ニュージーランド(読み)にゅーじーらんど(その他表記)New Zealand

翻訳|New Zealand

共同通信ニュース用語解説 「ニュージーランド」の解説

ニュージーランド

南太平洋にある島国。人口約523万人で、国土は日本の本州と九州を合わせた面積に匹敵する。主要産業は牧畜と林業で、世界一の乳製品輸出国。1人当たり国民総所得は約725万円。進取の気風で知られ、1893年、世界で初めて女性に選挙権を付与した。非核政策を堅持。環太平洋連携協定(TPP)の前身である4カ国協定を創設。2023年、子どもが生涯にわたって紙巻きたばこを吸えないようにする法律を施行した。(オークランド共同)

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精選版 日本国語大辞典 「ニュージーランド」の意味・読み・例文・類語

ニュー‐ジーランド

  1. ( New Zealand ) 南太平洋、オーストラリアの南東方にある国。イギリス連邦加盟国。南北二つの大島とその属島からなる。一六四二年オランダ人タスマンが発見。一八四〇年イギリスの直轄植民地となり、一九〇七年自治領、四七年に正式に独立。先住民はマオリ族だが、人口の大部分をイギリス系が占める。主な産業は牧羊・酪農。首都ウェリントン

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニュージーランド」の意味・わかりやすい解説

ニュージーランド
にゅーじーらんど
New Zealand

南西太平洋にある島国。オーストラリアの南東に幅約2000キロメートルのタスマン海を隔てて位置する。主として北島(11万5777平方キロメートル)と南島(15万1215平方キロメートル)の2島からなり、ほかにスチュアート島チャタム諸島などの属島をもつ。面積27万0534平方キロメートル、人口373万7277(2001)。おおむね南緯33~53度、東経162~西経173度に入る。1907年イギリスの自治領となり、1947年正式に独立した。イギリス連邦(コモンウェルス)加盟国。公用語は英語。首都はウェリントン。また管理下の島嶼(とうしょ)にトケラウ諸島があり、クック諸島、ニウエとは自由連合の関係にある(日本は2011年3月にクック諸島を、2015年5月にニウエを国家として承認)。

 国名は、1642年オランダの探検家タスマンがスターテン・ラントStaten Landt(「南の国」の意)と命名したが、のちにオランダの一地方名をとりNieuw Zeeland(「新しいゼーラント」の意)としたことに由来する。また、先住民のマオリはアオテアロアAotearoa(「白い長い雲」の意)とよんだ。マオリはタヒチ近辺の中央ポリネシアを故郷とする人々であるが、19世紀なかば以来イギリスから多数の移民を受け入れた結果、ヨーロッパ系住民の割合が90%を占め、他のポリネシア島嶼と違った発展をした。オーストラリアとともに南半球におけるヨーロッパ系住民の多い国で、生活水準の高い完全福祉国家となっている。

 国旗は、イギリス連邦加盟国を表すユニオン・ジャックに南十字星を表す四つの星を配したもの。国歌はイギリス国歌の『ゴッド・セーブ・ザ・クイーン』と、トーマス・ブラッケン作詞、ジョン・J・ウッズ作曲の『ゴッド・ディフェンド・ニュージーランド』God Defend New Zealandの二つがあり、1977年以来、両者が同等の地位にある。

[浅黄谷剛寛・青柳まちこ]

自然

地形・地質

国土は環太平洋造山帯の一部をなし、主島の北島と南島が南北に連なってγ(ガンマ)状の形態をとる。地形は山がちで火山も多く、脊梁(せきりょう)山脈はとくに高峻(こうしゅん)である。標高200メートル未満の低地は全島の6分の1の面積にすぎず、平地に乏しい。200~300メートルの開析の進んだ丘陵ないし山麓(さんろく)部が3分の2を占め、残りが1000メートル以上の高地ないし山地である。南・北両島の脊梁山脈は、第三紀から第四紀更新世(洪積世)にかけてのカイコウラ造山運動によって今日の輪郭が完成した。北島は、脊梁山脈が東部を走り、中央部はタウポ火山帯とよばれる溶結凝灰岩の火山台地を形成する。ルアペフ火山(2797メートル)、ナルホエ火山(2291メートル)、トンガリロ火山(1968メートル)の三活火山がそびえ、タウポ湖からロトルア湖にかけては地熱地帯で温泉が湧出(ゆうしゅつ)し、一大観光地をなす。西端には円錐(えんすい)形のエグモント山(2518メートル)がそびえ、ニュージーランド富士の異名をもつ。南島は西岸寄りにサザン・アルプスが北北東―南南西の方向に走り、最高峰クック山(3764メートル)をはじめ、3000メートル級の高山が連なる。タスマン氷河フォックス氷河などの氷河、ワカティプ湖など数多くの氷食湖をはじめとする氷河地形を有し、南西岸には大規模なフィヨルド(峡湾)が発達する。山脈の東部にはこの国最大のカンタベリー平野が広がり、南部にはオタゴ高地が連なっている。

[浅黄谷剛寛・青柳まちこ]

気候

偏西風帯にあるため、北端部の亜熱帯地域と高山地域を除いてほぼ全島が西岸海洋性の温和な気候に支配されている。年平均気温は北島のオークランドで15.1℃、南島南端のインバーカーギルで9.8℃で、年較差もおおむね8~9℃と寒暑の差は大きくない。年降水量をみると大部分の地域は1000~1500ミリであるが、サザン・アルプスの西斜面は2000~6000ミリに達する。このため、広範囲にわたって氷河が形成され、ことに西斜面の氷河は密生する温帯雨林の間を縫って標高200メートル近くまで下降する。反対に東側は500ミリ未満の所もあり、ときおりフェーン現象もみられ、タソック(イネ科植物)の草原となっている。

[浅黄谷剛寛・青柳まちこ]

植物相

緯度的にみると、ニュージーランドは日本と似た位置にあるが、冬が暖かいため日本に比べて常緑林の占める面積が広い。北島は温暖で雨量が多いことから、巨木になるカウリ松Agathis australisのほか、ダクリディウム属、ナギ属、ナンヨウスギ属などの針葉樹と、ナンキョクブナ属、タワ属、ヒメフトモモ属、ホルトノキ属などの照葉樹型の広葉樹の混合した林の領域が広く、木生シダなども混じる。また、海岸にはマングローブがみられる。南島はサザン・アルプスが南北に走るため、植生は二つに分けられる。山脈の西側は雨量が多く、主としてナンキョクブナ属の林に覆われるのに対し、東側は乾燥して、乾いたイネ科のステップとなっている。山地ではナンキョクブナ属(種ではノトファグス・クリフォルトイデスNothofagus cliffortoidesなど)、あるいはリボセドルス属(種ではリボセドルス・ビドウィリーLibocedrus bidwillii)、ナギ属などの針葉樹による低い林がみられる。

 ニュージーランドには、シダ植物と種子植物を合わせて1850種ほどの植物があるが、そのうち、78%以上が固有種である。また、属レベルでは、アルセウオスミア属Alseuosmia(スイカズラ科)、ラブドタムヌス属Rhabdotamnus(イワタバコ科)、シャウイア属Shawia(キク科)など40の固有属があり、植物区系区ではニュージーランド区系区とされる。さらに、南アメリカ南部、タスマニア島、亜南極の諸島などとはアブロタネラ属Abrotanella、ディクソニア属Diksonia、レプトカルプス属Leptocarpus、リボセドルス属Libocedrus、ナンキョクブナ属Nothofagusなどの共通属があるため、区系界では南極区系界としてまとめられる。また、ニュージーランドには隣接のオーストラリア区系界や、ニューギニア島などの旧熱帯区系界と共通する種類も分布する。高山にはコメススキ属、リンドウ属、キンポウゲ属、アカバナ属などがあり、全北区系界に似ている。なお生態学的にみると、ヒツジなどの放牧で植生やフロラ(植物相)が破壊されている所や、ヨーロッパなどから持ち込まれた外来種によって自然が攪乱(かくらん)されている所も多い。

[大場達之]

動物相

ニュージーランドはきわめて古い島であり、1億年以上も前の中生代ジュラ紀末から生息する古いタイプの動物によって特徴づけられる。しかし、マオリの移住や、18世紀のヨーロッパ人の移住に伴って新しい動物が持ち込まれ、ニュージーランドに固有の動物は絶滅ないし絶滅寸前に追いやられている。

