デジタル大辞泉
「天一坊」の意味・読み・例文・類語
てんいちぼう〔テンイチバウ〕【天一坊】
[?~1729]江戸中期の僧。通称、改行。源氏坊天一と名のり、徳川家の一族と称して世間を騒がせて処刑された。大岡政談と結びつき戯曲・講談などに脚色された。
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てんいちぼう‥バウ【天一坊】
- [ 1 ]
- [ 一 ] 江戸中期の修験僧。通称改行。のち源氏坊天一と名のる。紀州藩士の庶子とも。八代将軍吉宗の落胤と称して世を騒がせ処刑された。「大岡政談」と結びついて多くの講談や戯曲を生んだ。享保一四年(一七二九)没。
- [ 二 ] 歌舞伎脚本「扇音々大岡政談(おうぎびょうしおおおかせいだん)」の通称。
- [ 2 ] 〘 名詞 〙 ( [ 一 ][ 一 ]から転じて ) にせものをいう。
- [初出の実例]「太政官札の骸骨に対面し、彼等が発行せられし当座世人痛く彼等を忌み、二分金の欺騙者(テンイチバウ)が横行せし事」(出典:春迺屋漫筆(1891)〈坪内逍遙〉壱円紙幣の履歴ばなし)
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天一坊
てんいちぼう
実録本、講談、歌舞伎(かぶき)脚本などの登場人物。1728年(享保13)8代将軍吉宗(よしむね)の治世に、天一坊改行という山伏が吉宗の落胤(らくいん)と自称して浪人を集めていたが、捕らえられて獄門に処せられた事件を、大岡越前守(えちぜんのかみ)の名裁判を集めた『大岡政談』に結び付けたもの。江戸末期に初代神田伯山(かんだはくざん)の講談『大岡政談天一坊』で評判になった。歌舞伎にも取り入れられたが、とくに河竹黙阿弥(もくあみ)が1875年(明治8)1月の東京・新富(しんとみ)座に書き下ろし、5世尾上(おのえ)菊五郎の天一坊、5世坂東(ばんどう)彦三郎の大岡越前守、初世市川左団次の山内伊賀亮(やまのうちいがのすけ)らによって初演された『扇音々(おうぎびょうし)大岡政談』は、講談に則して脚色したもので好評を博し、今日でもときどき上演されている。
[松井俊諭]
『辻達也編『大岡政談Ⅰ』(平凡社・東洋文庫)』
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天一坊 (てんいちぼう)
《大岡政談》に載る天一坊事件の主人公。事件は,紀州生れの宝沢が徳川天一坊と名のり,赤川大膳,常楽院天忠,山内伊賀亮らとともに8代将軍徳川吉宗の御落胤を詐称したが,大岡越前守忠相の活躍であばかれ処罰されたというもの。この話自体は,大岡の名奉行ぶりをたたえるための後世の作りごとだが,そのもとになる事件は実際にあった。1718年(享保3)の中川正軒事件,29年の源氏坊改行事件などがそれである。
執筆者:斎藤 洋一
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天一坊【てんいちぼう】
《大岡政談》に載る天一坊事件の主人公。8代将軍吉宗の御落胤(らくいん)と詐称するが,大岡忠相に見破られて処刑される。江戸品川に住み,徳川の一族と称して処刑された源氏坊改行という山伏などがモデルとなっているとされる。
→関連項目神田伯山
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天一坊
没年:享保14.4(1729)
生年:生年不詳
江戸中期の修験者。紀州(和歌山)に生まれ,8代将軍徳川吉宗の落胤と称して騙りをはたらき獄門にかけられた。通称は改行,のち源氏坊天一と名乗る。江戸の品川に庵を持つ修験者常楽院と組み,多数の浪人を集め,あまたの詐欺行為を行った。事件は享保13(1728)年に発覚,翌14年4月,天一坊は死罪に処せられた。大岡越前守忠相がこの裁判に関与したかどうかは不明だが,初代神田伯山の講談「大岡政談」に取り入れられ,また歌舞伎「吾嬬下五十三駅」(河竹黙阿弥作)などで評判になった。
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天一坊 てんいちぼう
1705-1729 江戸時代中期の山伏。
宝永2年生まれ。江戸南品川の山伏常楽院(赤川大膳)らとはかって,将軍徳川吉宗の落胤(らくいん)といつわり,浪人をあつめ金品をだましとったため,捕らえられ享保(きょうほう)14年4月21日死罪。25歳。のち講談や歌舞伎の「大岡政談」にとりいれられ評判になった。名は改行。通称は源氏坊天一。
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天一坊
てんいちぼう
江戸時代,享保年間 (1716~36) に徳川家の一族と称して世上を騒がせた修験者。通称は改行といい,のち源氏坊天一といった。幕府の手で処刑された。『大岡政談』では吉宗の落胤と称し,大岡忠相に見破られたとされ,講談や芝居,映画などに登場する。
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天一坊
(通称)
てんいちぼう
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- けいせい節用集 など
- 初演
- 明和5.1(京・尾上座)
天一坊
てんいちぼう
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 作者
- 額田六福
- 初演
- 大正6.3(東京・明治座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
天一坊 (てんいちぼう)
生年月日:1705年3月15日
江戸時代中期の修験者
1729年没
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世界大百科事典(旧版)内の天一坊の言及
【扇音々大岡政談】より
…[河竹黙阿弥]作。1875年(明治8)1月28日から東京新富座で,大岡越前守を5世坂東彦三郎,天一坊を5世尾上菊五郎,山内伊賀亮を初世市川左団次によって初演。享保年間(1716‐36),南品川の山伏常楽院方に寄寓する源氏坊天一という者が,時の将軍8代吉宗の落胤と名乗って,浪人を集め,人々から金を集めた。…
【神田伯山】より
…伯竜三高弟の一人で,独特の読み口を研究し,名人とうたわれ,神田派を一大勢力とした。〈伯山は天一坊で蔵をたて〉といわれたほど,《大岡政談》の《[天一坊]》を得意にした。(2)2代(1843‐1921∥天保14‐大正10) 本名玉川金次郎。…
【扇音々大岡政談】より
…[河竹黙阿弥]作。1875年(明治8)1月28日から東京新富座で,大岡越前守を5世坂東彦三郎,天一坊を5世尾上菊五郎,山内伊賀亮を初世市川左団次によって初演。享保年間(1716‐36),南品川の山伏常楽院方に寄寓する源氏坊天一という者が,時の将軍8代吉宗の落胤と名乗って,浪人を集め,人々から金を集めた。…
※「天一坊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」