奥の細道(読み)おくのほそみち

精選版 日本国語大辞典 「奥の細道」の意味・読み・例文・類語

おくのほそみち【奥の細道】

  1. 江戸時代の俳諧紀行文。一冊松尾芭蕉作。元祿七年(一六九四)以前に成立し、死後の同一五年(一七〇二)刊。元祿二年三月二七日、門弟曾良を伴って江戸深川を出発して、奥州、北陸の名所旧跡を巡り、同年九月六日伊勢に向かうため大垣に到着するまでの、行程約二四〇〇キロメートルの紀行。

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日本歴史地名大系 「奥の細道」の解説

奥の細道
おくのほそみち

岩切の東光いわきりのとうこう寺門前の七北田ななきた(冠川)沿いの道を想定しうるが、時代にもより、漠然とした歌名所である。元来は歌名所ではなく、芭蕉の「おくのほそ道」の題名と縁由をもつことから著名となったが、仙台領内でとくに名所として注目されたということはない。観応年間(一三五〇―五二)宗久の「都のつと」に「さてみちの国たがのこふになりぬそれよりおくのほそ道といふかたを南ざまに」とみえる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「奥の細道」の意味・わかりやすい解説

奥の細道
おくのほそみち

江戸時代中期の俳諧紀行。松尾芭蕉著。1冊。芭蕉みずからは「おくのほそ道」と著わした。元禄2 (1689) 年の旅ののち腹案を練り,何度も稿を改め,同7年初夏には定稿ができ,芭蕉没後の元禄末年,京都の井筒屋庄兵衛が刊行した。同2年3月 27日,門人曾良 (そら) とともに江戸を出発,奥州各地を行脚 (あんぎゃ) し,北陸を経て,8月下旬美濃大垣にいたり,9月6日伊勢の遷宮を拝もうと大垣から舟で出発するところで終る。関東,奥羽,北陸,東海の 13ヵ国にわたり,全行程約 600里,所要日数約5ヵ月半に及ぶ大旅行の記録で,芭蕉の紀行中最も整った,最もすぐれた作品。この旅に同行した曾良の書いた克明な日記が現存するが,それと比較すると,本書は必ずしも旅の忠実な記録ではなく,実際の旅程との違いや潤色の跡がみられる。そうすることによって紀行全体の起伏と調和をはかっていると思われ,そこに芭蕉の文芸意識あるいは創作意識をうかがうことができる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「奥の細道」の解説

奥の細道
おくのほそみち

江戸中期,松尾芭蕉の俳諧紀行文
1702年刊。1689年に門人曽良 (そら) を伴って5か月間奥州・北陸を旅した行程約2400㎞の道中記。種々の古典を援用し,和文脈・漢文脈を交じえた独特の文体で躍動感にみち,格調が高い。芭蕉的なもののすべてが結集され,紀行文中の白眉 (はくび) といわれる。作者46歳の作。

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とっさの日本語便利帳 「奥の細道」の解説

『奥の細道』

松尾芭蕉
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。\(一六九四頃)

『奥の細道』

松尾芭蕉作。元禄一五(一七〇二)年刊。江戸深川から関東、奥羽、北陸を巡って美濃の大垣に至るまでの俳諧紀行文。

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