改訂新版 世界大百科事典 「好島荘」の意味・わかりやすい解説
好島荘 (よしまのしょう)
福島県いわき市北部を占めた荘園。1186年(文治2)陸奥国岩城郡飯野郷赤目崎(のち平城の地)に石清水八幡宮より御正体を勧請して岩城郡八幡宮(飯野八幡宮)が創建された。好島荘はその神宮領として立荘されたものであるが,事実上は関東御領であった。鎌倉期には帖絹200疋を幕府に進納し,南北朝期には室町幕府に80貫文,石清水八幡宮に7貫文,それぞれの半分を絹で進納した。東西2荘からなり,東荘は《和名抄》に載る片依,玉造,白田の3郷,西荘は飯野郷の範域に相当するが,立荘のころにはすでに東荘に紙谷,片寄,衣谷など約10村,西荘には好島,東目,飯野,新田,今新田などの諸村が成立していた。1204年(元久1)の注進状によれば本免107町余,新免118町余,定田297余町,合計523町余の広大な荘田を擁した。本免には預所給田のほか惣追捕使,検非違使,郡司,公文らの給田があり,郡衙機構をとりこんで荘園化したことがうかがわれる。新免の大部分は入道領20町をはじめ岩城一族の村地頭9人に10町程度ずつ分配されていた。預所職ははじめ千葉常胤から子孫に相伝されたのち三浦義村に移ったが,1247年(宝治1)伊賀光宗が補任されて以後,伊賀(飯野)氏の世襲となった。地頭は平安後期以来のこの地の豪族岩城氏である。西荘では好島村,東目(飯野)村が地頭分で,今新田,小谷迫,河中子,小島などの新開地は預所分という支配区分が,鎌倉後期までに成立した。南北朝の動乱をへて,預所伊賀氏は岩城,白土,好島などの岩城一族に圧倒され,飯野八幡宮神主として岩城氏に従属するに至る。15世紀中葉のころ,岩城氏は好島荘をこえて岩城郡全域に支配を確立し,隣の岩崎郡の岩崎氏をも従属させた。八幡宮領好島荘は,このころまでに解体したものとみられる。なお,飯野八幡宮神領は1596年(慶長1)に651石,1603年には50石に減少したが,86年(貞享3)に江戸幕府から朱印状をもって北好間村400石の地を与えられた。
執筆者:小林 清治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報