関東御領
かんとうごりょう
鎌倉将軍家領。将軍家が本所(ほんじょ)・領家(りょうけ)となっている荘園(しょうえん)。東北から九州にかけて各地に分布する。御家人(ごけにん)の所領を私領というのに対して、公領ということもある。関東御領の多くは元は平家領の荘園で、いったん朝廷に没収ののち、源頼朝(よりとも)に与えられたもの(平家没官領(もっかんりょう))である。源家累代の荘園、承久(じょうきゅう)の乱(1221)による没収地などもある。関東御領の管理は、将軍家政所(まんどころ)が行い、現地には御家人が預所(あずかりどころ)として派遣されることが多かった。
[入間田宣夫]
『石井進「関東御領研究ノート」(『金沢文庫研究』267号所収・1981.9・神奈川県立金沢文庫)』▽『同「関東御領覚書」(『神奈川県史研究』50号所収・1983.3・神奈川県史編集委員会)』
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関東御領
かんとうごりょう
鎌倉将軍家の直轄領。御家人の私領に対して,公領といわれるもの。幕府成立期には,源頼朝が朝廷から与えられた平家一族の没収地が大部分であったが,承久の乱後,公家や公家方の武士の所領三千余ヵ所が没収されて将軍家領となった。関東御成敗地 (地頭の任命権が鎌倉将軍にある所領) を含めていうこともある。
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かんとう‐ごりょう クヮントウゴリャウ【関東御領】
〘名〙 鎌倉幕府将軍家の直轄領。また、将軍より御家人に与えられた
恩給地。
※新式目‐弘安七年(1284)五月二〇日「関東御領事、非御家人并凡下之仁、或称二相伝一号二請所一、或帯二沽券質券等一、多以領作之由」
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関東御領
かんとうごりょう
鎌倉幕府の将軍を領主とする荘園所領
主として平家没官領や承久の乱(1221)後の没収地などで,御家人に対してその荘園所職を恩給した。関東御分国とともに,幕府の経済的基盤をなした。
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かんとう‐ごりょう〔クワントウゴリヤウ〕【関東御領】
鎌倉時代、将軍家の直轄領。また、将軍より御家人に与えた恩給地。
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かんとうごりょう【関東御領】
鎌倉幕府の直轄領で将軍家家領ともいい,将軍が本所として支配した荘園や国衙(こくが)領。将軍は関東御領に対して御家人たちを預所や地頭などに任命して支配を行い,年貢・公事(くじ)などを徴収した。幕府財政にとって関東御領からの収入は相当大きな割合を占めていたと思われるが,残念ながら関東御領全体の規模や収益などを示す史料はまったく残されていない。鎌倉幕府の成立期の1184年(元暦1)初代の将軍源頼朝は,京都の朝廷から平氏一族の旧領500余ヵ所を平家没官領として与えられ,これが関東御領の主要な基礎となった。
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