兵庫県伊丹(いたみ)市と、大阪府豊中(とよなか)市・池田市にまたがる会社管理空港。伊丹空港ともよばれる。総面積約311万平方メートル。1828メートルと3000メートルの2本の滑走路がある。かつては国際線12バース、国内線16バースをもつ関西の空の表玄関であったが、1994年(平成6)9月の関西国際空港開港後は国内線の運行のみとなった。民間企業の関西エアポート株式会社が運営し、特殊会社の新関西国際空港株式会社が用地・施設を保有・管理する。2015年(平成27)の年間発着回数は約13万9000回、年間旅客数は約1454万人、年間取扱貨物量は約13万1000トンを数える。大阪国際空港への交通機関としては、モノレール(大阪高速鉄道)と、各地のターミナルからのバス(大阪空港交通など)がある。
大阪市木津川尻(きづがわじり)の大阪飛行場がその前身であるが、手狭なうえ、飛行場までの交通が不便で、また工場の煙突が障害となり、当時の兵庫県川辺(かわのべ)郡神津(かみつ)村(現、伊丹市)に1939年(昭和14)1月17日移転、大阪第二飛行場(伊丹飛行場)として開場した。航空機の大型化が進むと、長さ830メートルと短い滑走路の伊丹飛行場は敬遠された。そこで拡張工事が始められたが、第二次世界大戦が始まると軍用空港に転用され、敗戦後にはアメリカの空軍基地として接収された。1951年(昭和26)日本の民間航空が再開されると、米軍との共同使用となり、1958年3月米軍から全面返還された。
1959年(昭和34)7月第1種空港の指定を受け、大阪国際空港と改称して再スタートを切った。東京オリンピック(1964)や日本万国博覧会(1970)などの開催により、空港利用客は年々増加したため、3000メートル滑走路が建設された。一方、航空機騒音が問題化し、地域住民との間で裁判となり、ジェット機の発着回数や使用時間帯などに厳しい制限を受け、伊丹市が空港の撤去まで宣言した。
このことから、泉州沖5キロメートルに日本初の24時間空港の建設が進められ、1994年(平成6)9月4日関西国際空港が開港した。その間、大阪国際空港の存廃が論議されたが、1990年に存続と決定した。1999年7月には1994年以降閉鎖されていた国際線ターミナルビルが改装されて南ターミナルビルとしてオープン。約400メートルの展望デッキも設置された。
2012年7月、関西国際空港と経営統合され、空港の管理・運営は同年設立された特殊会社の新関西国際空港株式会社に移管された。その後、コンセッション(事業運営権の売却)が実施され、2016年4月より関西エアポート株式会社による運営が行われている。
[位野木壽一・安井 司・編集部 2016年11月18日]
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…大阪国際空港は大阪府豊中市,池田市,兵庫県伊丹市の3市にまたがり,空港整備法により1959年7月第1種空港,すなわち国際航空路線に必要な飛行場に指定された。同空港は西日本における民間航空路線網の拠点とされたが,空港の敷地は317haと他の国際空港と比べてきわめて狭く,しかも人家の密集地域に立地されているうえに,発着機の増便と大型化をはかったために,騒音被害などの公害が広範かつ深刻化した。…
※「大阪国際空港」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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