売布神社
めふじんじや
[現在地名]松江市和多見町
大橋川に架かる松江新大橋南詰南方に鎮座する。主祭神の速秋津比売神は水戸神(水門神)であり、海をつかさどる神、海の守護神とみられる。旧県社。「出雲国風土記」の意宇郡売布社、「延喜式」神名帳の同郡売布神社に比定される。神名帳には玉作湯神社(現玉湯町)と来待社(現宍道町)との間に記されることから、来待村(現同上)の鏡の辺りにあったと伝える(松江市誌)。「出雲栞」によると、もとは岩崎鼻(現在の栄町円成寺周辺)に鎮座し、のち白潟の現在地(州崎)に遷座したという。
売布神社
めふじんじや
[現在地名]宝塚市売布山手町
荒神川と大堀川に挟まれた丘陵地に鎮座。祭神は高比売神・天稚彦神。旧郷社。「延喜式」神名帳所載の河辺郡の同名社(小社)に比定される。「先代旧事本紀」の天孫本紀に若湯坐連らの祖として垂仁天皇に供奉した侍臣大
布命がみえる。大
布命は高橋氏文にやはり若湯坐連らの祖としてみえる物部意富売布連と同一人であろう。「新撰姓氏録」では大売布命と記され和泉国神別の志貴県主や山城国神別の真髪部造・今木連の祖とされる。若湯坐連は川辺郡を本貫地としており(「三代実録」貞観五年八月八日条)、これらのことから同社は本来若湯坐氏の奉祀する氏神であったとみられる。
売布神社
ひめふじんじや
[現在地名]久美浜町字女布 初岡
祭神は豊受姫命・大屋媛命・狐津媛命。旧村社。
「延喜式」神名帳に載せる熊野郡売布神社に比定される。伝承によると、初め祭神は谷村の足洗井戸という所にとどまっていたが、野中村・安養寺村を経て船で佐濃谷川を下り女布に着き、女布の小字船処に上陸したという。この付近の小字名に幟立があり、境内に船を埋めた記念という船石がある(熊野郡誌)。
売布神社
めふじんじや
[現在地名]網野町字木津
下和田集落東端女布谷の谷口に鎮座。祭神は豊宇賀能
命。「延喜式」神名帳に記す竹野郡「売布神社」に比定される。旧村社。
売布神社記録(「竹野郡誌」所引)によると、垂仁天皇の勅を奉じて常世国に渡り、不老不死の橘を得て景行天皇の代に帰国した田道間守が、田神山(屋船山)に神籬を設けて礼典を挙げ、この地に奉祀したのが創始という。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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