〔年候と農事に関連したもの〕
雨カキ日クリ
雨の多い年はカキの収穫が多く、干天にはクリが多くとれるという意味。同類に「雨ビワ日ウメ」(京都地方)、「日照りカボチャ、降りユウガオ」「日照りカボチャ、雨アズキ」(ともに新潟県地方)、「くけ(雨降り)クリ、照りゴマ」(長野県)、「雨イカ日ダコ」(山口県)などがある。
カツオが早ければ豊作
福島県の白河地方では、常磐(じょうばん)沖でとれるカツオが駄馬で山を越えて入ってきたが、この遅速で豊凶をみた。カツオは暖流魚、その遅速は黒潮の動静を反映している。
雷の多い年は豊作
栃木県でいう。7~9月の同県の雷雨日数は反収にほぼ並行している。
コブシの花多きは豊作
春が高温だと豊作、低温だと凶作を意味する俚諺は多い。これと反対に「サクラが例年より遅ければ凶作」というのがある。
小雪は凶作
これと反対に「大雪は豊年の兆し」というのは多雪地帯では成り立たない。小雪のとき凶作になることのほうが確率が高い。
暖冬冷夏
気象学者荒川秀俊(ひでとし)によって統計的に実証された。
春小雨夏夕立に秋日照り
稲が豊作である年の天候を俳句調に詠んだもの。
フジの花みて綿を播(ま)け
フジは5月中旬ごろ満開となる。そのころが綿の種を播く季節であることをいったもの。同じような諺(ことわざ)に「ナシの花咲きゃアワを播け」(和歌山県)、「マダケが抜けたら(タケノコの皮が落ちること)アワを播け」(大分県)というのがある。
六歳に一饑(き)、十二歳に一荒(こう)
6年に1回の割合で饑飢(きき)があり、12年に1回の割合で凶作があるということ。冷害や凶作には周期性と群発性が認められる。6年は海洋の変動に関連し、12年は太陽活動に並行した周期である。なお北海道の冷害はオリンピックなみといわれるのは4年の周期性のあることを示している。いずれも厳密な周期ではない。
〔季節の特徴に関連したもの〕
秋の天気は吹く、降る、吹く、どん
「どん」は晴天のこと、尾張(おわり)や三河(愛知県)地方でいう。秋の天気が周期的に変わることを述べたもの。
秋の西風、二日と吹かぬ
このころはまだ大陸方面の高気圧が発達しないので、冬の季節風である西風は長もちしないことをいったもの。
雷が鳴ると梅雨(つゆ)が明ける
この表現は正しくない。「梅雨明けには雷を伴うことが多い」とすべきである。なぜなら梅雨期間中といえども、いくらでも雷は鳴っているからである。
時雨(しぐれ)三日
神奈川県三崎地方でいう。一度しぐれ出すと3日ぐらい続いてしまうことをいったもの。
十月の女脅し
10月に入り急に寒くなり、冬物の用意のできていない女性を慌てさせるような天気をいう。山口県の長門(ながと)地方でいう。ただしそのころの寒さは長続きせず、2日くらいで収まる。
春南秋北(しゅんなんしゅうほく)
春には南風になると天気がよくなり、秋には北風になると晴天になることが多いことをいったもの。
大師雨天、天神日和(びより)
京都では弘法(こうぼう)様の日(21日)に雨が降れば天神様の日(25日)は晴天、弘法様が晴れなら天神様は雨天になることをいったもの。同様なことは東京では金比羅(こんぴら)と水天宮では天気が逆になっているような例がある。寺田寅彦(とらひこ)は、これは天気に7日周期があることを反映したものだと考えた。明治時代に「大山雨と東郷日和」というのがあったが、明治37~38年の日露戦争のとき、大山元帥の凱旋(がいせん)式に列する日は雨、東郷大将のときはいつも快晴であった。山口県では「ついたち日和に三日雨」という俚諺がある。
梅雨明けはジェット気流の消えるとき
気象学者高橋浩一郎(こういちろう)の考えた新しい天気俚諺。
梅雨は明るくなれば雨が降る
梅雨期間中は雨量の少ないときに日照も少なく、通常と反対の傾向がみられる。山口県の俚諺のなかには、「梅雨の天気とにゅどう(ハンセン病)は赤く(明るく)なるほど悪い」と、これに気づいてつくられたものがあるが、これは注目される事象である。
冬至冬中冬始め(とうじふゆなかふゆはじめ)
