加賀騒動(読み)カガソウドウ

デジタル大辞泉 「加賀騒動」の意味・読み・例文・類語

かが‐そうどう〔‐サウドウ〕【加賀騒動】

江戸中期、加賀藩主前田吉徳まえだよしのりの死後に起こったお家騒動。家老前田直躬まえだなおみと、財政改革のために登用された大槻伝蔵おおつきでんぞうとの対立に加え、吉徳の側室真如院がからんで抗争が続き、主家横領を企てたとして伝蔵は配所自殺、真如院は殺され、関係者すべてが処刑された。小説浄瑠璃講談などに脚色されている。

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精選版 日本国語大辞典 「加賀騒動」の意味・読み・例文・類語

かが‐そうどう‥サウドウ【加賀騒動】

  1. 江戸中期、加賀藩前田家で起こったお家騒動。大槻伝蔵(朝元)の異例の出世と財政政策を喜ばない家老の前田直躬(なおみ)などが、藩主前田吉徳の死後、伝蔵と吉徳の側室お貞(真如院)たちがお貞の子を後継者として主家の横領を企てたとして訴えを起こし、伝蔵は配所で自殺、お貞は暗殺され、伝蔵の関係者はすべて処刑された事件。事実関係には不明な点が多い。浄瑠璃、小説、講談などに脚色された。

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改訂新版 世界大百科事典 「加賀騒動」の意味・わかりやすい解説

加賀騒動 (かがそうどう)

18世紀中期に加賀藩で起こった御家騒動。一名大槻騒動。その内容は,6代藩主前田吉徳の寵臣大槻伝蔵が門閥・守旧派に弾劾されて失脚し,流刑地で自刃した事件,および江戸藩邸での茶釜毒入り事件に関連して吉徳の側室真如院(お貞の方)とその男子らが幽閉されて死んだ事件がからめられたもの。大槻伝蔵は足軽の子に生まれ,御居間方坊主から禄高3800石の人持組という上級家臣にまでなった出頭人で,終始吉徳に近侍して寵愛と信頼が深かった。吉徳の代は藩財政の逼迫が深刻化したため厳しい倹約策がつづけられ,農政では改作法の古格への復帰がはかられた。しかし,全国的な華美の風潮と,他方で米価の下落により家中の困窮がはなはだしく,政策の効果はかんばしくなかった。大槻は出頭につれて政務にも携わったが,吉徳は1741年(寛保1)に大槻を若年寄か家老に登用しようとして門閥に反対され,以後は国元の政務の7~8割方まで直裁に移したらしい。しかし,吉徳は生来その器量はなく病気がちであったので,大槻がもっぱら意を体して取りさばいた。それとともに権勢を強め,驕奢にもなった。かくて吉徳-大槻体制に対する批判が生じ,過度の寵愛,大槻の驕奢,大槻1人での政務取りさばき,倹約策のために新格を立てたこと,軍用金に手を付けたことなどが批判された。45年(延享2)吉徳が脚気で死去すると,大槻は看病不行届きの名目で左遷,蟄居(ちつきよ)のうえ,48年(寛延1)4月越中五箇山へ配流された。ところで,その年6月,7月に江戸本郷の藩邸で茶釜に毒が混入していた事件があり,真如院の娘楊姫付年寄浅尾が疑われ,真如院も金沢で縮所へ入れられた。大槻が配所で自刃したのはその2ヵ月後であった。また,真如院の男子利和(勢之佐)と八十五郎も金沢で幽閉され,真如院は本人の情願によって49年2月に縊首され,浅尾は10月に殺害された。利和は59年(宝暦9),八十五郎は61年に死去した。大槻一類の処罰は1754年にすべてを終わった。

 この騒動をめぐって真実が明かされぬままのうわさがいくつもあり,吉徳と大槻の男色,真如院と大槻の密通などはそれで,二つの事件の関連も定かではない。また,その後,加賀騒動は,稗史(はいし)(《越路加賀見》《見語大鵬撰》《金城厳秘録(大槻見聞録)》《野狐物語》《北雪美談》など)や芝居脚本などで大いに脚色されて巷間に流布した。
執筆者:

加賀騒動を材料にした歌舞伎および人形浄瑠璃の作品群をいう。最初にこれを劇化したのは1780年(安永9)奈河亀輔の《加賀見山廓写本(かがみやまさとのききがき)》で大坂初演,のちに明治に実録の脚色が許されてから河竹黙阿弥が1876年に書きおろした《鏡山錦楓葉(かがみやまにしきのもみじば)》は,当時の名優9世市川団十郎,5世尾上菊五郎,初世市川左団次,8世岩井半四郎の共演で,この種の劇としては無類の舞台を作ったが,その後の上演数は多くない。この脚本は,同じ作者が5年目に後日譚を書いてもいるが,これは大阪の勝諺蔵(かつげんぞう)の脚本を改作したものらしい。加賀騒動物として,歌舞伎あるいは人形浄瑠璃では,むしろ派生した作品のほうが著名である。それは別の藩邸に発生した女どうしの不和で,側室が奥方側近の女にはずかしめられて自殺したあと,側室に仕えた侍女が仇討をした事件を,加賀の世界に仮託した作品で,1782年(天明2)江戸の人形浄瑠璃に書きおろされた容楊黛(ようようたい)の《加賀見山旧錦絵(かがみやまこきようのにしきえ)》が歌舞伎に移入されたもので,俗に〈女の忠臣蔵〉と称された。こういう劇は奥づとめの女中の宿下りに見るのにふさわしいので毎年3月に上演されたが,悪役の局岩藤,中老尾上とその召使のお初,この3人の女が大役で,岩藤とお初の試合,岩藤が尾上を草履で打ち,尾上無念の自殺,お初が奥庭で岩藤に復讐する4場面が原則になっている台本である。この岩藤が幽霊になる後日譚には,加賀騒動の藩主暗殺も入っており,河竹黙阿弥の《加賀見山再岩藤(かがみやまごにちのいわふじ)》がそれである。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加賀騒動」の意味・わかりやすい解説

