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大槻伝蔵 おおつきでんぞう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大槻伝蔵
おおつきでんぞう

[生]元禄15(1702).1.1. 加賀,金沢
[没]寛延1(1748).9.12. 越中,五箇山
江戸時代中期の加賀藩の家臣。諱は朝元。いわゆる加賀騒動の中心人物。第6代藩主前田吉徳に起用され,権勢をふるったが,延享2 (1745) 年吉徳が急死すると,反対派により排斥され,五箇山に幽閉され,寛延1 (48) 年配所で自殺。この事件は藩主後嗣紛争もからんで陰惨な諸説を生み,後世いろいろに脚色された。

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百科事典マイペディアの解説

大槻伝蔵【おおつきでんぞう】

江戸中期,加賀金沢藩士。名は朝元(とももと)。足軽大槻七左衛門の子で,叔父大槻長兵衛の婿養子となる。寵愛(ちょうあい)を受けた前田吉徳が6代藩主となって以降,軽輩から急激に栄進,晩年は藩主親裁の政務を取りさばいて権勢をふるった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大槻伝蔵 おおつき-でんぞう

1703-1748 江戸時代中期の武士。
元禄(げんろく)16年生まれ。加賀金沢藩士。足軽の子で,はじめ御居間坊主としてつかえるが,藩主前田吉徳(よしのり)にみとめられ,藩財政をまかされる。吉徳が死ぬと反対派におわれ,越中五箇山に流罪となり寛延元年9月12日自殺。46歳。のちに加賀騒動物として,小説や芝居でとりあげられた。名は朝元(とももと)。通称は別に内蔵允(くらのじょう)。

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世界大百科事典 第2版の解説

おおつきでんぞう【大槻伝蔵】

1703‐48(元禄16‐寛延1)
加賀藩士。加賀騒動の中心人物。伝蔵は初名,のち内蔵允。諱(いみな)は朝元。足軽大槻七左衛門の三男,叔父大槻長兵衛の婿養子となる。1716年(享保1)世子前田吉徳の御部屋付御居間坊主となり,終始近侍して寵愛を受けた。吉徳が6代藩主となって以後20年間に20回の加増・昇進という破格の出頭をして3800石,人持組となる。晩年は藩主親裁の政務を取りさばき,権勢を強め,驕奢(きようしや)にもなったため,門閥守旧派弾劾を受け,45年(延享2)吉徳の死去後に失脚,越中五箇山へ流刑され,配所で自刃した。

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大辞林 第三版の解説

おおつきでんぞう【大槻伝蔵】

1703~1748) 江戸中期の加賀藩士。名は朝元とももと。藩主前田吉徳に重用されたが、その死後排斥されて流罪となり、自殺した。 → 加賀騒動

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367日誕生日大事典の解説

大槻伝蔵 (おおつきでんぞう)

生年月日:1703年1月1日
江戸時代中期の加賀藩士
1748年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の大槻伝蔵の言及

【加賀騒動】より

…一名大槻騒動。その内容は,6代藩主前田吉徳の寵臣大槻伝蔵が門閥・守旧派に弾劾されて失脚し,流刑地で自刃した事件,および江戸藩邸での茶釜毒入り事件に関連して吉徳の側室真如院(お貞の方)とその男子らが幽閉されて死んだ事件がからめられたもの。大槻伝蔵は足軽の子に生まれ,御居間方坊主から禄高3800石の人持組という上級家臣にまでなった出頭人で,終始吉徳に近侍して寵愛と信頼が深かった。…

※「大槻伝蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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