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奈良時代の三論(さんろん)宗の僧。俗姓は額田(ぬかた)氏。大和(やまと)国(奈良県)添下(そうのしも)郡の人。法隆寺の智蔵(ちぞう)に三論を学び、竜門(りゅうもん)寺の義淵(ぎえん)に法相(ほっそう)を習う。702年(大宝2)に遣唐使粟田真人(あわたのまひと)に従って入唐(にっとう)し、三論の奥旨を学び、善無畏(ぜんむい)より密教を伝授されたという。718年(養老2)に帰国して大和大安寺の平城移建に尽くし、のち住して盛んに三論を講説し広めた。三論宗の第三伝と称される。729年(天平1)10月に律師に任命され、平城京への大安寺の遷造の任にあたり、また『日本書紀』の編纂(へんさん)に参画したとされる。『大般若経(だいはんにゃきょう)』の転読会を創始し、宮中の最勝会(さいしょうえ)の講師(こうじ)を勤めるなど、聖武(しょうむ)帝の信任が厚かった。天平(てんぴょう)16年10月、七十余歳で入寂した。
[伊藤隆寿 2017年9月19日]
奈良時代の三論宗の僧。大和国添下郡の生れ,俗姓は額田(ぬかた)氏。701年(大宝1)遣唐使にしたがって入唐。留学中に,皇帝が学徳すぐれた高僧100人を選び,宮中で仁王般若経(にんのうはんにやきよう)を講義せしめたとき,道慈は学業優秀をもってその選に入り,とくに賞せられている。718年(養老2)帰朝,翌年優能をたたえられて食封(じきふ)50戸をたまわった。《懐風藻》に,竹渓(つげ)の山寺にいたころ,長屋王の招宴を辞退するという詩文などを載せる。729年(天平1)律師に任ぜられる。当時,〈釈門の秀たる者〉は道慈と神叡(じんえい)の2人のみと称せられ,ともに時政を助けた。僧綱(そうごう)の一員として国家仏教の興隆につとめたが,738年ごろ律師を辞任,野に下った。また建築技術にもくわしく,平城京へ移建した大安寺の造営を担当し,唐の西明寺の様式をまねた。著書に《愚志(ぐし)》1巻,《浴像経開題(よくぞうきようかいだい)》1巻がある。
執筆者:中井 真孝
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(若井敏明)
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?~744.10.2
奈良時代の僧。大和国添下(そうのしも)郡の人。俗姓額田(ぬかた)氏。702年(大宝2)入唐,西明寺に住して三論に精通し,仁王般若経を講ずる高僧100人のうちに選ばれた。718年(養老2)帰朝し,日本三論宗の第三伝とされる。719年食封(じきふ)50戸を賜り,のち律師となり,736年(天平8)扶翼童子6人を賜った。翌年大安寺大般若経転読会を創始し,大極殿最勝王経講説の講師を勤めた。大安寺の平城京移建や「日本書紀」編纂にも関与し,「愚志」1巻を著して当時の仏教界を批判した。70余歳で没した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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