明治時代、宮中の盛儀や饗宴(きょうえん)に列席する人たちが着用する最高の礼装をいう。文官をはじめ非役有位者、有爵者、宮内官たちが着装した。わが国では古来より朝儀に列席する場合は束帯、衣冠などを着用していたが、1872年(明治5)装束類を廃止して、新たに洋風の大礼服を定めた。この服制は、のちにしばしば改定されたが、86年(明治19)12月になって、改定文官大礼服ができた。これによると、文官を勅任と奏任の両官に分け、それぞれ帽子、上衣、下衣、帯剣などについて細かな規定が設けられた。また陸海軍人の武官の制服にも、大礼服に相当する正装ができた。女子の服制を洋装に規定したのは1886年6月で、大礼服をマント・ド・クールmanteau de courとした。これら大礼服の規定は1947年(昭和22)皇室令とその付属令の廃止のおりになくなった。現在では燕尾服(えんびふく)、モーニングコート、女子はローブ・デコルテrobe décolletée、ローブ・モンタントrobe montante、あるいは白衿(しろえり)紋付などが用いられている。
[遠藤 武]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…例外は19世紀後期にアメリカ海軍が使いはじめ,イタリアと日本が追随した紺の立襟長ジャケット型士官服である。服装変遷の中では,ある時代の仕事着が次に外出着になり,その次には礼服に押し上げられるという現象があり,海軍士官服にこれはとくに顕著で,19世紀初期の二角帽と燕尾服は第2次世界大戦の勃発まで大礼服として生きつづけた。海軍士官は多種類の服を持つ規則で,1880年ころから1940年ころまでの欧米では,大礼服―立襟燕尾服,夜会服―折襟燕尾服,礼服―正肩章付きフロックコート,通常礼服―フロックコート,軍服―ダブルの背広型,夏服―白色立襟長ジャケットで,このほかに作業服がある。…
…これは日本改造論者福地源一郎(桜痴)が,〈突飛家の勝利〉と驚嘆したほどの大変革であった。 新服制には洋式の文官大礼服と通常礼服を定め,宮中祭服を残して,旧衣装はすべて廃された。大礼服は新年朝拝,元始祭,新年会,伊勢両宮例祭,神武天皇即位日,神武天皇例祭,孝明天皇例祭,天長節,外国公使参朝の節に,有位の官員が着用する最高の礼服である。…
※「大礼服」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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