中国、清(しん)代中期の古文作家、学者。字(あざな)は姫伝(きでん)、号は惜抱(せきほう)。方苞(ほうほう)・劉大櫆(りゅうたいかい)と同じく安徽(あんき)省桐城(とうじょう)の出身。1763年(乾隆28)の進士。翰林院(かんりんいん)庶吉士、編修を経て刑部郎中に至った。『四庫全書』纂修(さんしゅう)官をもって辞任し、以降各地の書院において学を講じ、桐城派古文の学統を継承発展させた。出藍(しゅつらん)の誉(ほまれ)が高く、文章は方苞より優れ、儒学は劉大櫆より深いと評されるようになった。時代の実証主義的傾向、とくに漢学派との調和を図り、義理・考証・文章の三者の総合学への方向へ傾いている。帰有光や方苞にみられた狭さを目ざす方向からの転換である。文章の理想を平淡に置き、なだらかで地味な表現を好んだ。『惜抱軒文集』16巻、『詩集』10巻のほか、『古文辞類纂(こぶんじるいさん)』74巻の編がある。
[佐藤一郎 2016年3月18日]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…中国の古典散文の選集。清の姚鼐(ようだい)の編集。1779年(乾隆44)に完成した。…
… 清朝でも古文の勢力は衰えなかった。その主流は桐城(とうじよう)派とよばれ,開祖とされるのは方苞(ほうほう)で,姚鼐(ようだい)がこれを盛んにした。この派は帰有光の文を高く評価する。…
…中国,清代古文の一派,また最大の文学流派名。安徽省桐城県出身の方苞(ほうほう)が基礎をつくり,継承者の劉大櫆(りゆうだいかい),姚鼐(ようだい)がいずれも同県出身のために,この名がある。明代の唐・宋派の系譜に立ち,宋学の学統を守る〈道の文学〉を目指して文章の〈義法〉,すなわち内面的理法と外形的法則の調和を説き,簡潔で質実な文章を書いた。…
※「姚鼐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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