日本歴史地名大系 「壬生城跡」の解説
壬生城跡
みぶじようあと
〔中世〕
寛正三年(一四六二)壬生胤業が当地に城を築き、それにちなんで壬生の地名が起こったという(下野国誌)。壬生氏は崇神天皇の皇子豊城入彦命の後裔壬生部公から出たとも(宇都宮興廃記)、垂仁天皇の後胤小槻宿禰今雄の苗裔壬生官務の庶流ともいうが(下野国誌)、宇都宮氏の一族横田氏の系図(茨城県宇都宮広己文書)に「横田朝業 壬生三郎」とみえ、横田氏の流れとも考えられる。胤業が居館した地は現城跡北方の荒間地(
壬生氏は一五世紀中葉から当城を本拠地として勢力を張ったとされ、永正六年(一五〇九)には連歌師宗長が当地を訪れ、壬生綱房の邸で連歌の会が催されている(東路の津登)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報