 ニュージーランドにもともと生息していた哺乳(ほにゅう)類はコウモリが2科だけである。その1科は固有のもので、ほかの1科はオーストラリア系である。鳥類は250種以上が知られ、世界的に広く分布するもの、オーストラリア系のもの、固有のものに分けられる。ニュージーランドに固有な鳥類で特徴的なのは、翼が退化して飛べない鳥である。国鳥として有名なキーウィ類、クイナ類、絶滅したモア類のほか、ガンの1種、スズメ科のニュージーランドサザイ、夜行性のフクロウオウムも飛べない。捕食者がいないことが、これらの飛べない鳥の進化を許したものと考えられる。爬虫(はちゅう)類では、ほかの地方では1億年前に絶滅した原始的なムカシトカゲが生き残っている。ヘビとカメの仲間は生息せず、ヤモリが1種いるが、卵胎性の固有種である。両生類は、変態後もしばらく尾が残っている原始的なカエル(ムカシガエル属Leiopelma)だけしかいない。淡水魚は本来は生息していなかった。

 マオリが持ち込んだ動物はイヌとネズミだけであったが、ヨーロッパ人は家畜のほかにもさまざまな動物を移入した。その目的は狩猟のため、毛皮をとるため、あるいはペットにするためなどであった。それらの動物はシカ類、シャモア、ネコ、イタチ、ウサギ類、ハリネズミ、キジ、ハト、ガン、ツグミ、カラス、スズメ、マスなどの淡水魚などである。

 移入動物の野生化および家畜の放牧による生息環境の破壊のため、ニュージーランドにもともとすんでいた固有の動物は、急速に姿を消していった。現在では、保護区の設置など固有種の保護の努力が払われている。

[新妻昭夫]

地誌

北島

ニュージーランド全人口の76%が北島に居住している。自然環境と行政区分を加味して、ここでは(1)ノースランド、(2)オークランド、(3)ワイカト地方、(4)中央部(火山台地)、(5)タラナキ地方、(6)マナワツ低地、(7)ウェリントン、(8)東部地方の八つの地域に分けて記述する。

 (1)北部のノースランドはかつてはカウリ松の森に覆われていた。東側のアイランズ湾には早くから捕鯨船や商人、宣教師などのヨーロッパ人が訪れた。1840年、ワイタンギ条約の結ばれたワイタンギもこの地域にある。(2)オークランドは人口100万人を数えるこの国最大の都市で、商工業の中心地である。また現在はマオリや太平洋諸島民をはじめとして、海外からの移住者の多数が住む多民族都市である。(3)ハミルトンを中心とするワイカト地方は、肥沃(ひよく)な大地に恵まれ農業が盛んである。(4)中央部はトンガリロ国立公園のある火山地帯で、標高2797メートルのルアペフ火山がその最高峰をなしている。ロトルア温泉やタウポ湖などの観光地がある。(5)南西部のタラナキ地方は富士山に似た美しいタラナキ山の山麓(さんろく)地帯で、この国最大の天然ガスの生産地である。中心都市はニュー・プリマスである。(6)酪農が盛んな地帯で、ワンガヌイ、パーマストン・ノース両市がある。(7)ウェリントンはイギリス移民の最初の入植地で、1865年以来ニュージーランドの首都として政治の中心である。背後が丘陵地のため、住宅地は北部のハット・バレーに延びている。(8)東海岸は牧羊・肉牛地帯であるが、ネーピア、ヘースティングズでは林業、園芸が行われ、ギスボンは漁港である。

[青柳まちこ]

南島

南島の中央部を南北にサザン・アルプスが走っており、この山脈の西側は多雨地帯、東側は少雨地帯である。(1)クック海峡地方、(2)ウェストランド、(3)カンタベリー地方、(4)オタゴ地方、(5)サウスランド、(6)チャタム島に分けて記述する。

 (1)クック海峡地方は園芸、肉乳牛飼育が行われている。(2)ウェストランドは人口が希薄で、北部に炭田がある。(3)カンタベリー平野は小麦とヒツジの混合農業地帯で、クライストチャーチはこの国第二の都市である。西側の山岳地帯では水力発電が盛んである。(4)かつてゴールドラッシュに沸いた地域で、ダニーデンはスコットランドからの移民によって開かれた都市である。(5)ミルフォード・サウンド、クイーンズタウンはフィヨルド観光の中心地である。(6)チャタム島は南島の海上に浮かぶ島で、マオリより先にこの地に到来し、マオリによって滅ぼされたといわれるポリネシア系のモリオリの居住地である。

[青柳まちこ]

歴史

先住民マオリ

ニュージーランドに最初に植民したのは、中央ポリネシアを故郷とするマオリである。彼らが最初にこの地を訪れたのは、8世紀ごろと考えられているが、14世紀の中ごろに7艘(そう)のカヌーによる大規模な移住があったと伝えられている。この移住にあたって、マオリは彼らの必要とする食物などを携帯したが、多くの熱帯の植物はここでは生育せず、新たに環境に適応する必要に迫られた。この地でマオリの主要な食物となったのは、サツマイモとシダの根である。大型の飛べない鳥モアは、彼らの狩猟によって絶滅してしまった。

[青柳まちこ]

探検と植民

最初にこの地を訪れたヨーロッパ人は1642年のオランダ人タスマンである。ついでイギリス人クックが数次の探険を重ねた。18世紀になると、すでにイギリスの植民地となっていたオーストラリアから、アザラシ狩猟者、アマや木材の商人、捕鯨船などが訪れるようになった。1814年にはキリスト教も伝えられた。

 1840年イギリス海軍大佐ホブソンは北島アイランズ湾のワイタンギで、マオリの首長たちと条約を結び、この地をイギリスの植民地とした。条約は3条からなり、それらは〔1〕マオリ首長らは彼らの所有する権利をすべてイギリス国王に移譲すること、〔2〕イギリス国王はマオリの所有する土地・森林・水産資源などを完全に保障すること、〔3〕マオリにイギリス国民としての特権が与えられることである。当初オーストラリアの一部に組み入れられたが、1841年より独立の植民地となった。

[青柳まちこ]

植民地の建設

ウェークフィールドEdward Gibbon Wakefield(1796―1862)はこの地に理想的な植民地を建設しようとの夢を抱き、ニュージーランド会社を設立した。最初の移民船がポート・ニコルソン(現在のウェリントン)に到着したのは1840年のことである。続いて会社はタラナキ、ワンガヌイ、南島のネルソンに入植地を設定した。

 1850年代のなかばになると続々と到着する移民たちの数がマオリを凌(しの)ぐようになった。植民者は土地を要求した。最初のころは売却の意味を理解せず、些細(ささい)な日用品で土地を手放していたマオリたちも、危機感から土地不売同盟を結び、政府と対抗するようになった。それがタラナキに端を発した土地戦争となり、両者は1860年から1872年にわたって断続的に戦闘を行った。この戦争と戦後の土地没収により、マオリはその土地のほとんどを失ってしまった。

 一方、1850年代に南島に金鉱が相次いで発見され、多くの人々がコーリングウッド、オタゴ、ウェストランドと、より豊かな金鉱を追って移動していた。ゴールドラッシュのころ、ダニーデンはこの国最大の大都会であったという。ニュージーランドの金の輸出は、1866年にピークに達した。

[青柳まちこ]

独立国としての歩み

婦人参政後の最初の選挙で首相となった自由党のセドンは、老齢年金法を定めたり、労働者の保護立法を進め、労働時間、最低賃金の規則など、今日の福祉国家の基礎を築いた。1907年自治領となり、実質的な独立を得たが、第一次世界大戦ではイギリスを援助してヨーロッパ戦線で戦い、トルコのガリポリで人口の65分の1を失うという多大の人的被害を被った。1919年には国際連盟に加入する。1930年前後の世界的不況はニュージーランドをも襲い、失業者は街にあふれ、1932年にはいくつかの都市で暴動が起きた。このような経済的混迷のなかで、1935年、ニュージーランド初の労働党政権がサベッジMichael Joseph Savage(1872―1940)によって成立し、労働者保護、社会福祉をいっそう強化する方向に進んだ。

