大宛(読み)ダイエン(その他表記)Dà yuān

関連語 西遼 住民 良馬

精選版 日本国語大辞典 「大宛」の意味・読み・例文・類語

だいえんダイヱン【大宛】

  1. 中国、漢代の西域の一国中央アジアのシル川流域フェルガナ盆地にあり、名馬といわれた汗血馬(かんけつば)の産地として知られ、漢の武帝はこれを得るために遠征を行なった。転じて西域諸国を指すこともある。

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改訂新版 世界大百科事典 「大宛」の意味・わかりやすい解説

大宛 (だいえん)
Dà yuān

前2世紀ころより中央アジアのフェルガナ地方に存在したイラン系民族の国家およびその地方に対する漢人呼称。大宛の原語や意味については諸説があるがまだ明確でない。前漢の武帝(在位,前140-前87)の時代に西域に出使した張騫ちようけん)の報告によって初めて中国に知られるようになった。その頃の大宛は属下のオアシス70余,6万戸,人口30万を擁し,貴山城を治所とする王によって統治され,名馬やブドウ特産があったと伝わっている。武帝が名馬(汗血馬)の入手を目的として派遣した李広利の遠征軍に敗れ,一時,漢の影響下に入ったが,その勢力後退とともに再び独立を回復した。しかしその後も往年の勢力は維持できなかったようで,周辺のオアシス国家侵入に悩まされており,おそらく南西方のソグド地方のオアシス連合体に吸収されてしまったと考えられる。中国との交渉は3世紀末の西晋の初めまで継続しているが,これ以降は大宛の名は見えず,フェルガナの音訳である破洛那が用いられるようになる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大宛」の意味・わかりやすい解説

大宛
だいえん
Da-yuan; Ta-yüan

中国,漢代の中央アジアのフェルガナにあった代表的オアシス国家,およびフェルガナ地方に対する漢人の呼称。南北朝以後の史書には,破洛那,はつ汗,怖悍などと記される。国都は貴山城であるが,この地がどこに比定されるかは定説がない。前漢武帝のとき,張騫がこの地を訪れた。また名馬を産するというので武帝が李広利に大遠征を行わせたことがある。この遠征は中国軍パミール高原を越えた最初の事例となっている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「大宛」の解説

大宛
だいえん

中央アジアの南東部,シル川上流のフェルガナ(Fergana)地方を漢代の中国人が呼んだ名称
前漢の武帝のとき張騫 (ちようけん) によって知られ,李広利の遠征(前104〜前102)によって大宛地方特産の良馬(汗血馬)を獲得。住民は古くはイラン系民族で古代ギリシア文化の影響を受けたが,7世紀以後トルコ系民族が侵入し,カラ−ハン朝・カラ−キタイ(西遼)・チャガタイ−ハン国・ティムール朝に支配され,その間にイスラーム化した。1876年ロシアに併合された。

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