冬至は暦のうえでは冬の真ん中であるが、実際に寒くなり冬が始まるのは冬至からであることをいったもの。
ニシン曇り
ニシン空ともいう。ニシンがとれるころのどんよりした天気。北海道の余市(よいち)では3月ごろ、同じく留萌(るもい)地方では4月下旬、同じく北見地方では5月に入ってからといわれる。
春の高温、夏の高温
高橋浩一郎による新しい俚諺。春の高温は夏まで持続することをいったもの。
彼岸西風(ひがんにし)
春の彼岸の前後に吹く冬の季節風の名残(なごり)。一時寒の戻りがある。
百十日の霜
「八十八夜の別れ霜」というのは関東以西の平野部に当てはまること。北日本ではこれより遅く、立春より数えて110日目ころが最後の霜となることをいったもの。
迷走台風は八月に
高橋浩一郎による新しい気象俚諺。
〔特異日に関連したもの〕
秋の彼岸は農家の厄日(やくび)
二百十日は厄日として有名であるが、台風のとくに来襲しやすい日ではない。台風来襲の特異日としては9月17日、25日があげられ、これは秋の彼岸の入りと明けのころにあたる。
大火事は三月二四日に起こりやすい
同様な日として4月23日、5月20日が顕著な火事日和としてあげられる。
大師講荒れ
旧暦11月23日の荒れ模様の天気をいう。この翌日の24日は「大師さんのあと隠し」といって里にも雪が降ることが多い。旧暦に現れた特異日の一つ。
〔一日中の天気変化に関連したもの〕
朝ごち、昼はや、夕西、夜北
九州北西部でいう。天気が安定するときの風向の変化を示したもので、こちは東風、はやは南風、このように風が変わるなら順調な日和が続く。
朝のあがり雲
朝起きてみると空はすっかり雨雲に覆われ、いまにも降りだしそう。テレビの天気図には低気圧が本州南岸に接近して見られるが、そんなときに南東から黒い片乱雲がいくらか足早に動いてくる。いかにもものものしい感じで天気が非常に悪くなりそうに思うが、実はあまり悪くならず、日中は曇りときどき晴れ、悪くても小雨程度ですむことが多い。
嵐(あらし)の前の静けさ
台風の周囲には渦度の小さいところがあり、そこでは風が弱い。気象学者正野重方(しょうのしげかた)によりみいだされた。
大霜の三日目は雨
大霜は移動性高気圧のときに降りる。この高気圧が去るとやがて3日目ぐらいに低気圧がきて雨となる。これと反対に「西風三日目に大霜が降りる」という俚諺もある。天気の周期的変化に注目した俚諺。
鐘の音がよく聞こえると雨
古来からいわれた俚諺であり、地域的にはたとえば栃木県南部で「筑波(つくば)山から朝夕鐘の音が聞こえると天気が変わる」という。「山彦(やまびこ)がよく聞こえるときは晴れ、鈍く響くときは雨」ともいう。栃木県下都賀(しもつが)郡では「東北線の汽車の音が聞こえると雨になる」という。この地方ではさらに細かく「東武佐野線の音の聞こえるときは晴れ、東武日光線の音が聞こえるときは雨」と音の聞こえてくる方向によって天気を識別している。音響に関した俚諺には「三味太鼓の音が濁るのは雨の兆し」というのがある。
雷が鳴るときは大樹に寄るな
避雷の心得はさまざまあるが、古来農家では「雷が鳴ったら鍬鎌(くわかま)持つな」というようなこともいわれた。
霧雨身をぬらす
小さな水滴のため霧雨の中に入ると身の内までぬらしてしまうこと。
曇った日にもやがかかれば雨となり、雨の日にもやがかかれば晴れとなる
中国地方でいう。
早朝のにわか雨は晴れる
この諺は海岸に近い地方で夏によく成り立つ。昔は「朝雨は女の腕まくり」ともいった。栃木県では「日照りの朝曇り」「朝霧が深いと雨が降らない」「朝霧の深い日は雷がある」などの俚諺がある。昔、農家では「朝雨蓑(みの)要(い)らず」ともいった。
低気圧八丈過ぎれば江戸は晴れ
高橋浩一郎がまとめた天気予報則。
夏の朝曇りははげ頭が泣く
日中に照ることをいったもの。
西の強吹(こわぶき)は夜ほど吹き、北の風は夜ほどやむ
普通「西風日いっぱい」といって、西風は夜にやむことを述べた俚諺が多いが、千葉県房総の南のような所では、かえって反対になる所もある。
寝耳に水