加賀騒動
かがそうどう

江戸中期、加賀藩で起こった御家(おいえ)騒動。『見語大鵬撰(げんごたいほうせん)』をはじめとする通俗史では、6代藩主前田吉徳(よしのり)の寵臣(ちょうしん)大槻内蔵允(おおつきくらのじょう)(伝蔵)が、吉徳の愛妾(あいしょう)お貞の方(真如院(しんにょいん))と密通し、お貞の産んだ利和(としかず)を藩主とするために、吉徳および7代藩主宗辰(むねとき)を暗殺したということになっている。そこで、重臣前田土佐守直躬(とさのかみなおみ)らが中心となって、8代藩主重煕(しげひろ)の毒殺未遂事件を機に、大槻ら逆臣グループを捕らえ、処刑して大団円ということになっている。

 しかし、これらには虚説が多く、実際は江戸中期以後の、いわゆる転換期において、諸藩内部に多くみられた、保守派の重臣と進歩派の下層武士との対立に真の原因があった。高度成長の元禄(げんろく)期(1688~1704)を過ぎた加賀藩では、財政難打開に躍起となった吉徳が、茶坊主あがりの大槻を重用し、経費の節減や上方(かみがた)での金融に独自の腕を振るわせるために、彼に異例の出世をさせたところから、重臣の前田直躬らはひどく大槻を憎み、1745年(延享2)吉徳の急死後、たちまちこれを失脚させたものである。真如院の一件も、隠微な大奥の女たちの争いがこれに絡みついたもので、両者にはこれという罪状もつかめないところから、直躬らが両者の密通・密謀をでっち上げたのではないかという疑いが強い。

 大槻は、1748年(寛延1)越中(えっちゅう)五箇山(ごかやま)に流され、同年配所で自殺したが、これをはじめ54年(宝暦4)までに関係者が処刑されて一件落着となったわけである。しかし、なにしろ、当時は御家騒動など事実に取材した通俗史(実録体小説)が大流行の時代であったし、本件などは100万石の大舞台を背景に、才子・美女の登場、そこへ重煕毒殺未遂事件の容疑者、奥女中の浅尾(あさお)の蛇責めなど、猟奇的なおまけまでついているので、大いに有名となり、伊達(だて)、黒田とともに「三大騒動」の一つとして喧伝(けんでん)されたものである。

[若林喜三郎]

『三田村鳶魚著『加賀騒動実記』(1958・青蛙房)』『若林喜三郎著『加賀騒動』(中公新書)』『『三田村鳶魚全集 第5巻』(1976・中央公論社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加賀騒動」の意味・わかりやすい解説

加賀騒動
かがそうどう

江戸時代中期,加賀藩 (→金沢藩 ) に起った御家騒動。第6代藩主前田吉徳が財政の改革に起用した下級藩士大槻伝蔵は藩財政の実権を握ると,家老前田直躬 (なおみ) ら一派と対立した。吉徳の側室真如院は大槻一派と結び,わが子利和を世嗣にしようとしたが,延享2 (1745) 年に吉徳が変死すると宗辰 (むねとき) が藩主となった。宗辰は大槻を排斥し,同年 12月急死した。同4年その弟重ひろ (しげひろ) が跡を継ぐと,大槻は宗辰毒殺の嫌疑を受け越中五箇山に幽閉され寛延1 (48) 年9月配所で自殺した。真如院も大槻との密通の事実が明るみに出て密殺され,宝暦4 (54) 年閏2月,大槻の親族,家来五十余名も処罰されて事件は落着した。これはいろいろ潤色されて歌舞伎,講談,小説などの題材となった。

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百科事典マイペディア 「加賀騒動」の意味・わかりやすい解説

加賀騒動【かがそうどう】

18世紀中ごろ加賀金沢藩前田家の家督相続をめぐる御家騒動。家老前田直躬らの保守派と,財政改革を断行した大槻伝蔵らの革新派との対立に家督問題が錯綜(さくそう)し,複雑な紛争となったが,結局大槻派を処分して落着した。江戸時代三大騒動の一つとされ,実録物,浄瑠璃などの題材として著名。

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旺文社日本史事典 三訂版 「加賀騒動」の解説

加賀騒動
かがそうどう

江戸中期,加賀藩におこった御家騒動
6代藩主前田吉徳 (よしのり) の大槻伝蔵登用に対し,家老前田直躬 (なおみ) らの保守派が反対して対立,それに吉徳の側室真如院の子を継嗣に擁立しようとする大槻一派の陰謀がからんだ騒動。1754年事件は大槻派の断罪で落着した。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「加賀騒動」の解説

加賀騒動
(通称)
かがそうどう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
御国名物花菅笠 など
初演
寛政9.3(江戸・都座)

加賀騒動
かがそうどう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明治28.8(横浜・千歳座)

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世界大百科事典(旧版)内の加賀騒動の言及

【大槻伝蔵】より

…加賀藩士。加賀騒動の中心人物。伝蔵は初名,のち内蔵允。…

※「加賀騒動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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