柏木如亭(読み)かしわぎじょてい

  • 1763―1819
  • かしわぎじょてい〔かしはぎ〕
  • 柏木如亭 かしわぎ-じょてい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]宝暦13(1763).江戸
[没]文政2(1819).7.11. 京都
江戸時代後期の漢詩人。名,昶。字,永日。通称,門作。別号,痩竹,一杖閑客,晩晴堂。幕府小普請方大工棟梁の家に生れた。文墨に親しみ,32歳で辞職。後半生を遊歴の人として過した。漢詩市河寛斎に学び,江湖詩社の中心にあって江戸詩壇に清新の風を起した。詩集に『木工集』 (1793) ,『如亭山人藁初集』 (1810) 『如亭山人遺稿』 (22?) がある。また詩と旅と美味との出会いを記した漢文体随筆『詩本草』 (22?) もある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

1763-1819 江戸時代後期の漢詩人。
宝暦13年生まれ。生家は幕府小普請方の大工棟梁(とうりょう)。市河寛斎にまなび,大窪詩仏(おおくぼ-しぶつ),菊池五山とともに文化文政時代の江戸詩壇を代表した。詩風は南宋風から唐風に転じた。文政2年7月10日死去。57歳。名は昶。字(あざな)は永日。通称は門作。別号に柏山人。著作に「如亭集」,詩集に「木工集」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

没年:文政2.7.10(1819.8.30)
生年:宝暦13(1763)
江戸中期の漢詩人。名は昶,字は永日,通称は門作,号は如亭,痩竹など。江戸幕府の小普請方大工棟梁の家に生まれ,若くして市河寛斎に詩を学び,江湖詩社に参加して,江戸詩壇を擬古主義的な古文辞格調派の詩風から日常的な題材を詠う清新性霊派の詩風へと転換させる一翼を担った。家職を嗣いで小普請方の大工棟梁だったが,吉原での遊蕩がやまず,家財を使い果たして寛政6(1794)年32歳で職を辞した。その後は遊歴詩人の生活に転じ,上州,信州,越後をはじめ,西は京都,伊勢,備中,讃岐にまで足をのばし,詩を教え,書画を売って生計を立てたが,京都に客死した。終生流行の服を身につけ,美食を好むというエピキュリアンの日常であったが,詩に向かうときは謹直な姿勢を崩さず,清新な抒情詩を多く残した。著書は詩集に『木工集』(1793)『如亭山人稿初集』(1810)『如亭山人遺稿』(1822),旅と美味の思い出を記した漢文随筆に『詩本草』(1822)など。<参考文献>揖斐高編『柏木如亭集』

(揖斐高)

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世界大百科事典 第2版の解説

1763‐1819(宝暦13‐文政2)
江戸後期の漢詩人。江戸の人。名は昶,字は永日,如亭は号。幕府御用達の大工の棟梁の家に生まれたが,のちに家業を人に譲って,詩人として立った。1786年(天明6)市河寛斎に入門して,おりから流行しはじめた南宋詩の平淡な詩風を学び,大窪詩仏,菊池五山とともに,寛斎の主宰する江湖社の有力な成員となった。94年(寛政6)以後は諸方を遊歴するのを常とし,江戸にあるよりは,信濃,越後,伊勢などの地にあることの方が多く,最後は京都で客死した。

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大辞林 第三版の解説

1763~1819 江戸後期の漢詩人。江戸の人。通称門作。市河寛斎に漢詩を学び江湖詩社の詩人として活躍。詩集「木工集」「如亭山人稿初集」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

江戸後期の漢詩人。名を昶(ちょう)、字(あざな)を永日、通称を門作、号を如亭という。幕府の小普請(こぶしん)方大工棟梁(とうりょう)の家に生まれる。市河寛斎(いちかわかんさい)に漢詩を学び、江湖詩社(こうこししゃ)の詩人として活躍した。32歳で幕府の大工棟梁を辞職し、以後は各地を放浪し詩や画(え)を売って生活した。文政(ぶんせい)2年7月11日、京都で客死した。遊蕩(ゆうとう)の生涯であったが、清新で叙情的な詩を多く残した。詩集に『木工集(もっこうしゅう)』(1793)、『如亭山人稿初集』(1810)、『如亭山人遺稿』(1822)があり、旅と食物の思い出を詩を交えて綴(つづ)った随筆『詩本草』(1822)などもある。東京都荒川区西日暮里(にしにっぽり)の養福寺に石碑がある。[揖斐 高]
『揖斐高編『柏木如亭集』(1981・三樹書房)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

江戸後期の漢詩人。名は謙、のち昶。字は永日。通称門彌。江戸の人。小普請方大工棟梁のかたわら、市河寛斎門下として江湖詩社に加わり、清新叙情の詩風で知られた。三二歳で家職を辞し、諸国を遊歴中、京都で客死した。著に「木工集」「如亭山人稿初集」など。宝暦一三~文政二年(一七六三‐一八一九

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