宇田荻邨(読み)ウダ テキソン

20世紀日本人名事典 「宇田荻邨」の解説

宇田 荻邨
ウダ テキソン

大正・昭和期の日本画家



生年
明治29(1896)年9月30日

没年
昭和55(1980)年1月28日

出生地
三重県松阪市

本名
宇田 善次郎

学歴〔年〕
京都市立絵画専門学校(現・京都芸術大学)〔大正6年〕卒

経歴
大正8年帝展初入選。14年第6回帝展で「山村」が特選、翌15年にも「淀の水車」で特選、帝国美術院賞を受賞。昭和36年芸術院会員、46年から日展顧問。この間、大正14年京都市立美術工芸学校教諭、昭和11〜24年京都市立絵画専門学校教授。大和絵調の清澄で気品ある作風で、京都画壇を象徴する1人として知られた。代表作に「祇園の雨」「鴨川夕立」「雪の清水寺」「富獄」「新秋」「夜の一力」など。画集「宇田荻邨」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宇田荻邨」の意味・わかりやすい解説

宇田荻邨
うだてきそん

[生]1896.6.30. 三重
[没]1980.1.28. 京都
日本画家。本名善次郎。 1917年,京都市立絵画専門学校を卒業,菊池契月師事。 26年第7回帝展出品の『淀の水車』 (大倉文化財団) が特選となり,帝国美術院賞受賞。 28年以後しばしば帝展審査員となる。第2次世界大戦後は日展で活動した。母校および京都美術大学教授を歴任やまと絵風の優雅な作風で花鳥・風景画を主とする古典派。日本芸術院会員。その他の主要作品『夜の一力』 (1919) 『清水寺』 (57,京都市美術館) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宇田荻邨」の意味・わかりやすい解説

宇田荻邨
うだてきそん
(1896―1980)

日本画家。本名善次郎。三重県松阪市の生まれ。1913年(大正2)菊池芳文(ほうぶん)に入門。翌14年京都市立絵画専門学校別科に入学。17年に卒業。また18年芳文が亡くなると菊池契月(けいげつ)に師事した。19年第1回帝展に『夜の一力(いちりき)』が初入選、26年には『淀(よど)の水車』で帝国美術院賞を受賞した。初期の浪漫的な表現から古典的な大和絵(やまとえ)の装飾画風へ進み、さらに清澄で堅固な画境を築き上げた。50年(昭和25)から64年まで京都市立美術大学教授。61年に日本芸術院会員に推された。

原田 実]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇田荻邨」の解説

宇田荻邨 うだ-てきそん

1896-1980 大正-昭和時代の日本画家。
明治29年6月30日生まれ。菊池芳文,菊池契月に師事。大正15年の帝展で「淀の水車」が特選となり,昭和2年帝国美術院賞。4年から母校京都市立絵画専門学校(現京都市立美大)でおしえた。一貫して京都を題材としてえがきつづけた。36年芸術院会員。昭和55年1月28日死去。83歳。三重県出身。本名は善次郎。作品はほかに「山村」「祇園の雨」「鴨川の夕立」など。

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百科事典マイペディア 「宇田荻邨」の意味・わかりやすい解説

宇田荻邨【うだてきそん】

日本画家。三重県生れ。本名善次郎。1917年京都市立絵画専門学校卒。菊池契月の門に学ぶ。第1回帝展から連続入選。典型的な京都派画人で,伝統的な花鳥・風景画に柔らかい情趣を盛る。代表作《淀の水車》。

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367日誕生日大事典 「宇田荻邨」の解説

宇田 荻邨 (うだ てきそん)

生年月日:1896年6月30日
大正時代;昭和時代の日本画家。京都市立絵画専門学校教授
1980年没

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