デジタル大辞泉
「孫堅」の意味・読み・例文・類語
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そん‐けん【孫堅】
- 中国、後漢末の武将。呉の皇帝孫権の父。武烈皇帝と追尊される。黄巾(こうきん)の乱に功があり、袁術の命を受けて董卓、劉表を討ち、劉表の部下黄祖と戦って戦死した。(一五五‐一九一)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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孫堅 (そんけん)
Sūn Jiān
生没年:156-192
中国,後漢末の武将。三国の呉の国を建てた孫権の父。呉郡富春(杭州市南西)の豪族出身の俠客で,若いときから武力によって頭角をあらわし,長江(揚子江)の北の諸県の次官を歴任するうち,黄巾の乱に際して,その討伐に大功を立て,長沙太守に出世した。やがて朝廷に横暴を働く董卓(とうたく)に対して討伐軍が蜂起すると,袁術の部将として参加し,勇名をはせたが,戦死した。
執筆者:川勝 義雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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孫堅
そんけん
(156―192)
中国、後漢(ごかん)末の武将。三国呉(ご)の孫権(そんけん)の父。字(あざな)は文台。呉郡富春(浙江(せっこう)省富陽県)の人。諡号(しごう)は武烈皇帝。孫氏は兵家の孫子の子孫と称するが、この地方の土豪にすぎなかった。会稽(かいけい)の妖賊(ようぞく)を討伐し、黄巾(こうきん)の乱の平定に参加し、続いて反董卓(とうたく)の軍がおこると義兵をあげてこれに応じ、袁術(えんじゅつ)のもとに行きその武将として活躍した。洛陽(らくよう)に攻め込み伝国の璽(じ)を得たと称した。192年、荊(けい)州の劉表(りゅうひょう)との戦いにおいて戦死した。
[狩野直禎]
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孫堅
そんけん
Sun Jian; Sun Chien
[生]永寿2(156)
[没]初平3(192)
中国,後漢末の将軍。呉の孫権の父。呉郡富春 (浙江省富陽県) の出身。字は文台。黄巾の乱に功を立て烏程侯となった。のち袁術に従い,荊州の劉表と戦ったときに戦死した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の孫堅の言及
【呉】より
…222‐280年。呉郡富春(浙江省富陽県)出身の[孫堅]が後漢末の群雄の一人として活躍したのち,子の孫策が長江下流域を制したが若死する。その地盤をついだ弟の[孫権]は劉備と同盟して208年(建安13),南下する[曹操]の軍を赤壁に破り,さらに219年,[劉備]に勝って長江中流域以南を領有した。…
※「孫堅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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