日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペルム紀」の意味・わかりやすい解説
ペルム紀
ぺるむき
Permian period
古生代の最後の地質時代で、二畳紀ともいう。古生代石炭紀と中生代三畳紀との間の約2億9890万年前から約2億5217万年前までの約4673万年の期間に相当する。ペルム紀に形成された地層をペルム系という。ペルム紀の名称は、石炭紀の夾炭(きょうたん)層の上に、化石を多産するかつての呼称二畳紀の海成層が模式的に発達する、ウラル山脈の西麓(せいろく)ペルムPerm(ペルミPerm')にちなんでイギリスの地質学者マーチソンが1841年に命名した。国際的にはペルム紀が紀の正統名として使用されているが、日本・中国では慣用的に二畳紀を使用する場合もある。二畳紀の名称は、ドイツのダイアスDyas(二つの層という意味)の訳語に由来する。ドイツをはじめとして西ヨーロッパでは、同時代の地層は、新赤色砂岩層を含む下部層と、石灰岩、白雲岩、岩塩、石膏(せっこう)層を主体とした上部層より成り立っている。二畳紀の名はこれより生じた。
石炭紀末に超大陸パンゲアが形成された結果、シベリア大陸とヨーロッパ大陸の間にあったウラルの海域、南半球のゴンドワナ大陸と北半球のヨーロッパ・北アメリカ大陸の間の海域が陸化し、超大陸の内部に広い砂漠が発達するようになり、また、ゴンドワナ大陸では極を中心に大規模な大陸氷河が発達した。その結果、大陸では乾燥化と寒冷化が進行し、植物では、石炭紀に栄えた鱗木(りんぼく)や封印木などのシダ植物は姿を消し、かわりに乾燥に耐えられる裸子植物が著しい発展を始める。脊椎(せきつい)動物では、単弓(たんきゅう)類の哺乳(ほにゅう)類型爬虫(はちゅう)類が発展を遂げた。このグループの盤竜類は乾燥した一連の環境に進出し、大型化し、なかには植物食に進化したグループもいた。盤竜類の子孫である獣弓類は本紀後期に放散し、分布範囲をより寒冷な高緯度まで拡大した。爬虫類では、この紀に放散が生じ中生代での発展へと引き継がれる。海域では、大規模な氷河の発達による海水準の低下によって、大陸棚の浅海部が失われ、三葉虫、四放サンゴ類、腕足類など古生代を代表する海生無脊椎動物は、急速に衰退し、当紀末までには、当紀に低緯度のテチス海域で栄え、重要な示準化石(標準化石)となった紡錘虫類や一部のアンモナイト、ほかの多くの無脊椎動物とともに絶滅していった。
ペルム紀末は生物界の歴史において最大の大量絶滅事件が起こり、生物にとっての一大危機となった時期である。海生種では、科の約50%が、種では約95%が絶滅した。また陸生動物でも、哺乳類型爬虫類など爬虫類のおもだった系統は三畳紀まで生き延びたが、属や種のレベルではほとんどが絶滅した。本紀に起こった生物の大量絶滅の原因についてはいくつもの仮説が提出されているが、超大陸パンゲアが大きくかかわっていたことは間違いない。考えられる要因として、極域の大規模な大陸氷河、気候の冷温化、大陸内部の乾燥化、乾燥化に伴う大陸の湾入部での大規模な岩塩層の堆積(たいせき)によって海水塩分濃度が低下したこと、大規模な氷河形成によって海水準が低下し大陸棚浅海部が消失し浅海生物の生息地が消失したこと、海水温低下による溶存酸素量の低下、本紀末に起こった激しい火山活動による急激な温暖化による陸域の環境劣化と海水循環の停止による海洋底の貧酸素化などが考えられ、実際にはこれらの要素が複雑にからみ生態系が崩壊し生物種の絶滅が進行していったものと考えられる。
ペルム紀の地層は世界各地に広く分布する。南半球のゴンドワナ大陸では、厚い陸成層の発達が知られる。テチス海域では、厚い石灰岩の堆積が行われた。日本には海成のペルム系がよく発達しており、テチス海域のものと共通する多くの無脊椎動物化石を産する。
[小澤智生 2015年8月19日]
『ドゥーガル・ディクソン著、小畠郁生監訳『生命と地球の進化アトラスⅡ デボン紀から白亜紀』(2003・朝倉書店)』