 第二次世界大戦では連合国軍として参戦したが、これは第一次大戦参戦のようなイギリスに対する熱狂的祖国愛からではなく、むしろ太平洋における自国の防衛のためであった。戦後の1947年、外交面でもイギリスからの独立を達成した。戦後は安全保障面からアメリカとの協調路線が外交の大きな柱になった。

[青柳まちこ]

政治

1949年には国民党内閣が成立し、以後、労働党(1957)、国民党(1960)、労働党(1972)、国民党(1975)、労働党(1984)、国民党(1990)と二大政党が交互に政権を握っている。1996年の総選挙では、第一党の国民党がニュージーランド・ファースト党との連立政権を組んでいる。1997年には国民党党首シップリーJennifer Shipley(1952― )が同国初の女性首相に就任した。

[青柳まちこ]

国内政治

イギリス国王を君主とする立憲君主制で、君主の権限を代行するのは任期5年の総督である。1985年から1990年までの総督はマオリ、1990年から1996年までは女性であった。

 1852年選挙制度が確立し、1867年にはマオリの男性に選挙権が認められた。このときマオリ特別区が設けられ、マオリのために4議席が確保された。女性参政権も他国に先駆けて1893年に導入され、1919年には被選挙権にも拡大された。現在18歳以上の男女が選挙権をもつ。1951年以来国会は一院制である。

 1993年、選挙法の改正を問う国民投票が行われ、圧倒的多数によって、MMP方式(mixed-member-proportional system=小選挙区・比例代表併用制方式)の採用が決定した。これによれば各有権者は自己の所属する選挙区の立候補者を選出する1票と、政党を選択する1票を有することになる。新しい選挙法により議員定数はこれまでの99名から120名となり、うち64名が選出による議員、56名が政党別による議員である。マオリのこれまでの特別4議席は5議席に増加され、1996年の選挙では15名のマオリ国会議員が選出された。内訳は選挙区選出6名、政党選出9名である。

 1996年の総選挙での党派別議席分布は国民党(44)、労働党(37)、ニュージーランド・ファースト党(17)、連合党(13)、アクト・ニュージーランド党(消費者納税者同盟、8)、統一党(ユナイテッド・ニュージーランド、1)である。

 多数党の党首が総理大臣となる。内閣は総理大臣のほか最大20名の閣僚からなり、政府の政策決定に責任をもつ。1962年にオンブズマンが制定され、行政に関する市民からの苦情の調査にあたっている。

 司法は政府の権限とは独立して存在し、裁判官は総督によって任命される。法律は国会によって立法化されたものと、イギリスのコモン・ローで、憲法はない。裁判所は軽度の犯罪を取り扱う地方裁判所、すべての重要事件を取り扱う高等裁判所、上訴を取り扱う控訴院がある。控訴院の裁定に不服である場合、イギリスの枢密院に上訴することも可能である。また1975年、マオリの苦情に対処しそれを解決する機関としてワイタンギ審判所が設立され、1840年以降ヨーロッパ人から被った被害をマオリに賠償する作業が行われている。

[青柳まちこ]

外交

イギリス連邦の一員で、イギリスとの間には共通した歴史、慣習があり、いまなお多くの人々にとってイギリスは父祖の国である。現在もっとも緊密な関係にあるのは、兄弟国である隣国のオーストラリアである。1983年両国間に経済緊密化自由貿易協定(CER)が結ばれており、物とサービスの自由な取引が行われている。1952年からアメリカ、オーストラリアとともに、アンザス条約(ANZUS、軍事同盟)を締結していたが、労働党政府の非核政策のために、1985年アメリカとの関係が冷却化した。国民党政権の下で両国の関係の正常化が図られている。

 国土が南太平洋に位置する関係から、今日ではとくにアジア太平洋地域との密接な関係を志向しており、太平洋諸島フォーラム(PIF)を通して経済協力が前進している。フランスの核実験に関しては南太平洋諸国とともに強力な反対運動を展開した。

[青柳まちこ]

国防

ニュージーランド総督の下に陸・海・空の3軍が編成されている。正規軍の勢力は陸軍4500人(歩兵大隊2、砲兵中隊1など)、海軍2150人(フリゲート艦3、哨戒艇(しょうかいてい)4など)、空軍3220人(対地攻撃戦闘飛行隊2、海上偵察飛行隊1)で、1996年の国防予算は7億2800万ドルである。1950年以来徴兵制が施行されていたが、1962年から選抜式義務教練制にかわり、1970年以来志願制である。

 核兵器積載艦、原子力艦の寄港を容認しない労働党政権は、1985年アメリカ艦の寄港申し入れを拒否したため、アメリカはニュージーランド防衛義務を停止し、1952年以降継続してきたアンザス同盟は事実上停止した。

[青柳まちこ]

経済

概観

1996年度(1996年7月~1997年6月)財政は予算歳入332億4300万ドル、歳出328億7000万ドルである。ニュージーランド経済の特色は貿易依存度が非常に高いことである。酪農製品、食肉、羊毛といった第一次産品が輸出収入全体の4割を占めている。産業別労働人口も第一次産業従事者の割合が他の先進諸国に比べて高い。かつては経済に対する国の介入の度合いが大きく、金融、運輸、通信、動力、資源、観光など国営事業の比率が高かったが、1980年代から行政改革、規制緩和、民営化が進み、外国為替(かわせ)取引規制、輸入免許制、製造業者・輸出業者・農民への補助金は全廃された。現在は世界でもっとも自由化の進んだ経済と評価されている。民営化に伴って国営資産を売却し売却金を債務償還にあてたため、159億ドルに達していた債務は1996年ゼロとなった。

[青柳まちこ]

エネルギーと鉱物資源

豊富な河川を利用して水力発電を行い、電力総需要量の7~8割を満たしている。南島の発電所からは高圧海底ケーブルを用いて、人口の多い北島に送電している。残りの電力は石油、ガスによる発電で補っているが、地熱蒸気も発電に利用されている。安全性を考慮して原子力発電は取り入れられていない。

 鉱物資源はとくに豊かではないが、石炭は最大の資源で潜在埋蔵量は86億トンといわれ、炭鉱は北島ワイカト地方と南島北西部にある。タラナキ地方で生産される天然ガスは一部が発電に、一部が合成ガソリンの生産に使用される。砂鉄は国内の鉄鋼生産に用いられるほか、日本にも輸出されている。チタンの採鉱も南島で開始され、また太陽熱により年間6万トンの塩が生産され、国内消費にあてられている。

[青柳まちこ]

農牧業・林業・漁業

耕地面積は両島あわせて1660万ヘクタールであるが、ニュージーランド農業は牧草への依存度が非常に高く、牧畜・酪農地が80%で、耕作地は1%に満たない。かつては人間1人当り20頭のヒツジがいるといわれたが、頭数が減少し、現在では約14頭である。最上の牧草地では1ヘクタール当り25頭のヒツジ飼育、また3.5頭のウシ飼育が可能である。乳牛384万頭、肉牛505万頭、ヒツジ4947万頭(1994)が飼育されている。1970年代以降飼養が盛んとなったシカは123万頭を数える。農業の生産性はきわめて高く、農業技術は世界一流である。食肉はニュージーランドの最大の輸出品で、ラムの83%、マトンの64%、ウシの81%が輸出されている。

 国土の4分の1が森林に覆われ、約620万ヘクタールが天然林、130万ヘクタールが生産林で、その9割を生長が早く用途の広いラディアタ松が占め、世界のラディアタ松の3割強を生産している。

 排他的経済水域は200海里で、広大な漁業域を有する。ここでは経済的価値の高い熱帯マグロ、タイ、エビ、サケ、ヒラメ、イカなどの魚がとれる。

[青柳まちこ]

工業

製造業従事者の割合は、機械器具関係27%、食品・飲料・タバコ関係25%、繊維・衣服・皮革関係11%、木材加工11%、製紙・印刷・出版11%、化学薬品・石油・石炭・ゴム・プラスチック9%である。機械器具の部門は、商工業・医療・通信・家電製品が主要なものである。自動車は国内市場用に生産されているが、自動車部品は輸出に向けられている。食品産業では食肉加工の従事者が圧倒的に多い。羊毛製品は世界の総生産量の11%を生産している。

[青柳まちこ]

