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加賀騒動 かがそうどう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

加賀騒動
かがそうどう

江戸時代中期,加賀藩 (→金沢藩 ) に起った御家騒動。第6代藩主前田吉徳が財政の改革に起用した下級藩士大槻伝蔵は藩財政の実権を握ると,家老前田直躬 (なおみ) ら一派と対立した。吉徳の側室真如院は大槻一派と結び,わが子利和を世嗣にしようとしたが,延享2 (1745) 年に吉徳が変死すると宗辰 (むねとき) が藩主となった。

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デジタル大辞泉の解説

かが‐そうどう〔‐サウドウ〕【加賀騒動】

江戸中期、加賀藩主前田吉徳(まえだよしのり)の死後に起こったお家騒動。家老前田直躬(まえだなおみ)と、財政改革のために登用された大槻伝蔵(おおつきでんぞう)との対立に加え、吉徳の側室真如院がからんで抗争が続き、主家横領を企てたとして伝蔵は配所で自殺、真如院は殺され、関係者すべてが処刑された。小説・浄瑠璃・講談などに脚色されている。

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百科事典マイペディアの解説

加賀騒動【かがそうどう】

18世紀中ごろ加賀金沢藩前田家の家督相続をめぐる御家騒動。家老前田直躬らの保守派と,財政改革を断行した大槻伝蔵らの革新派との対立に家督問題が錯綜(さくそう)し,複雑な紛争となったが,結局大槻派を処分して落着した。

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世界大百科事典 第2版の解説

かがそうどう【加賀騒動】

18世紀中期に加賀藩で起こった御家騒動。一名大槻騒動。その内容は,6代藩主前田吉徳の寵臣大槻伝蔵が門閥・守旧派に弾劾されて失脚し,流刑地で自刃した事件,および江戸藩邸での茶釜毒入り事件に関連して吉徳の側室真如院(お貞の方)とその男子らが幽閉されて死んだ事件がからめられたもの。大槻伝蔵は足軽の子に生まれ,御居間方坊主から禄高3800石の人持組という上級家臣にまでなった出頭人で,終始吉徳に近侍して寵愛と信頼が深かった。

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大辞林 第三版の解説

かがそうどう【加賀騒動】

一八世紀中頃、加賀藩に起こった御家騒動。六代藩主前田吉徳に登用された大槻伝蔵ら改革派と家老前田直躬なおみら門閥重臣との対立に端を発し、吉徳の死後七代宗辰の急死、江戸上屋敷における毒物投入事件などが、吉徳の側室真如院と大槻らの家督相続にからむ陰謀とされ、大槻一派は死に追いやられた。読み物・演劇・講談などで広く流布。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

加賀騒動
かがそうどう

江戸中期、加賀藩で起こった御家(おいえ)騒動。『見語大鵬撰(げんごたいほうせん)』をはじめとする通俗史では、6代藩主前田吉徳(よしのり)の寵臣(ちょうしん)大槻内蔵允(おおつきくらのじょう)(伝蔵)が、吉徳の愛妾(あいしょう)お貞の方(真如院(しんにょいん))と密通し、お貞の産んだ利和(としかず)を藩主とするために、吉徳および7代藩主宗辰(むねとき)を暗殺したということになっている。そこで、重臣前田土佐守直躬(とさのかみなおみ)らが中心となって、8代藩主重煕(しげひろ)の毒殺未遂事件を機に、大槻ら逆臣グループを捕らえ、処刑して大団円ということになっている。
 しかし、これらには虚説が多く、実際は江戸中期以後の、いわゆる転換期において、諸藩内部に多くみられた、保守派の重臣と進歩派の下層武士との対立に真の原因があった。高度成長の元禄(げんろく)期(1688~1704)を過ぎた加賀藩では、財政難打開に躍起となった吉徳が、茶坊主あがりの大槻を重用し、経費の節減や上方(かみがた)での金融に独自の腕を振るわせるために、彼に異例の出世をさせたところから、重臣の前田直躬らはひどく大槻を憎み、1745年(延享2)吉徳の急死後、たちまちこれを失脚させたものである。真如院の一件も、隠微な大奥の女たちの争いがこれに絡みついたもので、両者にはこれという罪状もつかめないところから、直躬らが両者の密通・密謀をでっち上げたのではないかという疑いが強い。
 大槻は、1748年(寛延1)越中(えっちゅう)五箇山(ごかやま)に流され、同年配所で自殺したが、これをはじめ54年(宝暦4)までに関係者が処刑されて一件落着となったわけである。しかし、なにしろ、当時は御家騒動など事実に取材した通俗史(実録体小説)が大流行の時代であったし、本件などは100万石の大舞台を背景に、才子・美女の登場、そこへ重煕毒殺未遂事件の容疑者、奥女中の浅尾(あさお)の蛇責めなど、猟奇的なおまけまでついているので、大いに有名となり、伊達(だて)、黒田とともに「三大騒動」の一つとして喧伝(けんでん)されたものである。[若林喜三郎]
『三田村鳶魚著『加賀騒動実記』(1958・青蛙房) ▽若林喜三郎著『加賀騒動』(中公新書) ▽『三田村鳶魚全集 第5巻』(1976・中央公論社)』

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世界大百科事典内の加賀騒動の言及

【大槻伝蔵】より

…加賀藩士。加賀騒動の中心人物。伝蔵は初名,のち内蔵允。…

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