天皇人間宣言(読み)てんのうにんげんせんげん

改訂新版 世界大百科事典 「天皇人間宣言」の意味・わかりやすい解説

天皇人間宣言 (てんのうにんげんせんげん)

1946年1月1日に出された詔勅通称で,この中で天皇神格を否定した部分があるのでこの名がある。この詔勅では太平洋戦争敗北後の新日本建設指針として1868年(明治1)の五ヵ条の誓文を掲げ,ついで天皇と国民の紐帯(ちゆうたい)は神話と伝統によって生じたものではなく,また天皇を現人神(あらひとがみ)としそれを根拠に日本民族の他民族に対する優越を説く観念に基づくものでもないとして,天皇の神格を否定した。この詔勅はGHQの支持を受けて幣原喜重郎首相英文で起草し,占領軍による日本民主化政策の一環として発せられた。それまで国家神道を中心に国民の戦争への動員がなされてきたので,発布時には天皇の神格否定の側面が国民に強い印象を与えたが,1977年8月,昭和天皇はこの宣言の〈神格否定は二の問題〉であり,五ヵ条の誓文が民主主義の伝統を表すものであることを強調したのだと発言した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天皇人間宣言」の意味・わかりやすい解説

天皇人間宣言
てんのうにんげんせんげん

1946年(昭和21)1月1日、昭和天皇が発した自己の神格否定の詔書。太平洋戦争の敗戦後、教育民主化の一環として、連合国最高司令部(GHQ)民間情報教育局のヘンダーソンと学習院教員ブライスが中心となって、天皇が神格否定の詔書を発表する構想がたてられた。宮内省関係者や幣原(しではら)首相などの検討を経たうえ、天皇の発意で五箇条の誓文が加えられ、詔書案は完成した。この詔書は、国家神道(しんとう)の廃止指示した神道指令に続いて、戦前天皇制の思想的側面に改革を加えたもので、詔書中に「国民」の用語が登場(従来は「臣民」)した最初のものでもあった。

[赤澤史朗]

『高橋紘・鈴木邦彦著『天皇家の密使たち』(1981・現代史出版会)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「天皇人間宣言」の解説

天皇人間宣言
てんのうにんげんせんげん

天皇の神格否定を目的として1946年(昭和21)1月1日にだされた詔書。正式には「新日本建設に関する詔書」。GHQの指示で幣原(しではら)喜重郎首相が起草し,「天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ,且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族」だとする考えを否定する一方で,五カ条の誓文の精神による民主化を掲げた。間接統治のために有用な天皇制の存続をめざすGHQにとって是非とも必要な措置だった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「天皇人間宣言」の解説

天皇人間宣言
てんのうにんげんせんげん

1946年1月1日,天皇がみずからの神格を否定した詔勅
正式には「新日本建設に関する詔書」。冒頭に,五箇条の誓文をあげ,これを新日本の国是とすることを誓い,天皇と国民との結合は,相互の信頼と敬愛とに基づくものであり,神話と伝説によるものに非ずと宣言した。

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世界大百科事典(旧版)内の天皇人間宣言の言及

【天皇】より

…こうした俗信をふまえた天皇像は昭和期に盛行した類似宗教教団の教説に表明されたものでもある。このような信仰のありかたこそは,敗戦後に天皇が〈人間宣言〉(天皇人間宣言)でみずからの神格を否定した後も,天皇への敬仰,期待を持続せしめた要因である。民衆は,政治的につくられた神聖君主としての天皇にではなく,大いなる力や威霊をそなえているであろうものについてのあわい期待でもって天皇を意識した。…

※「天皇人間宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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