貿易

輸出入とも最大の相手国はオーストラリアで、1995年の統計によれば輸出総額の20.8%、輸入総額の20.9%を占める。1990年以降オーストラリアとの間には両国間の自由貿易を促進する協定が結ばれている。ほかの主要輸出国は日本、アメリカ、EU(ヨーロッパ連合)など、主要輸入国はアメリカ、日本、イギリスなどであるが、オーストラリア、アメリカを含めたAPEC(アジア太平洋経済協力)諸国との輸出入だけで71~72%に及んでいる。輸出は酪農製品と食肉、木材、羊毛などが中心で、輸入は自動車、電気機械などである。

[青柳まちこ]

交通

オークランド、ウェリントン、クライストチャーチが国際空港で、国際線に就航するニュージーランド2社のほか、外国航空会社25社が乗り入れている。またほとんどの都市間を国内線が連結している。輸出入貨物の9割以上が海運によっており、コンテナ船、貨物船は主要13港に定期的に寄港している。国内交通は自動車が主で、道路網はよく発達している。個人所有の普通乗用車は165万台で、人口2人強に1台の割合である。鉄道はこれまで政府経営であったが、民営化政策によって、1995年外国系企業に売却され、経営が続けられている。全長4000キロメートルであるが、大部分は貨物用である。

[青柳まちこ]

観光

観光はニュージーランドの主要産業の一つで、外国人観光客の誘致に力が入れられている。ニュージーランド最大の観光資源は美しい自然であり、北島のトンガリロ国立公園、南島のフィヨルドランドはじめいくつかの国立公園がある。自然保護には厳しい政策がとられ、環境に対する人々の意識も高い。南島カイコウラ付近でのクジラ見物のほか、山登り、スキー、釣りなど美しい自然のなかでの各種スポーツも観光客に人気がある。ロトルアには間欠泉があり、付近にはマオリの復原村落がある。外国人観光客は153万人(1996)、1位はオーストラリア人で29%、2位は日本人で11%を占めている。

[青柳まちこ]

社会・文化

住民・人口

先住民マオリの人口は初めて統計がとられた1858年には5万6000人であったが、19世紀末には4万2000人と最低を記録した。その後マオリ人口は増加に転じ、2001年の国勢調査では52万6281人(総人口の14%)である。マオリの大部分は北島に居住し、とくに1950年代からは都市への移住が顕著である。南太平洋からの移住者の多くもオークランド近郊に住む。自らをヨーロッパ人と回答した者は総人口の8割で、その先祖は主としてイギリスであるが、ドイツ、北欧、イタリアなども含まれている。

 全人口の約4分の3が北島に住む。都市集中は著しく、2001年の国勢調査によれば五大都市の人口はオークランド36万7734人、クライストチャーチ31万6227人、マヌカウ28万3200人、ノースショア18万4821人、ウェリントン16万3824人である。このうちマヌカウ、ノースショアはオークランド近郊都市であるので、大オークランド圏の人口は107万4507人と100万人を超え、総人口の3割を占める。国土の大部分が山がちであるので、人口密度は1平方キロメートル当り13.8人と低い。

[青柳まちこ]

社会福祉

世界でもっとも進んだ福祉国家として知られ、8時間労働制(1873)、最低賃金制(1894)、児童手当制(1926)などを最初に制定した国である。保護保障は労働者や高齢者のみでなく広く国民一般に開かれ、質の高いサービスが提供されていた。しかし1973年のイギリスのEC(ヨーロッパ共同体)加盟とその翌年のオイルショック以後、財政が悪化し、この分野にも競争原理が取り入れられることとなった。そのため現在福祉政策は大幅な後退を余儀なくされている。

[青柳まちこ]

教育

6~15歳までは義務教育であるが、5歳で小学校に入学する子供が多い。公立小学校は共学である。小学校入学以前の幼児を対象としたコハンガ・レオはマオリ語およびマオリ文化を学習する機関である。通常13歳で中等学校に進み、3年の課程を終えると全国共通試験を受ける。七つの国立総合大学と一つの私立大学、それにマオリによって運営されている二つの高等教育機関がある。大学と並んで専門教育をより広い立場で提供している教育機関として、全国に25のポリテクニクがある。また、遠隔地に住む子供や身体に障害をもち、通学が困難な子供のために通信教育が行われ、テープや放送を利用するほか、教師の家庭訪問による授業もある。

[青柳まちこ]

スポーツ・文化

さまざまな屋外スポーツが盛んである。なかでも国技ともいえるラグビーの人気は高く、オール・ブラックスは世界最強のチームの一つである。国際的水準にあるものとしては陸上競技、クリケット、スカッシュ、馬術などがある。ヨットも世界的レースを制する成績を残している。

 文学者としてはマンスフィールドがもっとも有名であるが、社会派リアリズムのサージソン、また近年はヒュームKeri Hulme(1947―2021)、ダフAlan Duff(1950― )、イヒマエラWiti Ihimaera(1944― )などのマオリ作家の活躍が目だっている。画家としてはホジキンズFrances Mary Hodgkins(1869―1947)、声楽家としてはキリ・テ・カナワKiri Te Kanawa(1944― )が傑出している。

[青柳まちこ]

日本との関係

第一次世界大戦ではイギリスとの同盟関係にあった日本は、ヨーロッパ戦線に出撃するニュージーランド艦隊の護衛にあたった。第二次世界大戦では、両国は直接交戦することはなかったが、南太平洋で捕虜となった日本兵の収容所がフェザストンに設けられた。

 1943年2月にこの収容所で起きた蜂起(ほうき)事件では、日本兵死者48名、ニュージーランド兵死者1名のほか、多くの負傷者を出している。戦後はニュージーランド兵の日本進駐、および朝鮮戦争への参加を通じて、一般のニュージーランド人が一般の日本人と接触する機会が増加した。

 イギリスのEC(ヨーロッパ共同体)加入に伴って、アジアに目を向け始めたニュージーランドは日本と急接近するようになった。1960年代に6割を占めていた対イギリス貿易は減少し、当時1%にすぎなかった対日貿易は1980年代になると10%に急浮上する。1995年の統計によれば、日本はニュージーランドの輸出相手としてオーストラリアに次いで2位、輸入相手国ではオーストラリア、アメリカに次いで第3位を占めており、それぞれ34億1600万ドル(16.3%)、31億7600万ドル(14.9%)である。日本向け輸出品は木材、アルミニウム、有機化学物質、魚類、輸入品は車、機械、電子機器などである。

[青柳まちこ]

『シンクレア・キース著『ニュージーランド史』(1982・評論社)』『小松隆二著『理想郷の子供たち』(1983・論創社)』『ニュージーランド外務貿易省『ニュージーランド』(1995)』『小松隆二著『ニュージーランド社会誌』(1996・論創社)』『高橋康昌著『斜光のニュージーランド』(1996・東苑社)』『『New Zealand Official Yearbook』(1996)』『青柳まちこ編『もっと知りたいニュージーランド』(1997・弘文堂)』

世界遺産の登録

ニュージーランドでは「テ・ワヒボウナム 南西ニュージーランド」(1990年、自然遺産)、「トンガリロ国立公園」(1990、1993年、複合遺産)、「ニュージーランドの亜南極諸島」(1998年、自然遺産)がユネスコ(国連教育科学文化機関)により世界遺産に登録されている。

[編集部]


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改訂新版 世界大百科事典 「ニュージーランド」の意味・わかりやすい解説

ニュージーランド
New Zealand

基本情報
正式名称=ニュージーランドNew Zealand 
面積=27万0467km2 
人口(2010)=437万人 
首都=ウェリントンWellington(日本との時差=+3時間) 
主要言語=英語,マオリ語 
通貨=ニュージーランド・ドルNew Zealand Dollar

赤道と南極の中間,南太平洋の南緯34°~47°に位置するイギリス連邦内の自治領。北島(面積11万5777km2)と南島(15万1215km2)の2大島,南島の南のスチュアート島,東方のチャタム諸島などからなり,ポリネシアのクック諸島トケラウ諸島ニウエ島も含む。温暖な気候に恵まれた牧畜国で,自然保護と高福祉政策を誇る。イギリス系,マオリ,南太平洋諸島からの移住者アイランダーが築く多文化・多言語併存の国である。なお,マオリ語では国名をアオテアロアAotearoaという。
執筆者:

