入野郷(読み)いりのごう

日本歴史地名大系 「入野郷」の解説

入野郷
いりのごう

現大方町全域を占め、一部現佐賀さが(白浜地区)・現中村市(双海地区)に及ぶ。長宗我部氏時代に在地支配単位として機能していたとみられ、山内氏入国後も引継がれた。

当地域は天正一七年(一五八九)から翌年にかけて検地されており、計九冊の地検帳(塩浜帳などを含む)が残る(一冊は年次欠)。江戸時代に入野郷を構成する諸村名はすべてみえており、なかには小村を含むものもある。総検地面積六六八町余。海岸沿いの村には舟番匠・水主の居住が認められ、江戸時代の諸浦がすでにこの頃から活動していたことをうかがわせる。

入野郷
いりのごう

現浜松市入野町付近に比定され、浜松庄に属する。永禄九年(一五六六)二月一〇日の松平家康判物写(紀伊国古文書所収藩中古文書)引間ひくま本領のうちとして「入野の郷弐百五拾貫」とみえ、江馬時成に与えられている。同年四月二一日に今川氏真が曹源そうげん(現宗源院)へ安堵した寺領のなかに入野龍雲寺の寺領三貫文があり、借財証文に任せて所務するよう命じている(「今川氏真判物」宗源院文書)。翌一〇年二月二二日、今川氏真は入野郷内一〇五貫文分を駿州北安東きたあんどう(現静岡市)の替地として熊野領としている(「今川氏真判物」熊野夫須美神社文書)

入野郷
いのごう

和名抄」所載の郷で、高山寺本では耶麻郡にある。訓を欠く。「大日本地名辞書」に「今詳ならず、安達郡へ入り、二本松・油井・川崎にあたるか」とする。明治三五年(一九〇二)浅香根あさかね神社(現郡山市の阿邪訶根神社)へ合祀された西宮にしのみや神社は、大槻おおつき(現郡山市)矢田部家の祀る神社であった。

入野郷
にゆうのやごう

「和名抄」高山寺本は「迩野乃夜」、東急本は「尓布乃也」と訓を付す。平城宮跡出土木簡に「大内郡入野郷日下部□嶋白米」とある。寛弘元年(一〇〇四)の入野郷戸籍の断簡が九条家本「延喜式」紙背文書に残る。

入野郷
いのごう

「和名抄」所載の郷で、訓を欠く。「白河古事考」に「入野、棚倉城の地を今土人井のの郷又井のの庄と云、古の入野なるべし」とあり、「大日本地名辞書」もこの説をとる。延元四年(一三三九)七月一八日の伊達為景相博状(結城大蔵結城文書)に「みちのくにたかのゝこほりきたかた、いのゝかう」とある。

入野郷
いりのごう

「和名抄」に「入野」と記され、訓を欠く。久寿三年(一一五六)頃と思われる鹿島神宮神領目録(賜蘆文庫文書所収の鹿島文書)に「いの 一石」とみえる。「新編常陸国誌」に「按ズルニ、旧誌読デ以留乃トス誤ナリ、宜シク以乃ト読ムベシ、伊利乃ノ約ナリ、古ク以留乃ト云フコトバナシ、即今ノ茨城郡上入野村ナリ」とあり、現東茨城郡常北じようほく上入野かみいりのに比定する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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