江戸初期からいわれた諺であるが、気象学的にみても大風雨や集中豪雨は夜間に断然多く、日中のおよそ2倍になっている。
日の出前30分の空模様
これはお天気博士といわれた藤原咲平(さくへい)が弟子たちに教えたことである。日中になると上下の対流が盛んになり気層が乱れてしまうので、そのようにならぬ前に空のようすをよく見よということ。
降りっ霧の照りっ霧、照りっ霧の降りっ霧
江戸時代からいわれてきた天気俚諺の傑作である。上から霧が降るようにかかってくる場合は日中になると照る。反対に下から霧が立ち上るような形で現れるときは、やがて雨になる。登山者などは心得るべきことであろう。
星がきらきら動くと大風
世界各地でいわれている。星がちらつくのは上層の強風に乱れがあるためで、この強風がやがて地表までも及んでくるのである。
山崩れ100ミリメートル以上の雨のとき
高橋浩一郎がまとめた新しい俚諺。
夜雷は長雨
夜雷は日射以外の前線か低気圧性のものと考えられる。そのような状態は、停滞性の形をとることがあり、長雨となることもある。さらに「雨無くて鳴るは大風、沖のほうへ鳴り入れば雨、その余(よ)の雷は晴れを司(つかさど)る。東に雷すれば大風、西は晴れ、南は大風、北は南風、西北も雨、また乱れ閃(ひらめ)くは風なり」ともいう(幸田露伴の『水上語彙(すいじょうごい)』による)。
〔雲に関連したもの〕
板雲が出ると風が強くなる
板雲とは上空で風の強いとき現れる板のように平たい雲、レンズ雲のこと。千葉県南部でいう。
戌亥藤(いぬいふじ)は張り悪く未申藤(ひつじさるふじ)は張りよし
東海地方でいう。藤は房(ふさ)状に伸びた雲のこと。戌亥(北西)方から伸びてくる房雲(ふさぐも)は雨を知らせ、未申(南西)から伸びてくる房雲のときは晴れが続くことをいったもの。低気圧の構造からも考えられることは伊藤亀雄(かめお)が示した。
雲仙腰巻阿蘇頭巾(うんぜんこしまきあそずきん)
雲仙岳に婦人の腰巻のような雲(かい巻雲ともいう)がかかったら雨、阿蘇山では頭巾のような雲(笠雲(かさぐも))がかかると雨になるという俚諺。同類の諺に「那須(なす)山に白い雲の帯がかかると雨」(栃木県)というのがある。また「日光の腰帯三日ともたぬ」ともいう。この場合の腰帯は1500~2000メートルあたりに現れる雲のこと。栃木県宇都宮地方でいわれる。
寒冷渦(うず)は豪雨・豪雪のよき前兆
最近は高層天気図の利用が進み、寒冷な渦が上層に現れると、気層の上下の転倒が激しくなり、豪雨や豪雪になることが明らかになってきた。高橋浩一郎の注目した新しい俚諺。
だし雲が出ていると晴天が続く
越後(えちご)(新潟県)を中心にいわれている。山越えの気流が山頂を越えると、だし雲という小形の白い綿のような積雲が山から滑り出してくる。このときは気温が上がり空気は乾燥する。一種のフェーン現象である。
上り雲と下り雲が相反して飛ぶのは風雨
これは風が高さによってたいへん食い違っているときにおこる。上層に不連続面のあることを意味し、やがて前線性の天気となる。
富士山に笠雲がかかると翌日雨か風になる
雨になるか風になるかは笠雲の形から推定できる。
〔山の気象に関連したもの〕
青山の雲
青山は山がまだ緑なこと。そんなときに早く雪が降ると暖冬で寡雪になることが多い。青森県の八甲田(はっこうだ)山では初雪の早い年を調べてみると1月は暖かく、統計的にも確かめられている。
赤城(あかぎ)山に窓がかかると雨
窓がかかるというのは、山頂は雲に覆われても連峰の鞍部(あんぶ)だけは晴れて、青空がのぞいていることをいう。「磐梯(ばんだい)山の窓のぞきは雨」ともいわれている。
浅間の煙が西に傾くときは雨、東なら晴れ
これは上層気流による天気の見方で、気象学の法則にもよくあっている。同様なことは火山の阿蘇、桜島、伊豆大島の御神火(ごじんか)などについてもいわれる。
内上(うちあげ)は晴れの兆し