環太平洋造山帯に属するニュージーランドでは,地形,地質が複雑で,山地,丘陵が大半を占める。南島のサザン・アルプスを中心とする脊梁山脈は,第三紀末から第四紀洪積世にかけて起こったカイコウラ造山運動によって形成されたもので,南島,北島にまたがり,南西~北東方向に走っている。南島では古生層,中生層の古い地質が広く分布し,西部や南部には変成岩が多い。南島南西部およびスチュアート島の変成岩は先カンブリア層である。サザン・アルプス中央部にはこの国の最高峰クック山(3764m)をはじめ高山が連なり,タスマン氷河などの氷河や,多数の氷河湖,氷河地形が発達している。東岸中部には洪積世の氷期の堆積物によって形成されたこの国最大のカンタベリー平野がある。南岸のサウスランド平野も同様の成因によるものである。西岸南部にはフィヨルドが発達し,独特の景観をつくりだしている。南島に比べると北島では一般に第三紀層,第四紀層の丘陵性の地形が卓越しており,サザン・アルプスの延長にあたる中生層の脊梁山脈の標高も高くない。北島の特色は第四紀洪積世の火山活動による火山地形にあり,北島中央部のルアペフ山(2797m。北島最高峰)や富士山に似た形の西部のエグモント山(2518m)などが知られている。中央部のタウポ湖(面積606km2はこの国最大)からロトルア湖にかけて火山台地が広がり,間欠泉,温泉があり,地熱利用が進んでいる。北西にのびる半島部の西岸には,溺れ谷による湾入と,偏西風による砂州の発達で形成された直線的な海岸線との組合せがみられる。

ニュージーランドの気候は偏西風の影響を強く受ける西岸海洋性気候である。大洋に孤立し,大陸の影響を受けないので,気温の年較差は小さく,おおむね10℃内外にとどまる。南北の緯度差による気温の地域差も日本に比べてはるかに小さく,夏は6℃程度,冬は8℃程度である。したがって標高による影響を別にして人口の大半が住む海岸地帯に限れば,夏の日最高気温が25℃を超えたり冬の日最低気温が氷点下となることは少ない。降水量の季節差も小さく,年間を通じて降雨があるが,地形の影響による地域差がみられる。とくに南島では西岸の降水量がきわめて多く,場所により年7000mmを超えるのに対して,東岸では年600mm以下にすぎず,東西の差が著しい。
執筆者:

全人口の75%がイギリス人を主とするヨーロッパ系で占められる。ポリネシア系の先住民マオリ族は約40万人である。マオリは東ポリネシアの島(伝説ではハワイキ)からニュージーランドへ大航海をしてきて,シダの根やサツマイモや魚や鳥を食べ,木彫と歌舞と戦闘に秀でた石器時代の無文字民族だった。ヨーロッパ人渡来後,彼らとの土地戦争で一時期人口が大幅に減ったが,現在は人口の3/4が30歳以下という若い民族である。先祖と父祖の地を愛し,自然に宿る神々をたたえる伝統を今も失っていない。そのほか同じくポリネシア系で南太平洋諸島からの移住者アイランダーが約10万人いる。住民の75%が北島に住み,8割が南・北両島の都市部に集中している。

 言語はヨーロッパ系,マオリともに発音,語彙が独特のニュージーランド英語を使う。1974年にマオリ語も公用語と認められ,2言語習得者が増えている。宗教は大部分がキリスト教で,アングリカン・チャーチ,長老派教会,カトリック,メソディスト派が四大教会である。マオリはキリスト教と固有信仰を矛盾なく両立させている。
執筆者:

17世紀中ごろ,欧米人に〈発見〉される以前に南・北両島に住んでいたポリネシア系住民マオリ族は,2回に分かれて東ポリネシア(現在のフランス領ポリネシアの諸島)から移住したと推定されている。初期の移住者はモア・ハンターと後世呼ばれ,8世紀ごろカヌーや漂流によって,ニュージーランドに住みついた。モアはポリネシア語で〈家禽(かきん)〉を意味し,南・北両島の草原にいた,翼がなく人間の背丈と同じくらいの大きな鳥で,当時のマオリは石器を使う狩猟・漁労民族だった。後期の大移住Great Migrationは13~14世紀ごろで,双胴のカヌー船団で熱帯ポリネシアからタロイモ,ヤムイモ,サツマイモといった栽培作物をもち込み,モア絶滅後は小鳥,魚貝類を採って暮らした。居住地域は南緯44°の南島カンタベリー地方にも広がった。マオリは精巧な細工の石斧,骨の釣針のほか,木彫芸術にすぐれ,戦闘用カヌー,精巧な飾りをつけた集会所,さらに緑岩石(ヒスイの一種)による装身具,彫刻の文様でも高い芸術的才能をみせた。

 マオリはしだいに部族を形成し,土地は重要な財産として部族に所属した。部族は首長と平民,奴隷からなり,高位の首長が支配権を握った。部族間の戦争が多く,負けた部族は奴隷になった。ポリネシアに共通のマラエと呼ばれる聖地あるいは集会場が村落生活の中心で,戦争ではパpaという砦に戦士がたてこもった。首長も兼ねた聖職者は,さまざまのタプtapu(禁忌)を定め,法律や警察の役割を果たした。マオリは文字をもたず,口伝で歴史を伝え,自分たちの国をアオテアロアAotearoa(長くて白い雲の地)と呼んだ。

 オランダ東インド会社から南方の新大陸を探すよう派遣されたタスマンは1642年に南島を〈発見〉し,故国オランダのゼーラント州にちなんでニーウ(新)・ゼーラント(この英訳がニュージーランド)と命名した。しかしタスマンが島には金銀などがないと判断したため,1769-70年にイギリスのJ.クックが到来して南・北両島を測量するまでこの地を訪れるヨーロッパ人はなかった。19世紀に入ると,隣のオーストラリア植民地からやってきたアザラシや鯨捕りがニュージーランドを基地として利用するようになった。彼らはマオリと衝突し,食人の習慣があったマオリに殺されることもあった。1814年には会衆派教会系のロンドン伝道協会のマーズデンSamuel Marsden(1764-1838)によるキリスト教の布教活動が始まったが,当時はマオリの人口,文化がヨーロッパ人のそれをしのいだ〈マオリ支配〉の時代であった。北島北端近くのアイランズ湾Bay of Islandsが交易の中心地となり,イギリス,フランス,アメリカの捕鯨船や商船が出入りした。イギリスではニュージーランドをオーストラリア植民地の一部にするか,新しい移住先にするか両論あったが,38年にニュージーランド会社が設立され,40年1月に最初の移民が現在の首都ウェリントン付近に着いた。

1840年2月6日,アイランズ湾岸ワイタンギでイギリス駐在官ホブソンWilliam Hobson(1790-1842)と,マオリの首長約50人との間でワイタンギ条約が結ばれた。この条約によってマオリは主権をビクトリア女王に譲り,女王にのみ土地の購入権を与えた。一方,イギリスはマオリの土地,森林,漁場,資産の所有権を保障し,マオリにイギリス人としての権利を与えた。同年5月イギリスはニュージーランドの併合を宣言し,総督となったホブソンはオークランドを首都とした。なおワイタンギ条約締結日は,いま〈建国の日〉になっている。

 52年にヨーロッパ人に選挙権(マオリ男性の選挙権獲得は67年)が与えられ,ニュージーランド自治議会が54年に開会した。同時に入植地域ごとの地方議会もできた。当時のヨーロッパ系人口は約3万2500人,マオリ系は20万人前後と推定される。マオリ系は,パケハpakeha(白人たち)が伝来の土地を農場や牧場に変えていくのに反発,北島ワイカト地区の大首長を58年〈マオリ王〉に選び,部族連合で白人の土地買収に歯止めをかけようとした。60年北島南部のタラナキで首長キンギWiremu Kingi(1795-1882)以下のマオリ戦士1500人と,イギリス軍,植民地軍,志願兵3000人が土地売買をめぐって衝突し,これをきっかけにマオリ戦争が北島全域に広がった。戦闘は72年まで散発的に続き,マオリ王は81年までもちこたえた。

