江戸後期の漢詩人。常陸の人。名は行,字は天民,通称は柳太郎,詩仏は号。住居を詩聖堂と号した。江戸に出て,清新派の詩風の両大家であった山本北山と市河寛斎に漢詩を学び,とくに寛斎の指導した詩社江湖社の有力な成員として活動した。南宋の詩を典範とする,日常的な詩情に富む平明な詩風で人気を集め,みずから南宋詩の紹介,啓蒙につとめた。のちには神田お玉ヶ池のほとりに詩社玉池(ぎよくち)吟社を開いて多くの後進を育て,19世紀前半の江戸の漢詩壇の大御所的存在であった。著書に詩集《詩聖堂詩集》(初編1809,2編1828,3編1838),詩論《詩聖堂詩話》(1799)などがある。また,書画をよくし,墨竹にすぐれていた。
執筆者:日野 竜夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸後期の漢詩人。名を行、字(あざな)を天民、通称を柳太郎、号を詩仏という。常陸(ひたち)国(茨城県)に医者の子として生まれる。山本北山(ほくざん)の奚疑塾(けいぎじゅく)や市河寛斎(いちかわかんさい)の江湖(こうこ)詩社に入って詩文を学んだ。1806年(文化3)江戸・神田お玉が池に詩聖堂を造築し、ここを根拠地に文化・文政期(1804~30)の江戸漢詩壇の大御所となった。平易清新な、俳諧(はいかい)に近い味わいの詩風が人気を得たのである。竹の画も得意とした。詩集に『詩聖堂詩集』初3編(1810~38)、『西遊詩草』(1819)、『北遊詩草』(1822)などがある。天保(てんぽう)8年2月11日没。墓は神奈川県藤沢(ふじさわ)市本町に現存する。
[揖斐 高]
『富士川英郎著『江戸後期の詩人たち』(1973・筑摩書房)』
(揖斐高)
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