信州(長野県)から越中(えっちゅう)(富山県)に向け吹く風を内上、越中から信州に吹き抜ける風を外上(そとあげ)という。内上が晴れ、外上が荒れの兆しである。日中、内上が吹くことは谷風が順調に吹いていることで天気はよいが、谷風が崩れ反対方向になっていることは低気圧の近づいた場合で、気象学的にも正しい。
駒(こま)の雪早く融ける年は慌てて作付けするな
信州でいう。駒は木曽(きそ)駒ヶ岳のこと。そういう年はまた雪が降るから慌てて作付けするなという意味。
農鳥(のうとり)
春先、山の残雪の形によって、農作業開始の目安にしたり、その後の天候の判断をすること。残雪の形そのものを見定める場合(ポジティブ)と、残雪から露出した岩肌に注目する場合(ネガティブ)があり、見立てられる形としては鳥、獣、魚、植物、什器(じゅうき)、文字、人物などがある。たとえば青森県の八甲田山小岳南側斜面ではトビ形の残雪が現れ、これによって豊凶を占った。山梨県には農鳥山があるが、これとは別に富士山を山梨県側から見たとき、そこに農鳥を見て農時を占った。このほか長野県鉢伏(はちぶせ)山では残雪をガンに見立て、白馬鑓(しろうまやり)ヶ岳では残雪を鶴首や双鶏に見立てている。またそこに種播きする老人の姿を見て「種播きおっこ」「種播きじっさ」などの名称でよばれることもある。雪形は高層気象を反映したものであり、ある程度学理にかなっている。
山のから夕立はもっとも恐ろしい
雷雲特有の強いにわか雨を伴っていないので、雷雲はまだ遠いと思っていると、霧や暗雲の中で突然、電撃を受ける。
山は風をみせ、風はまた山をみす
たとえば東京で筑波山が鮮やかに見えると、やがて筑波のほうから風が吹いてくる。富士山側から風が吹いてくるときはその方向がよく見える。
〔海洋や漁業に関連したもの〕
秋の朝富士とてきらきら見えたればその日は西風吹くなり
江戸時代からいわれた漁師の風の見方である。「筑波山よく見えたるはつくばならいと知るべし」ともいう。
あなじの八日吹き
北西の風をあなじという。瀬戸内方面ではこの風が吹き始めると何日も吹き続くので、このようにいう。
雷が鳴るとハタハタがとれる
ハタハタは初冬の雷鳴がするとき沿岸に押し寄せるので別名カミナリウオともいう。
北風がしこってくると台風が近づく
千葉県房総地方でいう。「しこる」とはしだいに強まることをいう。
雲うそついても波うそつかぬ
隠岐(おき)諸島(島根県)に伝承される俚諺。少々空模様のよいときでも、うねりのようすが変なときは用心しなくてはならない。
佐渡や飛島が見えるときは翌日雨
山形県庄内(しょうない)浜由良(ゆら)港でいう。
潮が急に膨れ、うねりがたち、水温の上がるのは突風の前兆
北九州でいう。海面が急に膨れるのはアビキ(湾内の副振動で海面が大きく昇降すること)のこと。
底揺れ、底冷えは時化(しけ)を早く知らせる
底揺れがひどいと海女(あま)は海底に立っていられない。
長時化(しけ)の鳴り上がり
土佐(高知県)でいう。正確には長時化が終わるときは雷を伴うことが多いと考えるべきであろう。
海苔(のり)の豊作は一年おき
昭和年代では偶数年が不作、奇数年が豊作になっている。海苔の作柄は9、10月の海苔の種播きをするときの気温に左右される。
八方曇りの中天晴れ
房州(千葉県)館山(たてやま)地方でいう。頭上だけが晴れ、周りが曇っていること。こんなときは時化(しけ)てくるから用心することが肝要との俚諺。
東が鳴ると時化(しけ)る
千葉県房総地方でいう。海鳴りの聞こえてくる方向で天気を判断することは各地で行われている。
冬雷は錨(いかり)を切って逃げよ
冬雷は前線性のもので突風を伴う場合が多い。西九州ではこれを「鉄砲西」とか「西落とし」という。
夕べのベタ凪(なぎ)がいちばん恐ろしいくせもの
北九州でいう。同類に「突風のおこる前日に絶好の晴天」「霜が早く溶けて朝焼けがあるとき、また深い霧が降りて朝焼けのあるのは突風の前兆」(いずれも北九州でいう)というのがある。
〔動植物に関連したもの〕
ツバメが遅い年は豊年、ウグイス、ヒバリの遅鳴きの年は凶作
筒井百平(もへい)(元彦根(ひこね)測候所長)がこのことを確かめた。
ツバメの水ハチ
