ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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江戸中期、加賀藩で起こった御家(おいえ)騒動。『見語大鵬撰(げんごたいほうせん)』をはじめとする通俗史では、6代藩主前田吉徳(よしのり)の寵臣(ちょうしん)大槻内蔵允(おおつきくらのじょう)(伝蔵)が、吉徳の愛妾(あいしょう)お貞の方(真如院(しんにょいん))と密通し、お貞の産んだ利和(としかず)を藩主とするために、吉徳および7代藩主宗辰(むねとき)を暗殺したということになっている。そこで、重臣前田土佐守直躬(とさのかみなおみ)らが中心となって、8代藩主重煕(しげひろ)の毒殺未遂事件を機に、大槻ら逆臣グループを捕らえ、処刑して大団円ということになっている。
しかし、これらには虚説が多く、実際は江戸中期以後の、いわゆる転換期において、諸藩内部に多くみられた、保守派の重臣と進歩派の下層武士との対立に真の原因があった。高度成長の元禄(げんろく)期(1688~1704)を過ぎた加賀藩では、財政難打開に躍起となった吉徳が、茶坊主あがりの大槻を重用し、経費の節減や上方(かみがた)での金融に独自の腕を振るわせるために、彼に異例の出世をさせたところから、重臣の前田直躬らはひどく大槻を憎み、1745年(延享2)吉徳の急死後、たちまちこれを失脚させたものである。真如院の一件も、隠微な大奥の女たちの争いがこれに絡みついたもので、両者にはこれという罪状もつかめないところから、直躬らが両者の密通・密謀をでっち上げたのではないかという疑いが強い。
大槻は、1748年(寛延1)越中(えっちゅう)五箇山(ごかやま)に流され、同年配所で自殺したが、これをはじめ54年(宝暦4)までに関係者が処刑されて一件落着となったわけである。しかし、なにしろ、当時は御家騒動など事実に取材した通俗史(実録体小説)が大流行の時代であったし、本件などは100万石の大舞台を背景に、才子・美女の登場、そこへ重煕毒殺未遂事件の容疑者、奥女中の浅尾(あさお)の蛇責めなど、猟奇的なおまけまでついているので、大いに有名となり、伊達(だて)、黒田とともに「三大騒動」の一つとして喧伝(けんでん)されたものである。
[若林喜三郎]
『三田村鳶魚著『加賀騒動実記』(1958・青蛙房)』▽『若林喜三郎著『加賀騒動』(中公新書)』▽『『三田村鳶魚全集 第5巻』(1976・中央公論社)』
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…加賀藩士。加賀騒動の中心人物。伝蔵は初名,のち内蔵允。…
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