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梵釈寺 ぼんしゃくじ

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世界大百科事典 第2版の解説

ぼんしゃくじ【梵釈寺】

近江国大津にあった寺。寺址は確定していないが,崇福寺址(大津市滋賀里(しがさと))南方の大形(おおがた)とする説が有力である。786年(延暦5)桓武天皇の草創で,長岡京遷都にあたって四天王の加護を願い,曾祖父天智天皇の故地に建立した。当初は四天王寺と称したが,795年(延暦14)ころには梵釈寺と号し,堂塔の整備や封戸・水田・修理料の施入が行われ,禅師10人が置かれて王城鎮護の寺としての完成をみた。所蔵の典籍は,経営に力のあった等定(とうじよう)によって充実し,最澄は修行時代に《円頓止観》を借覧するなど有数の存在として知られ,以後唯識の学匠常騰(じようとう)(740‐815),嵯峨天皇行幸時に茶を献じた永忠(742‐816),円珍受法の師徳円ら学匠が止住し,名声は高まった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

梵釈寺
ぼんしゃくじ

786年(延暦5)桓武天皇が近江国滋賀郡に建立した寺院。近江遷都翌年の668年(天智7)に、桓武天皇の曽祖父に当たる天智天皇が建立したと伝えられる崇福寺(すうふくじ)に近接して建立したと考えられる。現大津市西北部の滋賀里町に位置する崇福寺跡の一角に所在したとする説がある。788年に下総・越前2国の封戸(ふこ)各50戸が施入され、また791年に近江の水田10町が寄進されて、修理・供養の費用に充てられた。当寺は「山水の名区を披きて、禅院を草創す」といわれるように、僧の修行を目的として建立された山林寺院であり、比叡山麓の尾根に立地する崇福寺と同様に、僧の修行を目的として建立されたと考えられる。795年には十禅師が置かれ、寺院の運営を担う三綱(さんごう)もそのなかから選ばれた。803年には当寺別当の常騰が崇福寺を検校した。平安期に園城寺(おんじょうじ)(三井寺)の寺門派に属したことから、延暦寺の山門派との抗争の中で被害を受け、次第に衰退した。[本郷真紹]
『福山敏男著『日本建築史研究』(1973・墨水書房)』

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世界大百科事典内の梵釈寺の言及

【崇福寺】より

…この寺の廃絶後桓武天皇がこの地に臨みこの寺を復興させた。小金堂,塔,弥勒堂のほかに中央台地より谷をへだてた南に金堂と講堂と現在よんでいるより規模の大きな堂宇もつくられ,これらすべてを梵釈寺とよんだとも考えられる。泥塔,緑釉陶,須恵器硯をはじめ平安時代の瓦が全域で検出される。…

【チャ(茶)】より

…【梅原 郁】
[日本]
 日本に喫茶の風習が伝えられたのは,平安初期の入唐僧たちによってであった。そのひとり,近江梵釈寺の永忠は815年(弘仁6)4月,同寺に嵯峨天皇を迎え,茶を煎じて献じている。《日本後紀》に見えるこの記事は日本最初の喫茶史料というべきものだが,当時の唐風文化にあこがれる知識層の間に喫茶が流行したことは,《凌雲集》以下の漢詩文集でうかがうことができる。…

※「梵釈寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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