水ハチは水面近くをかすめて飛ぶこと。和歌山県でいう。雨の降る前兆とみる。同様なことは紀元前ローマの詩人ウェルギリウスが注目している。「ツバメが低く飛べば雨近し」という俚諺もある。
鳥飛び下(くだ)るにかならず風に向かう、これをもって風の方向を知る
赤松宗旦(そうたん)の『利根川(とねがわ)図志』(1855)による。ヒバリは風が強くても弱くても風に直面して昇騰していく。赤トンボも風に向かって止まる。
どんこの川入りゃぬくくなる
佐賀県や熊本県でいう。「どんこ」はガマ(ヒキガエル)のこと。春先、産卵のため川に入る。産卵だから水温の高いほうがよく、ガマはだいたいこれを感知して川に入る。これとは別に新潟県で「カエルが地中深く冬眠するのは大雪の兆し」というのがある。
野ウサギと天気
野生の野ウサギは晴れたときは草むらにいるが、木の洞(ほら)や岩陰に潜んでいるときは雨が近い。ネコのように家で飼われている動物は天気との関連は複雑で判然としない。
松かさがつぼむと雨
これと反対に「松かさが開いていると天気が続く」といわれる。空気中の湿度の変化を反映したものである。同類に「フキの葉が一面に汗をかくときは雨」「ハコベが花を閉じれば雨、開けば好天気」というのがある。
宵のこーぞ日こーぞ、夜明けのこーぞ雨こーぞ
熊本県でいう「こーぞ」はフクロウのこと。夜鳴きの時刻によって天候を占ったもの。俚諺辞典によると、これと反対に「宵の梟(ふくろう)雨梟、夜明けの梟日梟」としたものもある。このような伝承で統計的に確かめられたものはほとんどないが、生態的にはなにか意味づけができるかもしれない。
〔局地性をもったもの〕
藍瓶(あいがん)が鳴ると翌日上天気
越中(富山県)でいう。藍瓶とは射水(いみず)河口の深みをいう。その付近で聞かれる特殊な海鳴り。この海鳴りが夜中に急にやんだりしたときは、翌日の天気はあまりよくない。
あなぜ(北西風)の夜凪(なぎ)
長崎市でいう。夜間は陸地から海に吹き出す陸風があり、これが北西の季節風と打ち消し合って夜間に凪になるのである。
伊勢(いせ)でこうやま(西風)吉田でならい(北西風)尾張で北ぶきゃいつも吹く
ここで「いつも吹く」というのは吹きやすいという意味。地域的に卓越する風向を詠み込んだもの。なお下田(しもだ)節に「相模(さがみ)ゃならい(北東風)で石廊崎(いろうざき)ゃ西よ、間(あい)の下田がだし(北)の風」というのがある。
雲が上れば佐伯(さいき)の雨
大分県佐伯地方の雨はたいていまじ(南風)で降り、南方の延岡(のべおか)のほうに雲が上れば佐伯は雨となった。
坂は照る照る鈴鹿(すずか)は曇る、あいの土山(つちやま)雨が降る
坂は鈴鹿峠の伊勢(いせ)(三重県)側の麓(ふもと)にある宿駅坂下(さかした)のこと。土山は反対に江州(滋賀県)側の宿駅。これは冬の季節風時の鈴鹿山脈付近の天候をよく表している。
三杯雷様(らいさま)三束(ぞく)雷様
栃木県の南部では南西方の秩父(ちちぶ)連山からの雷がもっとも激しく、飯3杯食べぬうち、稲3束たばねぬうちにやってきて激しい雨となる。「富士西(南南西)から雷雲が出ると麦三束たばねぬうちに雨がくる」ともいう。
ながせの夕晴れ
瀬戸内方面でいう。「長時化(しけ)の夕ぴかりあてにならぬ」ともいう。また四国南伊予地方(愛媛県)では「梅雨の夜晴れ」「ながせの夜あがり」「夜あがり雨はまた降る」などという。
〔番外〕
あかぎれが痛むと雨になる
群馬県や宇和島(愛媛県)でいう。他方、信州(長野県)では「あかぎれが夜痛むと天気が続く」という。どちらが本当だろうか。これは、あかぎれの痛みが将来の天気とは一義的に結び付いていないことを物語る。あかぎれの痛みは、そのときの天気とそのときまでの天気が結び付いており、予兆というよりは結果と考えるべきである。
寒・土用は過ぎてから褒める
信州でいう。寒や土用は、その経過中はいろいろの変動があって不安もあるが、その時期を過ぎてから顧みてよかったと褒めることが多いという意味。俚諺をすべて予言的なものとみるのは行きすぎである。
[根本順吉]