 一方,南島では1861年にオタゴOtago地方で,さらにウェストランド地方でも金が発見され,オーストラリアからの金捜し移住者も加わって,オタゴ地方のダニーディンの人口は一気に5倍も増えて6万人になった。金は以後数年の間,ニュージーランドの主要輸出品目となった。この間,65年に主都がオークランドからウェリントンに移された。ロンドン生れのユダヤ系のボーゲルJulius Vogel(1835-99)首相は,蔵相時代の69年から海外での借款を活用して,道路,鉄道,電信網の整備に力をいれ,76年には地方議会を廃止して中央集権化を図った。この間,メリノ種とリンカン種をかけあわせたコリデール種の羊の放牧や小麦栽培も盛んになり,農畜産国の基礎がつくられた。82年には冷凍船が導入され,イギリスへの食肉輸出が飛躍的に増えた。

 91年イギリスのフェビアン協会の思想に通じる自由党が政権をとり,大土地所有者,農村地帯を地盤とする保守党との二大政党制が形成された。労働条件,労災についての使用者責任,労使紛争の調停仲裁機関といった社会改革,世界で初めての婦人の参政権(1893),老齢年金制度の設立(1898)のような先駆的な立法が行われたのは,イギリスの産業革命のひずみを正し,ニュージーランドを理想郷にしようとしたためで,保守党と,その後身の改革党も競うように社会福祉政策をとった。

ニュージーランドは,1899年にイギリスの要請で南アフリカのボーア戦争に派兵したが,しだいに自立気運が高まり,オーストラリアの連邦結成(1901)にも加わらず,1907年に自治領Dominionとなった。第1次大戦ではオーストラリアと連合軍(ANZAC(アンザツク))を形成し,15年にトルコのガリポリ半島上陸作戦で敗れたものの,ニュージーランド国民という意識が確立された。そしてニュージーランドは独自の外交政策をとるようになり,戦後は国際連盟に加盟した。国内では世界恐慌下の35年に,労働党(1916結成)のサビッジMichael Joseph Savage(1872-1940)が初の労働党政権につき,年金制度を充実させ,総合的な医療保険制度をつくった。第2次大戦では第1次大戦と同様に参戦し,アメリカに基地を提供した。

 47年にニュージーランド議会はウェストミンスター憲章の採択法案を承認した。これによってニュージーランドは法的にも完全独立を達成した。第2次大戦後,農産物の輸出が伸び,賃金と物価が安定した。49年に国民党(改革党と統一党が1936年に合併して結成)が労働党から政権を奪い,労働,国民両党の二大政党体制が以後90年代半ばまで続く。労働党のナッシュ内閣(1957-60)によって公共企業体での男女同一賃金制が取り上げられ,国民党のホリオーク内閣(1960-72)は男女賃金平等法(1972制定)を実施するといったように,政権政党が交代しても内政では継続性が保たれた。

 1973年にイギリスがヨーロッパ共同体(EC。現,EU)に加盟して後,ニュージーランドの輸出市場はオーストラリア,EU,日本,アメリカと多角的になり,さらにはアジア太平洋経済協力会議(APEC)に加盟する環太平洋諸国への輸出が全輸出の70%を占めるにいたり,ニュージーランドは太平洋国家になった。外交面では84年からの労働党政権時代に,アメリカの原子力艦艇の寄港を拒否して,アメリカ,オーストラリア,ニュージーランド間の相互防衛条約(ANZUS(アンザス)条約)が一時麻痺したが,90年に政権が保守的な国民党に代わってからは対米協調に戻り,大枠では自由主義国家路線をとっている。南太平洋地域ではサモア,トンガなどポリネシア系諸国への経済協力に力をいれている。

イギリス国王を元首とする立憲君主国で,ニュージーランド人の総督(任期5年)が任命される。成文憲法はなく,法律と慣習法に基づいて国権が行使される。1986年の憲法法で国家の立法,行政,司法の役割が定められている。一院制の国会(任期3年)は93年の国民投票によって,従来の小選挙区制から小選挙区比例代表併用制に改められた。有権者は2票をもち,1票は選挙区の候補者に,もう1票は政党に投じる。後者の票は全国的に集計され,各政党の議席数を決める。定員120のうちわけは,小選挙区から60,マオリ選出議席5,政党指名リストから55。この新制度に基づく初の総選挙が96年10月に行われた。結果は国民党44,労働党37,ニュージーランド・ファースト党17,連合党13,消費者納税者同盟(ACT)8,ユナイテッド・ニュージーランド1となり,伝統的な国民,労働両党による二大政党制がやや崩れた。政権は,連立工作が難航したすえに,国民党がニュージーランド・ファースト党と連立して引き続き担当することになった。

 80年代後半からの内政の焦点は経済改革で,労働,国民,連立と政権交代があったが,行政改革で小さな政府を目指し,規制緩和と民営化で経済の国際競争力を高めるのに成功した。OECD(経済協力開発機構)の96年年次報告でも,ニュージーランドは行革モデル国として高く評価された。労働党のロンギDavid Lange内閣(1984-89)のダグラスRoger Douglas蔵相が,石油危機後長らく低迷していた経済の再建に取り組み,〈ロジャーノミクス〉と呼ばれたその経済改革は国民党のボルジャーJames Bolger内閣(1990-97)にも引き継がれた。公務員の数は総雇用者数の27%から20%に減り,電気通信,鉄道,森林,郵便貯金,海運などの国有企業体は民営化され,さらに健康保険制度も大幅に手直しされ,農業補助金,輸出補助金が廃止された。自治体数は705から93へ削減され,地方公営企業体も民営化された。一連の改革で経済の競争力は高まったが,福祉・教育面での質の低下が問われ,政局は96年総選挙の結果に表れたようにやや不安定になった。

ニュージーランドは国連の創設メンバーで,1993-94年には安全保障理事会の非常任理事国を務めた。平和維持活動(PKO)に積極的に参加し,湾岸諸国,カンボジア,ソマリア,ボスニアなどに軍を派遣した。またイギリス連邦会議の重要メンバーで,第1次,第2次大戦,朝鮮戦争,ベトナム戦争にも出兵した。1980年代半ば,労働党政権下で非核政策を打ち出し,一時アメリカとの軍事同盟が緊張した。フランスによる南太平洋での地下核実験にも反対し,南太平洋非核化の先頭に立った。オーストラリアとは非核問題で歩調の合わない時期があったが,伝統時に協調関係にあり,83年以来,経済緊密化(CER)協定によって双方の経済の一体化が進んでいる。

 国民の約10%がポリネシア系のマオリであり,サモア,トンガからの出稼ぎ,移住者も多く,ポリネシア諸国との経済的,民族的つながりが深い。自治権をもつニウエ島,クック諸島はニュージーランドの経済援助に依存している。南太平洋フォーラム,太平洋共同体(旧,南太平洋委員会)といった地域協力機関では,オーストラリアとともに先進国として島嶼国のサポート役を務めている。ニュージーランド軍は南太平洋での緊急災害救援や不法操業漁船の監視パトロールで島嶼国を支援している。

 アジア太平洋経済協力会議(APEC)が力を得るにつれ,東南アジア諸国からの投資,貿易,移住が増え,政府は〈アジア2000〉プログラムを通して,アジアへの理解と関心を強めようと試みている。90年代に入って香港,台湾などからの移住者が増え,90年代後半になるとニュージーランド・ファースト党がアジア系移住者の規制を唱えはじめた。日本はアジアのなかで最大の貿易相手で,海産物,酪農製品,木材,野菜,ワインといった食料品を日本に供給している。日本からの観光客は年間10万人を超え,ニュージーランド航空が日本との間に週16便を就航させている。
執筆者:

ニュージーランドがめざしてきたのは〈平等社会〉と〈多文化併存〉の理想実現である。完備した社会保障制度は医療無料化,年金制度の拡大,週40時間労働の法制化(1938)および災害保障法の制定(1972)を含む。住環境は良く,貧富の差は小さい。税金は高いが,高い生活水準が得られる。市民の奉仕活動も盛んで,犯罪も少なく安定した社会といえる。建国後100年以上,パケハ(ヨーロッパ系)社会との融和を図ってきたマオリは,1960年代に入ってから民族意識を強め,異なる文化を同等に尊重しようという気運が盛り上がってきた。マオリ省やワイタンギ審判所とニュージーランド・マオリ評議会(1962設立)ほか民間団体多数が,マオリとパケハ,または南太平洋諸島からの移住者とパケハあるいはマオリとの間で起こる諸問題や民族間の緊張や文化的多様性維持の調整に努めている。

