中国、唐(とう)代の書家、書論家。字(あざな)は虔礼(けんれい)。呉郡(江蘇(こうそ)省)の人。ただこれには異説があり、名は虔礼、字は過庭とし、出身地は富陽(浙江(せっこう)省)とも陳留(河南省)ともいう。官職も率府録事参軍と右衛冑曹(ゆうえいちゅうそう)参軍との両説があるが、いずれにしても下級官であり、同時代の詩人・陳子昂(ちんすごう)が書いた墓誌銘によれば、40歳で仕官したが、讒言(ざんげん)されて志を遂げることなく、洛陽(らくよう)の客舎で急死したという。書は王羲之(おうぎし)・献之(けんし)父子を学び、楷(かい)書・行書をも巧みにしたが、とりわけ草書に名をほしいままにし、また臨摹(りんも)(臨写・模写)にも優れていたといわれる。文章家としても名があり、現在伝わる唯一の著作に自ら草書をもって記した『書譜』(687。台北・故宮博物院)があり、今日でも草書学習の最高の範本である。このほか『草書千字文』『景福殿賦(けいふくでんふ)』なども知られる。
[筒井茂徳]
『『書跡名品叢刊25 書譜』(1959・二玄社)』▽『『書跡名品叢刊130 草書千字文』(1969・二玄社)』▽『西林昭一訳『書譜』(『中国書論大系2』所収・1977・二玄社)』
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…欧陽詢の代表作には《皇甫誕碑》《化度寺碑》《九成宮醴泉(れいせん)銘》,虞世南に《孔子廟堂碑》,褚遂良(ちよすいりよう)には《孟法師碑》《雁塔聖教序》などがある。次いで,則天武后の時代には,孫過庭が《書譜》を書いて,理論と実作の両面から王羲之の伝統を守ろうとした。書論 しかし,唐も8世紀の半ば近く,開元・天宝のころになると,従来の貴族社会が行きづまり,王羲之以来の伝統的な書法もしだいに形骸化していった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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