日本大百科全書(ニッポニカ) 「溝辺」の意味・わかりやすい解説
溝辺
みぞべ
鹿児島県中部、姶良郡(あいらぐん)にあった旧町名(溝辺町(ちょう))。現在は霧島(きりしま)市の西部を占める。旧溝辺町は1959年(昭和34)町制施行。町名は薩摩(さつま)藩外城(とじょう)制度下の郷名による。2005年(平成17)同郡横川(よこがわ)、霧島、隼人(はやと)、福山(ふくやま)、牧園(まきぞの)の5町および国分(こくぶ)市と合併し霧島市となった。細長い旧町域の北半が山地で、南半がシラス台地。彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)陵と伝える高屋山陵(たかやさんりょう)があり古代薩摩の中心の一つ。近世には島津氏の直轄地で地頭(じとう)支配を受けたが、一部は加治木(かじき)島津家の私領であった。第二次世界大戦中に海軍航空隊が置かれた南東部の十三塚原(じゅうさんつかばる)(一部隼人町地区)には、1972年(昭和47)鹿児島空港が完成し、九州自動車道の溝辺鹿児島空港インターチェンジもできて交通関連産業が進出している。国道504号が通じる。耕地面積の75%を畑地が占め、以前は「溝辺ゴボウ」が知られていたが、現在はキャベツなどの野菜と茶の生産が多い。ほかに果樹や畜産も盛んである。
[白石太良]
『『溝辺町郷土誌』(1973・溝辺町)』