 全学校の9割が公立で,1割が教会付属の私立校である。義務教育は6歳から16歳までである。僻地の児童や病欠児童のために国立通信教育校(小・高課程)がある。大学は国立大学7校,農業専門大学2校があり,学生総数は約10万人にのぼる。ほかに技能研修学校,夜間高校,大学付属の校外教育制度がある。マオリは1928年からパケハと同一教育を受けている。74年にはマオリ語教員講座が設置され,マオリ語授業が増えた。
執筆者:

ニュージーランドは戦後一貫して輸出立国を国是としてきた。食肉,羊毛,酪農品,木材,水産物を輸出し,かわりに自動車,機械などを輸入する典型的な垂直型パターンであった。輸出相手国としては旧宗主国のイギリスに圧倒的に依存してきたが,1973年イギリスがECに加盟したため輸出特権を失い,その前提は根本から覆されることとなった。さらに,その後の2次にわたる石油危機が世界規模のインフレを触発し,ニュージーランド経済は農産物の輸出不振と工業製品の輸入価格高騰という二重の圧力に見舞われ,国際収支は大幅に悪化,また外国からの借款も急増した。政府は,高度経済成長の時代が去ったこと,したがって,こうした状況が長期にわたって持続するとの判断から,国内経済の活性化,構造改革を中心とした抜本的政策転換に踏み切った。それはエネルギー分野へ公共投資を重点的に行い,国内需要を刺激することであった。しかし,この政府の野心的試みはまったくの裏目となり,未曾有の対外債務の増加となって現れた。他の先進国家がハイテク産業への転換でその危機を脱したのに対して,ニュージーランドは依然として重厚長大産業振興と1次産業育成に力を入れたことが遠因であった。国家財政破綻の際まで追いつめられた政府にとって,賃金,金利を含め,全面的な統制経済を導入する以外に当面の解決策は見あたらなかった。

 しかし政府は83年以降,再び抜本的改革に手を染める。それは,国全体の仕組みを根底から再編成し,経済立て直しを狙った国家主導による〈市場国家宣言〉とも言うべき一種の静かな革命であった。統制撤廃と行政改革を中心としたその政策は,金利規制の撤廃からニュージーランド・ドルの変動制移行,大型間接税の導入,国営事業の民営化と合理化,政府機構の徹底したスリム化と民間経営原則の導入となって次々と具現化されていった。その成果はたちどころに現れ,大幅な雇用の伸び,高度経済成長,国家財政の黒字,貿易収支の黒字転換となって裏付けられ,ニュージーランドの改革の成果は90年代を象徴する世界的モデルの一つとして喧伝されるまでになった。

 しかし長期的展望に立つとき,この改革が万能でないことも明らかである。永年にわたって築いてきた充実した社会保障制度が大幅に後退し,中産階級国家として育まれてきた国民の融和と連帯,および少数先住民族マオリとの共存をいかに図るか,そしてまた外資の大幅導入と移民の取扱いなど,この改革が長期にわたって与える影響・問題についてはなんら検討されることなく,先送りされたままになっている。
執筆者:

ニュージーランド文学の古典は先住民マオリの口承文芸で,創世神話,カヌーによる大航海譚,部族伝説,系譜,祝詞,呪文,詠唱歌,ことわざが伝えられている。19世紀半ばにG.グレー総督はマオリ族長の手書きの原稿をもとに《父祖の勲》(マオリ語。1854)と《ポリネシア神話》(英語。1855)をロンドンで出版した。初期のマオリのようすを伝える貴重な資料である。マオリ神話と伝説を採話したものにはほかに,テーラーRichard Taylor(1805-73)の《マウイの魚》(1855),ホワイトJohn White(1826-91)の《マオリ古代史》(1887-90)がある。ベストElsdon Best(1856-1931)の《マオリ》(1924)はマオリ民族論,アルパーズAntony Alpers(1919-97)の《マオリ神話》(1964)は思慮深い再話である。文字を獲得したマオリ系研究者の好著も多い。P.H.バックの《偉大なる航海者たち》(1938)と《マオリの渡来》(1949)は歴史的,人類学的にマオリを理解する必読書である。ナタApirana Ngata(1874-1950)の《マオリ詠唱歌集》(1929)は,彼の死後も名語り手フリヌイ・ジョーンズ博士が引き継ぎ,第3集まで刊行中である。シモンズDavid Simmonsの《偉大なニュージーランド神話》(1976)は航海譚,部族伝説,系譜の決定版である。ウィリアムズWilliam Williams(1800-78)の《マオリ語辞典》(1844)は,1975年に言語学者ブルース・ビッグズ博士が見出し語,用例ともに大幅に改訂した第7版を出版した。現在はパケハ(ヨーロッパ系)のマオリ関係図書の誤りをマオリが正す時代になっている。

 イギリス植民地時代初期のニュージーランド文学者は異郷意識にさいなまれていた。ニュージーランド生れの女流作家K.マンスフィールドを見習ってヨーロッパへ文学修業に渡った者も多い。大不況後の1930年代にサージソンが登場,労働者階級の生活をニュージーランド英語の話しことばで短編に描き,旧世界からの文学的自立を促すきっかけをつくった。その後,詩と短編小説の分野で創作活動が盛んになった。30年代後半から75年ごろまで息長く新しい国の自然の恵みをうたった代表的な詩人として,グローバーDenis Glover,バクスターJames Baxter,キャンベルAlistar Campbellがいる。ニュージーランドでは詩作は国民的なレベルでの余技になっている。人口が少なく,作家業専門で暮らすことが困難な事情を考慮して,政府は文学基金(1946),図書館が購入する図書に補助金を出す作家助成金制度(1973)の援助をしている。

 サージソンに続いた作家たちには,疎外感の多様な分ち合い方を描いたダガンMaurice Duggan(1922-76。代表作《砂利坑の夏》1965),文目(あやめ)も分かぬ夢幻の世界を創ったフレームJanet Frame(1924-2004。代表作《めしいのために香りをつけた庭》1963),新世界人としての存在証明を追求したシャドボールトMaurice Shadbolt(1932-2004。代表作《ニュージーランド人》1959)らがいる。また,近年は民族の血の呼び声に目覚めたマオリ系作家も活躍しており,グレースPatricia Grace(1937- 。代表作《ムツフェヌア,死んだ大地》1980),イヒマエラWiti Ihimaera(1944- 。代表作《タンギ,通夜》1973)がよく知られている。

ポリネシア系民族のなかでマオリの木彫は最も高い水準に達した。彼らは緑石や骨製の道具を使って,集会所の羽目板や棟木に先祖の神格化した像を刻んだ。垂木には自然現象を様式化して描き,赤(神聖な色)・白・黒の彩色を施した。緑石のペンダントや棍棒,亜麻や羽毛で織ったマントや腰みの,族長や神官などの身体中を覆った入墨も伝統芸術である。入墨以外は今も北島のロトルアの美術工芸センターを中心に若い世代へ伝えられている。

 島国で孤立した生活を強いられたイギリス系の移住者たちが発達させたもののうち注目すべきは陶芸と織物である。陶芸はバーナード・リーチや日本の陶芸家との接触後,R.モンロー,T.ベーリスら国際的芸術家を生んだ。羊毛産地ゆえ農家には紡ぎ車があり,手織の衣服や敷物は品質の良さで知られている。そのほか点描画のR.ハモン,油絵のD.ベニー,写真家B.ブレークも国際的に活躍している。

 子どもが小馬を乗りこなし,ヨットをあやつるほど,野外スポーツは盛んである。世界一,二の強さを誇るラグビーの〈オール・ブラックス〉,エベレスト初登頂のヒラリーがよく知られているほか,ニュージーランドは一流の中・長距離走者も生んでいる。
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百科事典マイペディア 「ニュージーランド」の意味・わかりやすい解説

