大口筋(読み)おおくちすじ

日本歴史地名大系 「大口筋」の解説

大口筋
おおくちすじ

近世鹿児島城下を発し、加治木かじき郷から大隅国を北上、横川よこがわ郷・大口郷を経て肥後国に至る街道。肥後街道とも称され、加治木までは現在の国道一〇号、以後部分的には同二六八号と重なる。横川郷加久藤かくとう筋を分岐する。公用書状送達の七筋の一で、律令期の肥後国と大隅国府を結ぶ駅路を起源とするという説もある。現鹿児島市平之ひらの町にある明治二五年(一八九二)の道路開鑿記念碑に加治木から溝辺みぞべ横川湯之尾ゆのお(現菱刈町)、大口を経て熊本県境に至る県道の里程を一五里八町余とする。「肥後国誌」には「徳光仏山薩州ノ堺木アリ、自是北熊本札辻ヨリ是迄二十五里三十町三十四間、自是南鹿児島下町札辻迄二十里二十九町廿一間」、鹿児島市立美術館前に残る鹿児島市里程元標には「距第六師団、五拾里拾参丁拾八間、大口駅道」とある。当筋が通過した外城は重富しげとみ郷・帖佐ちようさ(現姶良町)加治木郷溝辺郷・横川郷、湯之尾郷・本城ほんじよう郷・馬越まこし(現菱刈町)、大口郷・山野やまの(現大口市)であった。

〔経路〕

鹿児島城下しも札辻ふだのつじを出て東に進み、しん橋を渡って琉球りゆうきゆう館前を通り、滑川なめりがわ橋を渡ってたて馬場に入る。やなぎ町を抜けて左衛門せもん坂を下り、堂之前どのまえ鼓川つづみがわを経て韃靼冬たんたどう番所を過ぎ、韃靼堂たんたどう坂を登る。さらに名越殿なごえどん坂を経て葛山かつらやまを過ぎ、実方太鼓さねかたたいこ(水害で流失)を渡って吉野よしの村に入り、帯迫おびざこを経て関屋せきや谷に至った(以上現鹿児島市)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「大口筋」の解説

おおくちすじ【大口筋】


鹿児島県姶良(あいら)市にある街道跡。指定名称は「大口筋 白銀坂(しらかねざか) 龍門司坂(たつもんじざか)」。江戸期における薩摩藩の主要街道の一つで、もともと小倉筋(西目筋)と東目筋に分けられていたが、寛永年間(1624~44年)に名称が変更され、小倉筋は出水(いずみ)筋・大口筋に、東目筋は高岡筋(日向筋)となった。大口筋は鹿児島城下から吉田・姶良・加治木・溝辺・横川・栗野菱刈を経て大口にいたる道で、途中の山道には石畳が敷かれ整備された。白銀坂は鹿児島市宮ノ浦と姶良市姶良町を結ぶ峠道で、急坂には約1.5kmにわたり山中から調達した安山岩質の割り石を用いた石畳が残存。龍門司坂は加治木町に所在し、1635年(寛永12)に完成した幅6~7mの広い道で、1741年(元文6)に石敷きに整備。白銀坂は1997年(平成9)から整備事業が実施されている。薩摩藩の主要街道である大口筋のうち、保存状態が良好な白銀坂の約2.8kmと龍門司坂約500mは、わが国の近世の交通を考えるうえで貴重なことから、2006年(平成18)に国の史跡に指定された。白銀坂へは、JR日豊本線重富駅から徒歩約10分。龍門司坂へは、JR日豊本線加治木駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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