天気や天候・気候について、古来伝承されてきた経験則。内外ともその数は非常に多いが、それらは統計的に検証されたものはたいへん少なく、そこに一部の真理が含まれた経験であるとしても、それは科学的気象学ないし天気予報術の前段にあたる人間の知恵と考えられる。天気俚諺の内容を調べてみると、天気、天候および気候を対象としたもの、季節の特徴を知識として要約したもの、さまざまな予想をその内容とするものなどに分けられる。
予言的内容のものは動植物などの物類にその前兆を求めるものと、風・雪などの大気現象など無生物的自然に前兆をみいだしたものに分けられる。また地域的には、ある地域だけに特有の天気の変化に注目したもの、かなり広範囲にどこでも利用可能な現象を要約したものなどに分けられる。
動植物のさまざまな生態に前兆を求める場合、その判断は天気の影響→生物の生態→天気予想というように、どうしてもその判断が間接的になるので、予想精度は落ちる。しかし生物においては、そのときまでの過去と現在の気象などが積算して表れている場合も少なくないので、積算効果としての影響がある気候や季節の場合には、生物を前兆とみた判断が役だつことが少なくない。
内外とも天気俚諺は古代からの長い歴史をもつものである。それは紀元前のバビロニア文明の時代からすでに考えられていたことであるが、たとえば、「月に暈(かさ)がかぶると雨や雲が多くなるだろう」というようなことは、すでにそのころから知られていた。聖書の「マタイ伝」には次のような天気俚諺が述べられている。
「夕べには汝(なんじ)ら、空赤きがゆえに晴れならん」
「あしたには、空赤くして曇るゆえに、きょうは風雨ならん」
また、わが国の『万葉集』や古代歌謡には天気に触れた歌が多いが、たとえば、『古事記』
畝火山(うねびやま)昼は雲とゐ夕されば風吹かむとぞ木の葉さやける
は、伊須気余理比売(いすけよりひめ)(神武(じんむ)天皇の皇后)が3人の皇子の暗殺を恐れ、その危難を皇子に知らせるために詠まれたものであるが、そのままの意味では風吹かんとする前兆を述べたものである。
天気俚諺はその後農事および航海に関連し種類も増え、内容も豊富になっていく。このうち航海に関するものは、航海者の生命に関することでもあるので、内容的にはより正確なものが求められたが、これらのなかには現在の学理とも矛盾しないものが少なくない。
ヨーロッパでは、これにさらに占星術的な考え方が、日本や中国では陰陽五行説的な解釈が付け加わって天気暦のようなものがつくられ、ヨーロッパでは11~17世紀ごろにこれがたいへん流行した。このような暦から迷信的な部分を一掃し、農民らに役だつ暦(アルマナック)をつくったのはアメリカのB・フランクリンである。この形式の農事暦は現在もアメリカでは刊行が続けられ、隠れたベストセラーの一冊となっている。
[根本順吉]
『全国学農聯盟編『農事必携・全国天気予知』(1948・学習社)』▽『R. InwardsWeather Lore (1950, Rider and Co.)』▽『根本順吉著『天候さまざま』(1974・玉川大学出版部)』▽『藤井幸雄著『観天望気入門』(1976・青春出版社)』▽『R. RageWeather Forecasting (1977, The Country Way, Penguin Books)』▽『大後美保編『天気予知ことわざ辞典』(1984・東京堂出版)』
天気に関する言い伝えのこと。天気の変化は生活に大きな影響を与えるので,天気の変化に関する経験をまとめた天気俚諺は東洋でも西洋でも紀元前から知られている。ギリシアのテオフラストスは前300年ころ,200あまりの天気俚諺を集めた本を出している。その中には,〈夕焼けは晴,朝焼けは雨〉〈月や日がかさをかぶると雨〉〈北東風は天気が悪い〉〈絹雲は雨のきざし〉などという今日知られたものがだいたい入っている。また,船乗りにとって天気の変化はときには生死にかかわるので,瀬戸内海の水軍の頭領,村上雅房は,1456年(康正2)に出した《船行要術》の中に,天気に関する経験則を30あまりあげている。
