「かいき」ともいう。海気、海黄、改機とも記され、近世の初めオランダ人によって、更紗(さらさ)などとともに東南アジアより渡来した先練りの絹織物の一つであったが、寛文(かんぶん)年間(1661~73)に甲斐(山梨県)の郡内(ぐんない)の織工が模織したことにより、郡内海気あるいは単に郡内とよばれ、ふとん地に用いられた。甲斐絹の字は、明治以後の殖産興業の結果として、明治30年(1897)ごろから使用されるようになった。経緯(たてよこ)ともに染色した絹練り糸を使うが、とくに緯糸は2倍くらいの太さのものが使用される。そして「濡(ぬ)れ巻き」という経糸を濡れた状態のままで整経し、強く張力をかけながら製織すると独特の地合いが生まれる。色糸の使い分けにより、無地、縞(しま)、格子、玉虫、霜降りなどにされるが、よく絹練りされていることと、独自の技法によって、布面は羽二重(はぶたえ)よりも滑らかで滑りがよく、光沢があり、摩擦すると絹鳴りが生じる、ひんやりとする感覚のある織物ができる。古くは帯や茶器などの袋物などに用いられ、また第二次世界大戦前には、主として羽織裏地が生産され、袖(そで)裏地、風呂敷(ふろしき)地、座ぶとん地、傘地などに用いられ、海外では婦人ドレス地に使用されたが、終戦の直前には、軍需用としての落下傘用生地(きじ)の生産に転向したために生産は減少し、現在ではわずかに生産されるにすぎない。
[角山幸洋]
『谷村高等学校社会部編・刊『郡内機業発達史』(1956)』▽『飯田文弥著『郡内の織物』(『日本産業史大系5』所収・1960・東京大学出版会)』
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先染絹織物の一種。海気,改機,海黄とも書く。南蛮船によって渡来した裂(きれ)をもとに寛文年間(1661-73),甲斐国(山梨県)の郡内地方で創製したのが始まり。郡内海気とか甲州海気の名もある。明治,大正から昭和初期を全盛期とし羽尺,コート,洋服の裏地,夜具地,傘地などに多用され,また,広幅の輸出甲斐絹も盛んに織られた。経緯ともに練絹糸使いで先染の緯無撚の絹織物は,世界にもまれで独自の技法がみられ織物の風合いにも特徴がある。緯糸が表面に多く浮き緻密,布面が平滑で光沢に富む。摩擦時に鳴りを生じ,ひややかな触感と軽さをもつ。種類は多いが,縞甲斐絹の夜具地は郡内と呼ばれ有名。近年,産地では新甲斐絹と称し洋装用に力を入れ,伝統を生かしながら新しい技法も開発しつつある。
執筆者:宮坂 博文
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…相模川の上流にあたる桂川とその支流の鶴川,仲間川沿いに河岸段丘が発達し,町の主要部は段丘上にある。古くから養蚕が行われ,農家の副業から絹織物業が発達,甲斐絹の産地として知られた。中央本線が通じ,1989年中央自動車道上野原インターチェンジが開設されて,交通が便利になるにつれ,首都圏のベッドタウンとして開発が進められ,観光関連事業の振興が図られている。…
…経糸と緯糸を異なった色に染めて織った織物で,玉虫の羽のように光線の角度によって色が変わるところから名づけられた。平織のほうが綾織より玉虫効果は大きく,代表的なものに甲斐絹(かいき),サン・クロスがある。色の組合せには緑と赤,緑と青,赤と青,赤と茶,赤と萌葱(もえぎ)などが多い。…
…中心の旧谷村町は1594年(文禄3)浅野氏が勝山城を築いてから城下町として発展し,1633年(寛永10)秋元氏の所領になったのち,1705年(宝永2)からは天領となり,代官陣屋が置かれ郡内地方の政治中心地として栄えた。秋元氏は機業を農家の副業としてすすめたため,周辺農村に広まり,甲斐絹(かいき)をはじめとする郡内機業の中心となった。現在でも夜具地,座布団地の八端(はつたん)などが家内工業として生産される。…
※「甲斐絹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...
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