平安後期の天台宗の僧。一乗寺大僧正とも号する。大納言藤原経輔の子。6歳で園城(おんじよう)寺乗延の室に入り,別当行円に就いて剃髪,行観に灌頂を受けた。若くして葛城に入峯,苦行を積み修験の徳を称され,白河,堀河両天皇の護持僧となり,両天皇のほか藤原師房,聡子内親王,媞子内親王の病気平癒を祈って験あり,女御藤原苡子(いし)を蘇生させた話がある。1090年(寛治4)白河上皇の熊野御幸に供奉,熊野三山検校の初例となった。また聖護院を建立して熊野神を勧請(かんじよう)し,天台修験の基を築いた。園城寺長吏,尊勝寺,梵釈寺,崇福寺を管理し,天王寺別当,広隆寺別当,天台座主等に補された。また仙洞論義証義一座を勤めた。
執筆者:和多 秀乗
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(三橋正)
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…16世紀後半から18世紀初頭までの徳川氏,諸大名その他の武士の言行,事跡等720余項目を集録する。江戸千駄ヶ谷聖輪寺の住持増誉(?‐1707,俗姓真田)の著。25巻,続編15巻。…
…智証大師円珍の開創と伝えられる。はじめ常光院と称したが,11世紀末に増誉が入寺して聖護院と改称した。増誉は1090年(寛治4)に白河上皇の熊野参詣に先達をつとめ,その功として熊野三山別当に任ぜられ,以後,当寺は修験道と深い関係をもった。…
※「増誉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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