天気俚諺は経験則であり,各地の天気の変化の特性は,その地方の地形が大きく影響し,また季節によっても違うので,普遍性が少ない。また,なかには〈肥びしゃくをかつぐと雨〉〈下駄をなげて表が出れば晴〉というような,まったく科学的な根拠がなく,迷信的なものもある。このため,科学的な天気予報の手段としては価値が少ないが,なかには気象学的に説明できるものも含まれており,役に立つものもある。
たとえば,〈雲の堤が見えると早手がくる〉というのは,寒冷前線にともなう積乱雲が近づいてくることを物語り,注意しておれば,1時間くらい前にわかる。信州などでは〈子どもがはしゃぐと雨になる〉というが,これは低気圧が近づくと,その前面は南風となり,暖気が入り,気温が上がるので浮き浮きしてくる,と見れば説明がつく。一般に,気温が急に上がるのも,反対に下がるのも,雨の前兆である。前者は温暖前線の通過,後者は寒冷前線の通過を意味するからである。〈塩が水を吸えば雨〉〈鰹節(かつおぶし)を削るとき,柔らかいと雨〉〈ハコベの花が閉じると雨〉というのは,空気中の湿度が高いと雨になるということを意味する。しかし,これは多く同時現象であり,予報としての価値は少ない。〈煙がまっすぐ上がると晴,横にたなびくと雨〉というのは,大気の安定度と関連した現象である。前線が近くにあって,上空に気温の高い空気が入っていると,煙の上昇がそこでおさえられ,横にひろがるからである。また,〈遠くの鐘がよく聞こえると雨〉というのも,前線が近くにあり,音が上空の暖かい空気の層との境で反射するからである。ただ,冬季の晴れた日,夜間放射で地面付近が冷え,似た状態になるが,このときは晴れて,雨とはならない。
〈星がまたたくと日中風が強くなる〉〈西風と嫁入りは日暮まで〉〈南風はばかっ風でやむことを知らない〉というのは,大気の成層が日変化することによって生ずる現象である。〈夕焼けは晴〉ということは,西の空が晴れていることを意味し,中緯度,高緯度では天気が西から東に移動していくことで説明できる。ただ,低緯度では反対に天気は東から西に移動し,また,夏の日本でもこの傾向となるので,この天気俚諺は当てはまらない。〈朝霧は日中晴れ,気温がのぼる〉といわれている。これは,晴れた風の弱い日の夜,地面付近が夜間放射でいちじるしく冷え,上空に気温の逆転ができたときに朝霧が出るためであり,日中は霧が蒸発して消え,下層がとくに暖まるためである。
風も天気変化のよい目安となる。一般に北西風は天気がよく,北東風は天気が悪くなる前兆である。〈浅間山の煙が西に流れると天気が悪くなる〉というのは,このことをいったものである。ただし,冬季日本海側では北西風は天気が悪いきざしである。また,上空まで北東風の場合には,むしろよい天気がつづくきざしである。これは背の高い強い高気圧におおわれていることを意味するためである。〈空が高いと降りそうでも降らない〉というのは,相対湿度が低く,雲から雨粒が落ちてきても,途中で蒸発し,雨とはならないためである。
天気俚諺のなかには,夏や冬の天候の前兆をいったものも多い。〈コブシの花が多い年は豊作〉〈ツバメの渡来が早いと豊作〉などというのは,春の気温が高いと夏の気温も高いということを言い表したものと考えられる。事実,春の気温と夏の気温との間には統計的にも相関がある。〈大雪は豊年のきざし〉とよくいわれるが,地域により成り立つこともあれば,反対のこともある。冬の天候の前兆をいったものには,〈モズが高い木にカエルや虫などをさしておくのは大雪〉〈ソバの豊作は大雪のきざし〉〈高山に早く雪がある年は大雪なし〉など多数ある。一般に冬の前兆は11月になって現れる傾向が多く,秋の天候とはむしろ逆の傾向があるようである。
執筆者:高橋 浩一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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