸潤先端での脱分化や血行性転移に関与している.βカテニンの機能喪失によりカドヘリン細胞接着系が不活化する. CA19-9(シリアルLea)は,血管内皮細胞の細胞接着分子であるE-セレクチンと結合することで血管浸潤や血行性転移にかかわる. 
MUC1は細胞間結合阻害因子として働き,癌において局所浸潤,転移に関与する. 癌化した細胞の糖鎖は「癌マーカー」としてのほかに,転移との関連においても研究が進められている.糖転移酵素GnT-Vと転移とのかかわりが知られている.
 最近は,浸潤,転移に関して,癌の微小環境が注目されている.原発巣の癌細胞の骨髄細胞の動員,さらにpremetastatic siteへの影響も分子レベルで報告され注目されている.以前から広く知られている「種子と畑説」(seed and soil theory)の新しい展開でもある.[中釜 斉]
■文献
Blume-Jensen P, Hunter T: Oncogenic kinase signaling. Nature, 411: 355-365, 2001.

出典 内科学 第10版内科学 第10版について 情報

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