ニュージーランド

◎正式名称−ニュージーランドNew Zealand。なお,マオリ語ではアオテアロアAotearoa。◎面積−26万7707km2。◎人口−435万人(2013)。◎首都−ウェリントンWellington(19万人,2006)。◎住民−英国系75%,マオリ人10%など。◎宗教−英国国教会14.3%,カトリック13.1%,長老派教会9.9%,メソディスト3.0%,無宗教33.5%など(2006)。◎言語−英語が大部分,ほかにマオリ語(以上公用語)。◎通貨−ニュージーランド・ドルNew Zealand Dollar。◎元首−英女王エリザベス2世,総督ジェリー・マテパラエJerry Mateparae(2011年8月就任,任期5年)が代行。◎首相−キーJohn Key(再選,2011年11月就任)。◎憲法−成文憲法はなく,法律,慣習法が憲法的規範をなす。◎国会−一院制(定員122,任期3年)。2011年11月選挙結果,国民党60,労働党34,緑の党14,ニュージーランド党8,マオリ党3など。◎GDP−1294億ドル(2007)。◎1人当りGDP−2万7060ドル(2008)。◎農林・漁業就業者比率−8.7%(2003)。◎平均寿命−男79.3歳,女83.0歳(2010―2012)。◎乳児死亡率−4.4‰(2013)。◎識字率−100%。    *    *南太平洋西部,オーストラリア東方に位置するイギリス連邦内の独立国。国土は南島(15万525km2)と北島(11万4295km2),その他の属領諸島からなる。南島と北島は狭いクック海峡で隔てられる。南島,北島をニュージーランド・アルプスが縦走し,南島には最高峰のクック山をはじめとする高峰,氷河,多くの氷河湖がある。北島にはエグモント山のほか火山,温泉が多い。地震多発地域としても知られる。平野は北島の北部と南部,南島の東部海岸に限られ,南島南西岸にはフィヨルドがみられる。気候は一般に温和。住民のほとんどが英国系で,先住のマオリ人は約33万人(2001)。 牛,羊の酪農が主で,バター,チーズ,羊毛,羊肉(マトン)などの産が多く,これらが主要輸出品ともなっている。小麦,大麦の農産もある。石炭,金,石油,石灰石の鉱産があり,製油,林産資源(米国から移植されたマツ)を背景とした製紙・パルプ,食品加工,繊維などの工業も発達している。社会福祉制度が整っている。志願兵制で正規8617名(陸軍4425名,海軍1866名,空軍2326名)(2012年4月現在)。 マオリ人は9世紀頃東ポリネシアから渡来してきたとみられている。1642年オランダ人タスマンが来航し,1769年クックが探検した。1830年代後半から英国の植民会社によって植民が開始され,1840年英国はマオリ人とワイタンギ条約を結び,英領とした。1845年―1848年,1860年―1872年マオリ人の反乱があったが平定され,1907年自治国となった。1960年代からマオリの諸権利を見直す動きが強まり,ニュージーランド・マオリ評議会が1962年設立され,ワイタンギ条約にもとづく復権運動に対応して,政府は1975年ワイタンギ審判所を創設した。1984年成立したロンギ労働党政権は,核艦船・航空機の来訪を禁止した反核法を1987年成立させた。1999年から労働党を中心とする政権が続いたが,2008年キーが率いる国民党が選挙で勝利し,政権交代を果たした。2011年11月の選挙でも与党国民党が勝利し,キーが首相に再選された。経済は,2009年の世界金融危機をはじめ,ユーロ危機・欧州債務問題等世界経済の動向に影響されてマイナス成長となったが,金融や製造業の規模が比較的小さく経済全体に及ぼす影響が限定的であったことが幸いしたこと,キー政権による緊急経済対策が奏功したことによって,2011年からプラス成長に転じている。オーストラリアと同様,中国,日本との貿易拡大に積極的に取り組んでいる。
→関連項目テ・ワヒポウナムポリネシア

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニュージーランド」の意味・わかりやすい解説

ニュージーランド
New Zealand

正式名称 ニュージーランド。マオリ語では Aotearoa。
面積 26万5685km2
人口 515万2000(2021推計)。
首都 ウェリントン

南太平洋,タスマン海を隔ててオーストラリアの南東約 1600kmにある国。ノース島サウス島の 2大島および周辺の属島で構成される。環太平洋造山帯に属するが地形は南北で対照的で,ノース島に活火山が多く丘陵が卓越するのに対し,サウス島にはサザンアルプスの高山が連なり,氷河氷河湖が見られ,カンタベリー平野など広い平野が発達。温和な気候と水資源に恵まれ,高水準の農牧業や水力発電が行なわれる。住民のうち約 70%がイギリス系の移住者とその子孫であり,マオリ族は人口の約 15%を占め,わずかながら中国人,インド人などもいる。ポリネシア系住民がニュージーランドで生活を始めた時期は,少なくとも前3~前1世紀にさかのぼる。1642年オランダのアベル・ヤンスゾーン・タスマンが来航,1769年のジェームズ・クック上陸を経て,1840年にイギリス植民地となった。植民地政府とポリネシア系先住民マオリ族との土地をめぐる争いは 19世紀半ば以降マオリ戦争に発展し,勝利した植民地政府はマオリ族の多くの土地を没収した。1907年にイギリス自治領となり,1947年に独立。複数の文化・言語が共存する国づくりが進むなか,マオリ族文化の保護や,マオリ族とサモアトンガからの新移民との関係改善などの問題も存在する。公用語は英語とマオリ語のほか,2006年にニュージーランド手話が加わった。人口分布の特徴はノース島と都市への集中で,オークランド,ウェリントン,クライストチャーチダニディンの 4大都市圏に人口の 50%以上が居住する。高い生活水準と 1898年以来の伝統をもつ社会福祉制度を支える経済は,基本的に農牧産品の輸出に依存している。農林水産業従事者は労働人口の 1割に満たないが,農牧産品輸出額は輸出総額の 50%近くを占め,その中心は肉,羊毛,酪製品。伝統的にイギリスを市場としてきたが,イギリスのヨーロッパ共同体 EC加盟以後,オーストラリア,中国,アメリカ合衆国,日本が主要輸出先となっている。工業の重要性は第2次世界大戦後急速に高まり,国内生産額の 3分の1を占めるオークランド地方を中心に各地に分布。一般的な国内消費財の製造業のほか,食品加工,森林資源による木材,紙・パルプ工業,石炭,鉄などの鉱産資源や水力発電をいかしたアルミニウム精錬,化学工業などに特色がある。(→ニュージーランド史

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ニュージーランド」の解説

ニュージーランド
New Zealand

イギリス連邦内の独立国。1642年ヨーロッパ人として初めてタスマンが来航し,1769年クック(ジェームズ)がイギリス領と宣言した。1840年先住民マオリ族とのワイタンギ条約によりイギリス領となった。その後,金が発見されて移民の流入が進み,金の採掘とともに羊の飼育が盛んになった。52年自治を認められ,1907年自治領となった。1893年世界最初の女性参政権が認められ,その後社会保障制度が整備された。1947年,ウェストミンスター憲章を承認し,完全に独立した。51年,アメリカ,オーストラリアとともに太平洋安全保障条約(ANZUS(アンザス))を締結した。しかし,85年にアメリカの核搭載船の寄港を拒否したため,以後アメリカは条約の義務を停止している。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ニュージーランド」の解説

ニュージーランド
New Zealand

オーストラリア大陸南東方にある島国で,イギリス連邦内の一自治国。首都ウェリントン
1642年オランダ人タスマンが到達。先住民のマオリ族を征圧しつつ1840年イギリスの植民地となり,1907年以後自治領。世界で最初の女性参政権を実施(1893)し,20世紀にはいって社会保障制度が発達した。第二次世界大戦以来,親米政策をとったが,1972年労働党内閣の成立以後,自立路線をとり,特に80年代以降,非核政策を進め,太平洋安全保障条約(ANZUS)から事実上脱退した。

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デジタル大辞泉プラス 「ニュージーランド」の解説

ニュージーランド

《New Zealand》イギリス海軍の戦艦。キング・エドワード7世級。1904年進水、1905年就役の前弩級戦艦。1911年、同年進水したインディファティガブル級巡洋戦艦ニュージーランドとの混同をさけるため、ジーランディア(Zealandia)に改名。1917年退役。

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世界大百科事典(旧版)内のニュージーランドの言及

【オセアニア】より

…太平洋の大半を含むのでその範囲は広大であるが,陸地総面積は900万km2にたりず,しかもその86%をオーストラリア大陸だけで占めている。これに島々のうちで抜群に大きなニューギニアとニュージーランドとを加えると98%となる。残りの数千を数える島々の総面積はわずか18万km2にすぎない。…

※「ニュージーランド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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