獄門(読み)ゴクモン

デジタル大辞泉 「獄門」の意味・読み・例文・類語

ごく‐もん【獄門】

獄屋の門。牢屋ろうやの門。
斬罪ざんざいに処せられた罪人の首を獄屋の門にさらすこと。江戸時代には刑罰一つとなり、刑場などにさらした。さらし首。梟首きょうしゅ

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精選版 日本国語大辞典 「獄門」の意味・読み・例文・類語

ごく‐もん【獄門】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 獄屋の門。牢屋の門。
    1. [初出の実例]「不輙入獄門」(出典:江談抄(1111頃)二)
  3. 斬罪に処せられた囚人の首を獄屋の門などにさらすこと。梟首(きょうしゅ)。〔文明本節用集(室町中)〕
    1. 獄門<b>②</b>〈平治物語絵巻〉
      獄門平治物語絵巻
    2. [初出の実例]「今時の人梟首(きゃうしゅ)の事を獄門と云也」(出典:随筆・貞丈雑記(1784頃)一六)
  4. 江戸幕府の刑罰の一つ。牢内で首を切ったあと、これを俵に入れ、江戸の場合は浅草または品川の仕置場に運び、獄門台の上に首を三日二夜さらすもの。磔(はりつけ)につぐ重刑とされた。
    1. [初出の実例]「ふたりの者がはり付なれば玉はごくもん」(出典:浄瑠璃・大経師昔暦(1715)中)
  5. 人をののしっていう語。
    1. [初出の実例]「強盗めごくもんめとては蹴飛ばかし」(出典:浄瑠璃・心中天の網島(1720)上)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「獄門」の意味・わかりやすい解説

獄門
ごくもん

梟首 (きょうしゅ) ,梟示 (きょうじ) ともいう。平安時代中期~明治初期の刑罰の一つ。大衆へのみせしめとして行われたさらし首のことで,鎌倉時代までは,斬首した罪人の首をほこに突刺して京中の大路を渡したのち,その首を左獄ないし右獄の門前にある楝 (おうち。センダンの古名) の樹にかけてさらすことが多かったので,いつしか梟首のことを獄門と呼ぶようになった。平安期,検非違使の庁例においては盛んに行われ,その執行は,たとえ首をはねた者が征討使であっても,使庁が専当するのが常であった。室町時代以降になると,柱と横木で台をつくって,その上に5寸釘を打った首台を据え,そこへ首を刺してさらしたが,獄門という呼称は変らなかった。これが制度として整えられたのは江戸時代に入ってからで,『公事方御定書』には,牢内において斬首したのち,小塚原 (千住) ないし鈴ヶ森 (品川) においてその首をさらすとある。首は獄門台に載せられ,3日2夜さらされたのち,取捨てられたが,罪状を記した捨札 (すてふだ) は 30日間そこに立てておく定めであった。明治期になってから,獄門の名は,仮刑律では梟首,次いで新律綱領さらには改定律例を通じ梟示という名称に変ったが,斬の特別刑として存続し,梟首刑廃止の布告が出たのは 1879年1月4日のことであった。 (→さらし , 死罪 )

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百科事典マイペディア 「獄門」の意味・わかりやすい解説

獄門【ごくもん】

江戸時代における死刑の一種。晒首(さらしくび),梟首(きょうしゅ)とも。囚人の首を牢獄の門や刑場の木架の上などにさらしてみせしめとした。死罪より重く,肉親・主殺しなどの重罪に対して科せられた。明治初年の新律綱領でも規定されていたが,1879年ボアソナードの提言で廃止。
→関連項目縁坐死刑信達騒動伝馬騒動引廻し

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改訂新版 世界大百科事典 「獄門」の意味・わかりやすい解説

獄門 (ごくもん)

江戸時代の刑罰の一種で,晒首(さらしくび),梟首(きようしゆ)ともいう。かつて梟首は,獄舎の門に首を懸けて行われたので,獄門の名が生じた。《公事方(くじかた)御定書》によれば,牢内において斬首し,小塚原(こづかつぱら)または鈴ヶ森の刑場か,あるいは在方の犯罪地に獄門台を設け,台上に罪人の首を3日2夜さらす。罪としては死罪より重く,磔(はりつけ)より軽い重刑であった。威嚇主義的刑罰の典型で,1870年(明治3)の新律綱領にも梟示として規定されているが,その残虐性から79年廃止された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「獄門」の意味・わかりやすい解説

獄門
ごくもん

刑罰の一種。受刑者の死体、ことにその首を斬(き)って公衆にさらす刑。古く梟(きょう)また梟首とよんだが、平安時代中ごろより、斬った首を囚獄の門の側の楝(おうち)にかけることが行われたので、獄門ということばが生まれた。鎌倉・室町時代にも行われたが、江戸幕府の公事方御定書(くじかたおさだめがき)はこれを死刑の一種として、公儀に対する重い謀計、主殺し、親殺し、関所破り等の重罪に適用した。江戸では首を獄門にかけることは行われず、牢舎(ろうしゃ)内で罪人を斬首(ざんしゅ)したのち、首はたいてい浅草小塚原(こづかっぱら)または品川鈴ヶ森の刑場に送られて、台床の上で三日二夜さらされた。

[石井良助]


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「獄門」の解説

獄門
ごくもん

本来的には検非違使庁(けびいしちょう)の獄屋の門であるが,梟首(きょうしゅ)された首を門あるいは門前の木にかけたところから,斬罪に処せられた首をさらすことを意味するようになった。京都では処刑を鴨川の河原で行い,京中を巡る大路渡しが行われたのち,獄門でさらされた。江戸時代になると,幕府の刑罰体系にとりいれられ,牢内で首を切ったあと,これを俵にいれ,浅草と品川にあった仕置所に運んで獄門台の上におき,3日2夜さらした。磔(はりつけ)につぐ重刑。

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世界大百科事典(旧版)内の獄門の言及

【梟首】より

…下って940年(天慶3)平将門の首を京に梟しており,以後,平忠常,安倍貞任,源義親ら反乱の首魁や,京中の強盗等の重罪犯を梟首した事例が見られるが,病死した平忠常,自殺した藤原通憲(信西)の例でわかるように,梟首は斬罪の付加刑ではなく,斬罪より重い独立の刑種であった。刑の執行に当たっては,罪人の首を鋒(ほこ)に刺して京の大路を練り歩いたのち,獄門の楝(おうち)樹に懸けるのが例となった。鎌倉時代に入って,梟首を獄門とも呼ぶようになるのはこの慣行にもとづく。…

【闕所】より

…私的に所持する財産を官没するもので,公的な支配権の召上げは改易(かいえき)と呼び区別した。《公事方御定書》によれば,鋸挽(のこぎりびき),磔(はりつけ),獄門,火罪,斬罪,死罪,遠島および重追放の諸刑には田畑,家屋敷,家財の取上げが,中追放には田畑,家屋敷の取り上げが,軽追放には田畑の取上げがそれぞれ付加される。これを欠所と称し,武士,庶民を通じて適用したが,扶持人の軽追放においてはとくに家屋敷のみの欠所とする。…

※「獄門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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