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中国、東晋(とうしん)時代の書家。書聖王羲之(おうぎし)の第7子。琅邪(ろうや)臨沂(りんぎ)(山東省)の人。字(あざな)は子敬。秘書郎、建威将軍、呉興太守を経て中書令に至ったため、王大令ともいわれる。幼時より父に書を学んだが、羲之の7男1女のなかでは年少の献之がもっとも書の天分に恵まれ、逸気に富む書風を創始した。宋(そう)の羊欣(ようきん)『古来能書人名』に「隷藁(れいこう)(楷草(かいそう))を能(よ)くす。骨勢は父に及ばないが、媚趣(びしゅ)は父以上だ」と評されており、後世、父を大王とよぶに対して小王とよばれ、二王あるいは羲献と並称された。太元13年、45歳で没し、侍中(じちゅう)、特進光禄大夫(こうろくたいふ)、太宰(たいさい)を追贈され、憲と諡(おくりな)された。小楷の『洛神賦(らくしんふ)十三行』、行草の『地黄湯帖(ちおうとうじょう)』、草書の『中秋帖』『鴨頭丸帖(おうとうがんじょう)』が著名の作である。
[角井 博]
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東晋の書家。琅邪(ろうや)臨沂(りんぎ)(山東省臨沂市)の人。王羲之(おうぎし)の子で,父とあわせて二王といわれ,自由で美しい書をかいた。「洛神賦」「地黄湯帖」「中秋帖」などの作品がある。
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…《管洛墓碑》《張朗碑》などがその例で,これらは後世に盛行する墓誌銘の先駆となった。 東晋時代には,王羲之・王献之父子をはじめ,書の名家が数多く現れ,ここに書道史の黄金時代が出現するにいたった。王羲之は,〈骨骾(こつこう)〉すなわち骨っぽい直言の人として当時たたえられたが,その反面豊かな感性の持主でもあり,漢・魏以来の書の伝統をふまえて,古今無類の雍容典雅な美しさを発揮した。…
…草書は本来,書体の名称ではなく,早書きしたもの一般に使われていたと考えられる。ここでは章草が単体で書かれていたものから,しだいにつづけて書かれる筆勢をもつようになった書体をいうもので,すべての字を連綿したものをとくに連綿草といい,晋の王献之がその始祖という。後漢の張芝が草聖と称されているが,《淳化閣帖》に伝わる彼の書が縦横に大きく動いて書かれているのをみると,ある広さをもった紙などに書かれたものであることがわかり,草書の生成と紙の発明は縁の深いことが考えられる。…
…南朝から唐代前半期までは,個々の書家を〈天然〉と〈工夫〉という二つの規準に照らして,あるいは書体別にその巧拙を比較して格づけする品第法と,個々の書風の特性を自然や人物にたとえて論評する比況法が盛んに行われた。多くの書家の中から,後漢の張芝,魏の鍾繇(しようよう),東晋の王羲之,さらにその子王献之が古今の四傑として最も高い評価を得,こうして伝統派の書論の基礎が築かれた。 唐代には孫過庭の《書譜》や張懐瓘の《書断》など,伝統派の書論を集大成した力作も現れたが,反面,書法を秘訣として子孫に伝える傾向が生じ,そのための通俗な伝授書も多く作られた。…
※「王献之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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