日本歴史地名大系 「大津城跡」の解説
大津城跡
おおつじようあと
琵琶湖に面した近世初頭の城郭。現在の
秀吉が坂本城を廃し、大津に城を移した最大の理由は、天正一一年五月の賤ヶ岳の合戦後、政治・経済の中心を大坂に置こうとしていたことによる。秀吉は琵琶湖の水運を利用して運ばれる東国・北国の諸物資の終着点を、それまでの京都ではなく大坂に変更する意図のもと、湖岸の物資集積地を坂本から大津に移したほうがより効率的と判断、城を当地に移したのである。以後、諸物資は大津に陸揚げされ
さらに秀吉が当城をしばしば訪れたのは、城郭としてよりも湖岸の別荘としての利用価値を見いだしたためと思われ、秀吉が任じた歴代の城将を一見しても、このことは明らかである。坂本城の城将からそのまま大津城の城将になった浅野長吉、長吉の跡を継いで天正一七年に二代目となった増田長盛は、ともに秀吉の五奉行のメンバーであった。
大津城跡
おおつじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報